第20話

 勤務日六日目。期末考査明け、1週間ぶりの勤務だ。

 とは言え、接客態度は身に染みついている。最早ベテランの域だろう。


 入店を報せる電子音が響いたと同時、俺はパントリーから入り口の方へと躍り出て。


「イラッシャイマセー。三名様デショーカー?」


 はい、ぎこちない笑顔に棒読み! 自分を鼓舞するために見栄張ってみたが無駄でした。

 でもあったりまえだ。一週間ぶりの勤務も去ることながら、一番の緊張の理由は女装だ。

 せっかく麻痺しかけていた羞恥心が、一週間空いてしまったせいで回復し切っていた。これを退化と呼ぶのか人間らしさを取り戻したと言うのかは人それぞれだろう。個人的には後者だが。

 何にせよ、来店したお客様にうすら寒い声で尋ねたが、彼らは「はい」も「いいえ」も言わず、代わりに。


「あれ? 君、あの時の子だよね?」

「え? えーと、あの時、ですか?」


 作業着姿の男性三人組。その内の一人が問いかけてきて、俺は思わず首を傾げてしまった。


 あの時って何だ。見覚えはない上に、この人ら明らかに陽キャっぽいし、つか俺が忌み嫌うDQNっぽいし。俺と関わりなんて無さそうなんだけど。あるとしたらカツアゲだが、この姿でそんなことされた覚えは無いし、人違いでは。

 しかし他の二人の男性も、何かに気づいたように声を上げる。


「あー、あの時のか!」

「いやー、あれは痺れたな」

「はい?」


 きょとんとしていたら、最初に声をかけてきたDQNがいきなりファイティングポーズを取り始めた。

 顔は止してください、せめて肩にしてくれませんか。と言おうとしたら、それよりも早く彼は拳を繰り出してきた。


 マジで粗暴。だからDQN嫌い。

 と思っていたら、彼の拳は空を切るのみで、俺にもまったく当たらない距離で停止していた。

 すると彼はファイティングポーズを解いてからニッと爽やかに笑い。


「こんな感じでさ、打ち抜いてたじゃんこの前。あの悪ガキどもにさ」

「この前……あ」


 俺が警察に連行された時の話か。

 当時の事を思い出して、俺は思わず頬を掻いてしまう。


「あ、あの時は、お騒がせして、大変申し訳なかったです」

「申し訳なくなんてないない。俺らもむかっ腹にきてたしさ、君が殴らなかったら俺らが殴り掛かってたよ」


 すると背後の二人から声が上がる。


「そうそう、コイツマジでギリギリだったんだよ。でも――」

「君が殴ってくれたおかげで間一髪。つーか、むしろコイツ『スカッと』っていうか、『コロッと』落ちたみたいでさ。な? 大樹ー?」


 コロッと? 落ちた?

 俺がほけーっとしていると、先頭に立つ大樹さんとやらは、慌てた様子で後ろを振り返った。


「う、うるせえなあ! 黙れ!」

「良く言うぜー。ジョニトリーなんて前までは偶にしか来なかったくせに、最近は仕事終わりに行こう行こう言ってきてさ」

「あー、だからか。この子目当てに来てたのか大樹は」

「だ、だから、違くて」


 大樹さんは浅黒い肌でもよく分かってしまうぐらいに赤面したまま、ちらりと俺を見てきた。

 ……俺ですら美少女だと自負できる見た目をしているのだ。こういう手合いは時々いる。

 三日目ぐらいまでは戸惑うばかりだったが、いい加減学んできた。こんな時は。


「……(にこっ)」

「はぅっ……」

「お、おい、大樹!? こんな場所で胸抑えて倒れるなよ! 邪魔だろ、立てって!」

「それでは、空いているお好きなお席へどうぞー。お冷とおしぼりを只今ご用意いたしますー」


 言って俺はささーっとパントリーへと引き上げる。

 お冷とおしぼりの準備をする最中、俺の胸中は。


「……男って、ちょろいなぁ」


 ともあれ、あの青年二人をぶん殴った事で、良いのか悪いのか俺の知名度は上がってしまった。只でさえ夕飯時で人がごった返していた上に、ネット上でもあの時の出来事が出回ってしまっているみたいだ。

