第16話【茜色の指切り】

 寒さが身にしみる旧館の廊下で、部室で着替え中の朝比奈さんのために外へと放り出されて待ちぼうけをくらっていた俺と古泉と国木田。まったく、この冷え込みときたら、二宮金次郎像もどてらを着込んでコタツへ直行すること請け合いだろうよ。

 さて、しばらく寒さをこらえて雑談していると、今度も間違いなく鶴屋さんの声色で「もういいよっ!」というお許しの言葉が響いてきた。

 一度やらかして相当敏感になってしまった俺含め野郎三人は、慎重にゆっくりとドアノブを捻る。それから制服姿に戻っていた朝比奈さんを確認して入室し、三人とも彼女にとりあえず謝り倒した。朝比奈さんは快く許してくださり、一安心して帰りの準備に取り掛かったのだった。


 その帰り際だ。ハルヒ学長による説教じみた激励が少々くだされた。本人としてはシメの挨拶のつもりらしい。俺は気もそぞろに拝聴して、気がつくと本日の涼宮アカデミーは解散の流れ。面々が帰りの支度を整えて部室から出ていく。今日も自然と全員で帰る流れになるだろうから、そのまま昇降口で待ち合わせだ。

 今日は俺がしんがりだったようで、他の連中に倣って退出しようかとした折、ハルヒがこちらにそそくさと俺のところへ寄って来た。

「あんた、調子はどうなの?」

 どうって言われてもだな。

「淡々と勉強しているだけさ」

「それじゃあ、ダメよ」

 何がダメなんだか。当のハルヒは妙にしかめっ面だ。

「あんたは今回、結果を出さなきゃいけないの」

 本当に妙なことを言う。

「いつも通りのどこがダメなんだ。俺は別に、テストの点数にもこだわりはそうないんだが——」

「そうじゃなくて。その……なんていうか、ほら……」

「ほら?」

 するとどうしたことだ。

 ハルヒのやつ、目を泳がせつつ、表情も少し赤くなりはじめた。熱でもあるのか。なにやらぼそぼそと口走りだす。

「あの、ほら、進級の時とか……あるでしょ!」

 進級?

「そうよ。その来期のクラス決め……いやなんでもなくて……ていうか、その——」

 そこまで言うと、今度は勝手に言葉が詰まりだす。これはもはや俺から何か言葉をかけた方がいいのではなかろうか。

 そう思ったとき、ハルヒはいよいよ開き直ったらしく、こう捲し立てた。

「ああもう! とにかくあんたは今回、いい結果を出しなさい! これは団長——いや学長……もう、なんでもいいから! これはあたしからの命令よ!」

「しっちゃかめっちゃかだぞ」

 言葉はもう少し、脳みそで揉んでから口に出してほしいもんだ。伝わるものも伝わらないし。

「ハルヒよ。熱でもあるのか」

「うるさい!」

 珍しくハルヒが顔を真っ赤にしているものだから、なんだか居た堪れなくなった俺は自分の手の甲でやつの肩をとんと叩いてみた。単なる気まぐれだ。

「わかったよ。俺なりにがんばってみるから」

 すると今度は、少し照れくさそうにもじもじしている。またやつの目が泳ぐ。珍しく感傷的だな。

 それから少し間があいて、ハルヒは顔を横にそらしつつ右手の小指をさし出した。

「なんだそれ」

「小指を出しなさい」

 小指?

「……破ったら、針千本じゃ済まさないから」

 俺の目の前で屹立するハルヒの小指。その奥はハルヒの凛とした瞳。さらにその向こうは——その瞬間だけ、薄い雲間から漏れる夕焼けがのぞめた。西日が雲の端をうっすらと茜色に染めている。

 懐かしいな。何かと思えば指切りかよ。ここ最近あまり見なくなった風習だ。

 さて、どうしよう。

 せっかくハルヒが小指を出せと言ったのだ。あまり気乗りしないが、俺はそれに乗ってやることにした。素直に互いの小指が繋がり、それに反応してハルヒが俺にニヤリとした笑みを向ける。

「約束よ。誓う?」

「……ああ」

「声がちいさーい」

「——誓わせていただきます」

 何の因果か、俺はハルヒと部室の中で指きりをする羽目になってしまった。指切り。たぶん相当ご無沙汰していた行為だとと思う。だって指切りだぞ。小学生ですか、みたいな感覚だ。

 ……でも、ハルヒらしいと言えばらしい、か。

 それになんというか、照れながら右手を出して指きりと言い出したハルヒは、はっきり言って、かなり可愛かった。口には絶対出さないけどな。

 ハルヒはそんな俺の気をよそに、「よし!」と意気を改めて俺をまっすぐ捉える。

「誓いを破ったら昼ごはん一週間、あんたのおごりよ!」

 そう軽々と言い放ち、ハルヒは足取りも軽く部室を出て行ったのであった。そんなハルヒに息を合わせるようにして、西日は灰色の雲に遮られた。

「……」

 スマン。ここしばらく一連の発言は、すべてなかったことにしてくれ。

 やっぱり、とんでもないやつだ。

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