木枯らしの分岐

第18話【ふしめ】

 長門からもらった言葉の指すところがいまひとつ掴めないまま、それが頭の片隅で静かに唸っている。俺らしからぬことかもしれないが、どうにも引っ掛かっているらしい。

 そのせいか、俺は一言も発することなく、あいつを追いかけるようなていで部室を出た。廊下の窓から見える空模様は、薄い鈍色の雲が群がった感じだ。どことなく翳のさす雰囲気に、昨日までとはまた異なる印象を抱いている俺である。

 さて。気を取り直そう。

 俺はそのまま旧館を離れ、昇降口の玄関までひとりで降りてきた。靴箱に上履きを放り込み、入れ替わりに自分の靴を取り出す。吐く息の白さを気にかけることもなく、片手でコートの襟を寄せて体を揺らしていた。本当に寒いんだよな。

 ただ、ここに来て妙な感触を抱き出していた。さっきの鶴屋さんの空耳が、俺にとってよほど衝撃だったのだろうか。いまこの場の空気。寒いは寒いのだが……なぜか、それだけではない感覚が自分の中にある。詳しくは説明できない。なんとなくでしかないが——まぁいい。とにかく、寒いわけだ。

「あ、キョンくん!」

 背後から鶴屋さんらしき声だ。今度こそ、あの方の声だと思いたい。

 そう思いながら声がした方へ瞬時に顔を向けると、二人の女子がきらびやかな雰囲気を纏ってこちらに手を振っていた。鶴屋さんと朝比奈さんだ。ふたりが小走りでこちらにやってくる。つい、俺も軽く手を振った。やれやれ……。

 俺は放課後の底冷え感に気が萎えながらも、あのふたりの姿を拝めただけで気分が上向いたのだった。まったく、本能ってのは素直なもんさね。

 だが、思考がヘンに巡って堂々巡りに陥ってしまいそうだっただけに、これがなかなかありがたかった。こうして可憐な方々が俺の方へ寄ってきてくださるなど、なかなかこの北高生活も捨てたもんじゃないと——。

 ……おや?

 どうしたことだろう。いつも通りにぱっと笑っている鶴屋さんの隣で、朝比奈さんはやや伏し目がち。何かに悩んでいるように見える。それはそれでまた麗しいが、何かあったのだろうか。一方、鶴屋さんはいつもの朗らかな調子で俺の前に立つ。その手にはマフラーが握られていた。

「待ったかいっ! 遅くなってごめんよっ!」

 マフラーすら可憐に見えてくる。

「俺は全然、待ってなんていないですよ」

 むしろハルヒに長門にと、待たせたのは俺の方ではないかと心配していたほどだ。

 それにしても、なんだか照れくさいシチュエーション。別に待ち合わせていたわけではない。どうせみんなで帰るだけだ。それなのにこれって、なんだか二人で待ち合わせているようなやり取りじゃないか。俺はどことなくフワッと軽くなる気持ちを感じながら鶴屋さんを見た。どうだ国木田よ、悔しがれ。別に国木田がどうってわけではないけれども。

 さらに鶴屋さんは突然、手に持っていたマフラーを俺の首に有無を云わさず巻き始めた。

「ど、どうしたんですか、いきなり!」

「おまじないっさ!」

 すいすいと俺の首にマフラーが巻きついていく。ハルヒだったらここで首が絞められないか心配するところだが、鶴屋さんだ。なんとも心地いい。

「おまじない、ですか?」

 マフラーを巻いてくれる鶴屋さんの白い指先が俺の首筋にやわらかく触れる。不意に胸が高鳴る。

「これってどういう……」

 すごくうれしいのは間違いないんですけど。しかし、これは一体何のフラグだ? ここまで幸運な目に遭うとそのしっぺ返しが不安だ。

 そんな俺の不安などなんのその。颯爽とマフラーを巻き終えたところで、目の前の鶴屋さんは元気にビシッと敬礼じみたポーズを決めた。

「風邪引かないように、って。あと、色々がんばるっさ!」

 色々って、だいぶざっくりですね。

「何はともあれ、ありがとうございます」

 この方のおかげで、俺の首回りはすごく暖かいわけで。

 ふふっと笑ってくれる鶴屋さんの存在が、冬の寒さを和らげてくれる。

「ところで、朝比奈さん」

「は、はい……」

 それだけに、鶴屋さんの後ろで沈鬱な表情をする朝比奈さんが気がかりだった。

「朝比奈さん。本当、どうしたんですか」

 いつも以上に伏し目がちで、身動きを慎んでいらっしゃる。

「キョンくん……」

「もしかして、体調がすぐれないとか?」

「ううん。キョンくんが」

「俺がどうしたんです?」

 俺は体調にどこも異変はない。たまに空耳が聴こえるくらいだ。それでも朝比奈さんの物憂いな表情がこのせいなら空耳だって吹き飛ばしてみたいくらいの意気込みはある。もし、体調が優れないというのなら——。

「だったら、マフラーはむしろ朝比奈さんに」

 そう言葉を発してマフラーを取ろうとした途端、朝比奈さんは俺に向かって手を伸ばした。

 彼女が俺の手を握る。そして、言った。

「いいの。キョンくんが、それはキョンくんが使って!」

 ……朝比奈さん?

「そ、そうおっしゃるなら……」

 それから、朝比奈さんも俺の首に巻かれたマフラーを整えてくれた。そこまで言われるのなら、お二人が巻いてくれたこのマフラー、明日も明後日もつけておきますが……。でも、珍しい。おずおずとしつつも、はっきりと主張してきた朝比奈さんというのは。

 もしかしてこれは、普段の慣れない試験勉強で体調を崩してないかとか心配されてるのか? たかだが学校のテストに、そこまで深刻にならなければいけないのかね。俺は鶴屋さんと朝比奈さんにマフラーを巻いてもらうという幸せを味わいながら、そんなことを考えていた。

 そんな俺への戒めか、一層の北風が吹きつけてくる。

「キョン! さっさと来なさい!」

 風に乗って外から靴箱まで盛大に響き渡る、ハルヒの怒声が不意打ちを浴びせた。

 ああ、もう。せっかく良いところだったのに。

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