 勿論そこまで大事にはなっていないが、ここの常連さんなんかはその情報を知っているみたいで、度々「君が迷惑客を殴った子か」なんて言われたりする。

 こっちは苦笑いを浮かべるしかないのだが、でもそんなお客様たちも悪い印象は抱いていないみたいで、「お客様は神様なんて時代は古いよ、お客様はサンドバッグだ」なんて言って高笑いされたりもする。


 愛猫さんとしても、そんな口コミ(?)効果でジョニトリーの知名度が上がったことに満足そうだ。

 俺としても、悪い印象を抱かれていないのであれば良いか……と思ったのだが、ふと気づいてしまった。

 ――外堀が埋められてしまっている、と。

 夏コミのお金さえ稼げれば、後腐れなく辞めようと思っていたのだが。どうしたものか。


 うむむと考え込んでも答えが出なくて、そのまま色々と獅々田さんに教わっている内に時間は過ぎて退勤時間。

 今日の上がり作業はトイレ清掃で、それを終えてから厨房担当を含めた従業員の方々に「お先に失礼します」とご挨拶。


 だが、とある二人の姿が見えなくて、はてと首を傾げてしまう。それは、愛猫さんと獅々田さんだ。

 どこにいるのやらと探し、愛猫さんは店長室にいた。けれどお店の電話でどこかと連絡を取っているらしくて、声をかけるのはやめておいた。


 問題は獅々田さんで、客席や厨房を覗いてみても姿が見当たらなくて。

 途方に暮れかけながらも、ああ、もしかしたら店舗の一階にあるゴミ捨て場の方にでもいるのかもしれない。どうせ直に戻ってくるだろうし、帰り際に挨拶をしよう。


 と思い、タイムカードを切ってから控室まで足を運ぶと。


「あ、お疲れさまー。遅かったのね。ごめんなさい、先に上がっちゃってたわ」

「え。あ。獅々田さんも、上がりだったんですか?」

「ええ、そうよ。って」


 控室の椅子に腰を掛けて微笑みを振りまいてくる獅々田さん。しかし、俺の顔を見てムッと頬を膨らませた。


「なーにー、その顔は? 一緒の時間に上がりたくなかったって顔してる」

「い、いえ、そんなことは」


 ありますけどね!

 だってあれから、俺が女装していることを知っていると警察署にて告げられた日から、勤務時間外で二人きりになることなんて無かったし。

 勿論、俺はあの発言の真意を尋ねる度胸なんて無くて、違う話題を絞り出すようにして振った。


「で、でも、こんな時間に上がりだなんて珍しいですね?」

「そうかなー? あ、そうか。太田さんが来る前はこれが普通だったの――って、毎度恒例だけど気に病まないでよね? むしろこうやって以前通りの時間に上がれるようになったってことは、太田さんの成長が著しいからこそで、私はそれをとっても誇らしくもあるし、むしろ勉強させられることだって――」


 何もまだ言っていないのに獅々田さんが取り繕うように話し出して、俺が黙ったまま相槌を打っていたら、ふと彼女は言葉を発するのを止めた。そして気の抜けたため息。


「ごめんね、何だか喧しくて」

「そ、そんなことはありません! 私は獅々田さんを尊敬していますし、喧しいだなんて思っていません!」


 思わず強い口調になってしまい、俺は口を噤んだ。

 すると獅々田さんは慈母の如き笑みを浮かべ。


「ありがとう……でも」


 言って彼女は片手の人差し指を見せつけるように立てた。


「前にも言ったけど、敬語は止しましょう。少なくとも今は、先輩後輩じゃないのだから」

「あ……」


 そうだった。そんな話を以前にしていたな。

 でも今、先輩後輩で無いのだとしたら、一体何なのか。

 決まってる。俺と獅々田さんは……クラスメイト。


 ふわふわとした感覚だった。バイト終わりで体と頭が疲弊していたのか、あるいは最近ずっと警察署での獅々田さんの発言が気にかかっていたからなのか、もしくはどちらもか。

 だからこそ俺は胸のつっかえを、この際取り払いたくなって。


「あ、あの、獅々田さん」

「ん? なぁに?」


 優し気な顔をする彼女に、俺は。


「あの時、警察署で言っていた事って――」


 と、その時だった。

 バタンと大きな物音が聞こえて、俺は背後を振り返った。そこには一人の人物が立っていて。


「あ、愛猫さん。どうしたんですか?」


 俺の呼びかけに愛猫さんは、酷く深刻そうな顔を向けてきた。


「……良かった。まだ帰っていなかったのね、太田さん。それに獅々田さんも」

「どうしたんです店長? そんな柄にも無い真面目そうな顔をして」

「ええ、ええ。分かってる。分かっているわ。笑顔が素敵でチャーミングなお姉さん。それが私、愛猫恋。でもこんな時にそんな皆が求めるアイドル性を保っていられるほど、私は大人じゃないの……!」

