『第四話』

第一章 『第四話』




「……ふぅ」




 長身の木々たち。

 その間、漏れる光を浴びて、一息。




「後、どれくらいでしょうか?」

「……この歩調ですと、残りおよそ八時間といった所でしょうか」

「……分かりました」




(まだ半分も来てない……遠いな)




 天——頂点より下り始めた日輪。

 浮かない表情で仰ぎ見るのは青年。

 つい先日まで男性でありながら、今はその性別を異にした——先を行くアデスにルティスと呼ばれた女性せいねんであった。



(……幸い、夢の中だからか、三時間か四時間歩いた今も疲れは全然ない)


(アデスさんのコース選びが恐らく良いのもあって、まだ大丈夫。……歩けるけど——)



 舗装などされていない起伏の激しい道なき道。

 素人一人ならば間違いなくに足を滑らせて怪我を負っていたであろう危険な場所を右に左に蛇行しながら、青年は先導に追い従って岩を降りて行き——。



(それにしても……アデスさんだって同じなのに、彼女は俺と違って"息の乱れが一つもない")


(……どころか、肩も胸も全然上下してない。"呼吸の様子さえ見当たらない"。……一体、どんな訓練を積めばそんな風に——)




「……間も無くに日は暮れ、漆黒の帳——星の光を覆い隠す」

「……?」

「……夜間に都市を訪ねても、貴方の望む収穫は得られないかと」




 眺める小さな背中、動きを止め——翻る黒、覗く赤目。

 これまでも、時折立ち止まっては後方の青年を待つ余裕を見せていた先導の少女——アデスは振り返り、やはり息を乱さず平然と、伝える波。




「——ですので、今日の行軍こうぐんはこれまでとし、適当な場所で落ち着きましょう」

「あっ、はい。今日はここまでですね。分かりました。……でしたら——」




 世話になるばかりでは悪いと思い、率先して見回す周囲。

 腰を落ち着けるのに適した場所はどこだろう。




「——あ。あの辺り、岩壁の出っ張りの下とかはどうですか? 雨風があってもあそこなら大丈夫そうですよ」

「……分かりました。其処な岩屋で、共に次の朝日を迎えるとしましょうか」

「はい」




(……よし。取り敢えず、休憩だ)




 脚が痛まずとも喉が渇かずとも、気は疲れた。

 青年は先んじて、見つけた岩の下——鋭利に尖った岩が左右から伸びて交差する"岩の宿"——浅めの影中へと到達し、適当な大きさの岩に腰掛け、早速肩の力を抜く。



(まだ喉も渇かない、お腹も空く様子はないから食事は後回し。後は寝る場所だけど——)



 アデスが追いついて岩屋根の下に進入する最中、見渡す内部。

 椅子にはなってもベッドになりそうな物はなく、早くに受け入れるその事実を受け入れ。



(——それも、今は我慢。都市に着いてから)


(丁度いい、獣もいない場所があっただけラッキー……揺れない服で助かってるとはいえ、この体にも慣れないんだ)


(……今日は休んで、明日には)



 腕を伸ばして脱力を試み——。





 束の間で気を抜こうとした——"瞬刻"。




(……夢を、終わらせ————)



 ————————————————————



『『『"——————————!!!!"』』』



————————————————————




「————"!??"」




 安息の地に——"くぐもった爆音"が響き渡った。

 驚きに縮み上がって、訳も分からず震えだす青年が反射的に眺める外——黒に焦げる空、地平線に半身を飲まれる太陽——不気味に変えられた夕刻。




「な、な、なんですかっ……!?」


「い、今の揺れは……!」




「……

「け、獣……?? 今の揺れ、音は、そんなものじゃ——ひ——」




 咄嗟に手で覆う頭。

 雷鳴——いや、木の激しく折れた音。

 一斉に鳥たちが天空への庇護を求めて飛び立ったが故か、腐食が進んでいたが故か。

 視界の端に映る裂けた太枝。




「……」




 その間も冷静沈着——神色自若のアデス。

 花を模した耳飾りさえ微動だにせず。




「「…………」」




 徐々に振動は収まり、打って変わって世界——静まり返り。




「……あの音が、獣……?」




 沈黙を破る青年、恐る恐るに聞き直す。




「——はい。今しがたの振動は"声"。"神が創りし獣"のいびきです」

「い、びき……」




(……牛の鳴き声をより低く太くしたみたいな音だった。離れているのにこの場所も揺れて、あんなの、間近で耳にしたら……)




 固唾を呑んで未だ見ぬ脅威を思い、冷える肝。

 常人が音源の近くに立っていたならば、おそらく鼓膜の破裂するであろう轟音。

 それを発する獣とは、一体。




「……種の名は『べモス』。現在は回復のため、都市を離れた森の奥で休眠中。次に目覚めるのは暫く後です」

「……大きさとかは、どのくらいで……?」

「……頭部の角から尾の先まで、全長にして小さな山——"人の身の高さを十数人分"——そのように形容すれば、新世代あなたがたにも伝わり易いでしょうか」

「人が、十数人……」




(……一人が一メートルと五・六十から八十くらいだとして……それを十数人)


(……それなら大体、二十メートル代。……大きい種類の鯨で三十くらいだったはずだから、あれより少し小さいか同じくらいの生物が、陸上に……?)




