『第二話』

第一章 『第二話』




 暖かな日差しに見守られながら多くの動物、植物たちが今を、そして未来を生きるために活動を続ける——太陽が最も高い場所に到達するかという昼時。




「——…………ん」




 生の喧騒の中——同じ日に二度目の起床を迎える者あり。

 それは一糸を纏わず、地味な布と不可視の力によってのみ肌を隠される青年だ。




「…………?」




(ここは……)


(俺は、確か——)




 穏やかな寝顔は崩れ、煩わしそうに開かれる瞼。

 瞳を閉じてから時間にして半日も経ってはいないが、まるで何日もねむりこけていたかのような"重さ"が体と意識に残る。


(——確か、人と……『アデス』、さん……と会って……)


 なんとなしに見つめる空の青——ここではないどこかをぼんやりと眺めながら、掘り起こす記憶。

 現在に至るまでに理解し難き困難と幾度も遭遇し、動転しては磨り減っていた青年の精神。

 再起動の如き休眠を挟んだお陰か、今においては現状を整理する程度の落ち着きを取り戻していた。


(あの、子。……いや、彼女)


(アデスさんのお陰で、少しだけど……気が楽に——)




「落ち着きましたか」

「——!」




 不意に聞こえる——影よりの音。

 一切の兆しなく、木が作り出すその影より湧いて出たかのような少女の声がまたも、青年を驚かす。




「……話は出来そうですか」

「——は……い。お陰、様で」




 喉から出る声。

 先程と大差なく掠れ、誠の慣れ親しんだものよりいくらか"音は高くなっていた"が——それは二の次。

 "声の変調"に関しては『動揺して裏返ったもの』と青年は仮定し、先ずは会話の起こりに謝辞を述べようとする。




「……少しだけど、落ち着きました」

「……そうですか」

「……こほっ——貴方が居てくれたお陰です。本当に、ありがとうございます」

「……いえ」




 ようやっと成立する会話らしい会話。

 下げる頭とそれを見つめる真紅の瞳。

 青年の横に立つ白黒の小柄な少女?が『アデス』と名乗った者——誠の心に安心を与えてくれた"恩人"である。




「……話をするのにはもう幾許か、時間が必要ですか」

「い、いえ。話は出来る、と思います。……喉が少し変ですけど……それより、状況について俺——自分も、詳しく知りたいので」




 落ち着きを得たとはいえ分からないことは山積み。

 他者と出会えた幸運を逃す手はなく、アデスとの会話によって少しでも情報を得なければ埒が明かないと判断し、会話を切り出す。




「……分かりました。では先ず、貴方の望むままに聞かせて下さい、経緯いきさつの話を」

「……はい」




 そうして、正面に見る薄暗い赤の虹彩に引き込まれる青年は語り始める。

 神秘的な少女を前に。

 恩人に対する言葉に敬意を込めて。




「では、早速……。正直、どこから話せばいいのか自分でも良く分からないんですが————」




 事態を好転させるための手掛かりが見つかると期待して、現在に至るまでの経緯を。

 自身が経験した奇妙な体験の数々を——アデスに語ったのだ。



 ————————————————————




「……つまり、要点を順にまとめると——」




「——『貴方は帰路の途中で段差から足を踏み外し、意識を失った』」


「——『その後、目覚めた場所は一面の暗闇で』」


「——『恐怖を感じるまま、出口と思しき光に飛び込み——』」


「——『今、見知らぬこの場所に至る』……と」




「……はい」

「……」




 アデスは青年の話した内容を要約した後に沈黙。

 腕を組んで顎に左手を当てる仕草——考え込んでいるのだろうか。




「無茶苦茶だと自分でも思いますが、正直今も、何がなんだか分からなくて……」

「……ふむ」




 理解できていない物事を説明することは困難を極め、一般人が聞けばその話の荒唐無稽さに『夢でも見ていたのだろう』と一蹴する語りを耳にしても、アデス——驚いて動じる様子はなく。

 そしてそのまま、木々の揺れる音と川のせせらぎの音——返答を待つ青年にとって日常の音たちが騒々しく感じられるようになり始めた頃。




「……結論から言いますと——」




 再び、真紅の瞳が青年を射抜く。




「——貴方が『どのようにしてこの場所にたどり着いたのか』は"不明な点"が多く、その『有する記憶が持つ意味』についても……"出自"が明瞭ではない」

「……」

「よって、"現時点での私"に断言出来ることはあまり、多くはないでしょう」

「……そうですか。……そう、ですよね……」



(……いきなりあんな事言われても、彼女だって困る。おかしいのは俺の方だ)



 期待に高まっていた肩が下がる。

 青年の言葉は控えめに言って戯言たわごと、それを初対面の少女に『信じろ』と言っては"狂人"と謗られても言い逃れは出来ない現実離れの産物。

 まるで絵空事のような話をする相手へ——返す的確な答えなどあるのだろうかと、青年自身が思う程に"幻想"めいていたのだ。



(なら、次はどうしよう。先ずは場所……いや、荷物を確認——)