「何か、嫌な予感がするのは気のせいですか?」


 乾いた笑い声を漏らす獅々田さんの問いかけに答えず、愛猫さんは俺と獅々田さんを交互に見やってくる。


「二人とも、来週の火曜日って昼間から空いているかしら?」

「来週ですか? えーと、学校は来週から休みですし、確か昼過ぎからはジョニトリーの勤務があったと思いますけど」

「あ、私もですよ。もしかして、ランチの方で欠勤が出ましたか?」


 獅々田さんの質問に、愛猫さんは首を横へ緩慢に振る。


「いいえ。でも、一大事なの。だから、もしも二人が暇なら協力してほしい」

「え、えーと、俺――ああ、私は構いませんけど」

「何だかとても嫌な予感がひしひしとしてきましたけど、私も構いません」


 すると愛猫さんは目を閉じた。そしてゆっくりと天井を仰いで感慨に耽り出した様子だ。大丈夫かこの人。

 しかしそれも束の間。くわっと目を剥くと、俺達を見つめて――。


「暇人ゲットー! 遊びに行くわよー!」


 愛猫さんは破顔した。

 俺が「あ、遊び、ですか?」と尋ねると、彼女は臆面も無く頷き。


「実はね、来週の火曜日に客席のエアコンの修理予定が入っちゃったのよー。だから店は臨時休業。二人とも来週の火曜日はお休み。よって遊びに繰り出しましょう!」


 がしっと握りしめた拳を披露する愛猫さんに、俺は半笑い。

 でも、遊びかぁ。楽しそう。バイト先の人達と遊ぶとか、リア充っぽい。俺の人生には全く縁遠かった青春っぽい。

 と、ちょっぴりワクワクしていたら、後ろから獅々田さんの声が聞こえた。


「来週なら夏休みに入っているし、私は構いませんけど……遊ぶってどこで何して遊ぶんですか?」

「よくぞ聞いてくれましたっ。もう予定は決定済みよ。来週の火曜日に行く場所は――」


 そうして愛猫さんは両腕を開き、高らかに告げた。


「海よ! 海水浴よ!」


 海かぁ。久しぶりだなぁ。中学校の頃とかはよく行ってたけど、引きこもる様になってからは海なんて行く事も無かったしな。うん、楽しそう。

 そう思い、我ながらにこやかに微笑み、ふと表情が凍った。


 ……待てよ。海ってことは、泳ぐんだよな? そりゃ海水浴なんだから泳ぐよな。となると、水着が必要で。いや、普通の水着なら中学の時のやつがあるし、サイズが合わないならドンキホーテで買えばいい。

 だが、違うだろう。今の俺には、中学の水着だとかドンキホーテの水着だとか、そんなのを仕入れるのが問題なんじゃなくて。


 ツツ―ッと視線を下げていく。改めて俺は今の自分の姿を確認する。

 明らかに女装である。見紛うことなき美少女であるはず。

 もしも俺がこのまま馬鹿正直に愛猫さん達と海に行ったら、バレてしまう。獅々田さんだけならまだしも、愛猫さんにもバレてしまう。俺が男だと。女装した根暗男だと。

 それだけは避けねばならない。俺の将来のため。社会的に抹殺されないため。


「あ、愛猫さん、じ、実はその日なんですけど、予定が――」

「は? さっき暇だって言ってたわよね?」

「あれは、その、予定を忘れていて。あ、あはは」

「ふぅん。でもスケジュール上は午後二時入りになっていたはずよね? 午前中に用事でもあるのかしら? ああ? じゃあ午後ならええのんかあ? ああん?」


 まるで堅気じゃない人みたいな剣幕の愛猫さんに、俺は。


「……あ、あー。そう、でしたね。私の、勘違いだったみたいです」

「よろしいっ。じゃあ決定ねー」


 急にプリティーに微笑み出す愛猫さん。

 その時の俺の顔は、きっと清水の舞台に指一本でしがみ付いているような、絶望の淵にいる人間を彷彿とさせるものだったろう。


「は、はは」


 俺はもう何も考えたくなくて、乾いた声を上げるので精一杯だった。

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