 想像して、思わず息を飲む。

 海に出る機会があまりなかった青年にとって実際に見たことのないレベルの、巨大なスケール。

 連ねた家屋や倉庫、体育館がひとりでに動くようなもの——と考えれば、その動く巨獣と同じ地面を歩く恐怖が伝わるかもしれない。



(……どんどん悪夢の感じが増してきた)


(……"怖い夢"はもう、転落とあの映画館みたいなので……"十分"なのに——)




「——の獣。"神獣"についても追々、理解を深めて行きましょう。——"貴方の存在と密接に関わる"、"一つの要因"ですので」




(——えっ。"俺と関係している"……?)



 ————————————————————




 そして再び時は移り、夜の静けさ。




「…………」




 月光を浴びて。

 宙の黒を眺めるようにアデスは首を傾け。

 小さなその背に掛かる声。




「……あの、アデスさん」

「……何用ですか」

「また、質問したいことがあるんですが、今は……」

「……構いません」




 "夜闇の風情を楽しむことの邪魔にはならないか"——と心配した青年に向かって。

 紅の炯眼、尾の如き軌跡を闇に描いて振り向く。




「……それで。質問とは」

「さっき、大きな鼾の音が聞こえた後、アデスさんはその獣……神獣……べモスと、俺が関係しているようなことを言ってましたが、それは——どういう意味なんですか?」




 投げたのは、寝付けぬ頭に浮かぶ疑問。

 夢の中で寝付くというのも甚だおかしいが、複雑化して"現実味を帯びて行く悪夢"——。

 そのもたらす"恐怖の迫る実感"が——青年の心を少しずつ陰らせ始めていた。

 それ故に不安を少しでも和らげようと、抱える疑念の雲を払うために青年は質問をしたのであったが、結果的にその質問は。




「……詳細な現状は現地、都市の人間に尋ねれば分かることですが」


「端的に言って、私たちが今向かっている都市、ルティシアは——」




 却って——青年の心を"曇らせてしまう"。




「——数日前、




「……!」




 眉根を寄せ、続く言葉を聞く。




「現在、死人こそ、"まだ少数"ですが——」




(! 死人……)




「——畑や食料庫、及び家畜の被害は甚大であり、神殿の供物と比較的豊かな人間が配る食料でなんとか食いつないでいても——

「……」

「即ち、——それが、彼の都市の窮する現状なのです」




(食料の不足……)




 月明かりに晒された表情がみるみるうちに曇り出す。

 アデスの口から伝えられたその情報は——"都市に着きさえすれば、なにか状況が好転するだろう"と——『所詮は夢』と起こる事象を少なからず楽観的に捉えていた青年にとって、認識を不快に揺らす衝撃的なものだった。




「……都市はそれで、大丈夫なんですか?」

「……襲撃の際に戦いを知る兵の殆どが死傷によって失われた。故に二度目があったのなら、抵抗の術を持たない都市は——"壊滅"するでしょう」




(そうじゃなくて……)




「——"解決の見込み"は、ないんですか……?」

「……住み慣れた都市を捨てて逃げるにしても兵の居ない女性や子ども、少数の老人たちだけで道中の危険を乗り越えることは困難です」

「……それなら、外に救援を——」

「既に彼らは近隣他の都市に救援を請う使者を送りました。……しかし、はっきり言ってそれもあまり効果は期待できないでしょう」

「どうしてですか」

「食料を運ぶにも物的、人的、時間的な手間が掛かる。ましてや居座る相手は"神が創りし自由なる獣"。父母ふぼたる神威への畏れ・神の怒りを買うことへの恐れが——介入の選択を阻むのだ」




 アデスの冷淡に述べる事実。




「…………」




 どれだけ頭を抱えても覚めぬ——"儘ならぬ夢"へ募る苛立ち、嫌悪の念。




「それなら、都市の人々はどうすればいいんですか。もう、彼らの助かる道がないのなら——」




 疲弊した未熟の心、投遣に言葉を漏らす。

 夢を見ている筈の——"己"へ向けて。




「…………——」




「——"いえ"」




 しかし、その諦念は遮られる。

 "暗闇を背負う少女"によって。




「それでもまだ、ルティシアの人々は決して——

「……でも、貴方の言うように、彼らに出来ることは限られてて……もうしか、それこそぐらいしか方法は——」




、です」

「……?」

「だからこそ彼らは、そして——」




「——




「——『死にたくない』、『生きたい』……そのように」


へと」




 そして、その語り掛ける先には当然、今は。




「つまり、他でもない——」




 が居るのであった。




「——『』——」





「——




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