 しかし——次の瞬間。




「——ですが、そうですね……」

「……?」

「私に分かることがあるとするならば、それは『貴方がこの場に来た理由』ではなく『貴方がこの地に——」




 ——次の言葉。

 "何かを探るように持って回ったアデスの言葉"。

 青年に再び、期待の念を抱かせる。




「——』。でしょうか」

「……よばれた、理由……?」




 聞き慣れぬ言葉に適切な意味を見出せず、首を傾げて詳細を尋ねる。




「その、呼ばれた——"俺が呼ばれた?理由"を……アデスさんは知っているんですか……?」

「はい。恐らくは、ですが。……貴方は、その暗闇の中で何か——"声"のようなものを耳にしませんでしたか?」

「……声? 声……——」




 奇妙な質問を受け、辿る記憶。

 思い返すだけでも肝が冷えるあの世界で、青年が耳にした言葉、それは——。



 ————————————————————




『『『『「——!」』』』』




————————————————————




「————!」




「——そうです! あの時確か……」


「……『生きたい』……そんな声が聞こえた……ような気がします」




 歯切れ悪くに答える。

 当時の青年は必死の思いで声を上げ、歩みを進めていたため、記憶が鮮明ではなかった。

 しかし、一縷の望みに賭けて光に飛び込もうとした瞬間——叫びに呼応するかのように『声』が重なっていたのだ。



(今になって思えばだけど、そういえば……あれは一体……)




「……ならばやはり、少なくともその理由は——"明白の物となった"」

「!」




 アデスの言い切りに、思わず固唾を呑む。

 待ち望んだ現状打破の糸口が遂に眼前へと垂らされるかもしれないのだ——"瞳も輝く"。

 そして、小柄の少女よりいよいよ放たれる確かな情報とは——次のようなものであった。




「……"貴方がこの地に喚ばれた理由"。いえ、より正確に言い表すのなら——」


は——」




「——『祈り』という『信仰』の持つ"情報に引き寄せられたから"」




「この場所から丘を越えて南東に向かった先に位置する都市——」


「——『ルティシア』の人々が捧げた祈り。"女神あなたに捧げられた祈り"に——」




「"他でもない"——




(……?)



 全く予期していなかった答え——宙に飛び立つ意識。

 唖然と、真顔となってしまう青年には目を見開くことしか出来ず。




「——そして同時に判明する"名前"。それは、都市の者共が待ち焦がれる『火消しの女神』の有する音」




 沈黙を肯定もしくは受容と捉えたのか。

 続けて少女は語る——饒舌に、神秘を。




「——貴方の名は『ルティス』」


「都市ルティシアで祀られ、其処な貴方と同名の川を神体とする——」




「——なのです」




(……??)


(……???)



 青年——『ルティス』と呼ばれたの脳内で宙は広がり続け、思考は既に星の海へと漕ぎ出した。


(……なにを、いって……)


 無理もない。

 意味不明な話を同じく意味不明な話で返され——。

 剰え名乗ることを今の今まで忘れていた彼女に対して伝えられた名前は——"初めて耳にする名"。

『河上誠』ではなく——『ルティス』なのだ。



(……誰が、誰……?)


(……え……えっ——)




「……」




 呆然と口を開く青年。

 その様を眺めるアデスの目は気怠げに見えても真剣に——女神を観察し、反応を待っている。

 そうして——数十秒後。



(……兎に角、名前を訂正しよう)


(恐らく、彼女は誰か別人と俺を勘違いしてる。その事実をハッキリさせておかないと——)



 物を考えるための意識を回帰させた青年は何かの間違いを正すために、声を発しようと試みる。




「……あの、アデスさん」

「……?」

「色々と、貴方に助けていただいた後に言うのもなんですが——」




「……何か、何か勘違いを、人違いをしてませんか? 俺には俺、の————"あっ"」




 だが、未だ調子の戻らない——元の"彼"と比べれば上擦った高い声は強風に掻き消され。


(貰った布が——)


 纏っていた薄布はその風に攫われ、それまで隠されていた青年の体が露わになり——。

 反射的に布と体を抑えようと動かした腕がにぶつかり——




(——"!?")




(なに、今の——)



 その感触は硬い胸板に触れたとは思えない、まるで"豊かな脂肪"のように——"柔らかなもの"であった。




「……へ?」




 油の切れた歯車の如く、首を傾けて見る下方。

 青年は、たった今自身の手が触れた己の体を見て驚く——心底、驚く。



(えっ——)



(おっ——胸————)



 そこにあったのは"胸"だった。

 そこには確かに"胸"があった。



(……………………)



 以前の体より遥かに出っ張った二つの房が——があったのだ。




(————————"!??")




「————————"!?!??"」




 無音の鳴動。

 "それが見えたら終わり"——とでも言うように自身の体を見た青年は驚き、立ち上がる。


(——嘘だ)


 この時、ようやく青年。

 自身の喉がいくら本調子でないとはいえ、聞いたこともない高さの音が出ていたことに真剣な疑念を抱いた。

 そして脳裏に浮かぶ——"仮説"。


『今見えたもの、今聞こえた声は"誰"のものなのか』


 そうした疑問に答えを与える説から——"己という一つの候補"を除くため、飛ぶようにして近くの川に向かい——。


(そんなこと、あるはずが——!)


 砂利に足を取られて、前につんのめり。

 水に浸かる両手——その間。

 映る姿、その顔は。




「……だれ」




 ——"誠ではない"。

 髪、そして瞳の虹彩の色こそ以前の青年と近しき"黒色"の。

 肌も変わらず薄い黄赤色で——しかし、口元に黒子のある"見知らぬ女性"であったのだ。




「俺、は……」




 だがしかし、肩に掛かる黒髪。

 流れの穏やかな川を思わせるサラサラとした質感のそれは——遥か肩下まで伸びていた。

 眉や鼻、口はあるべき場所に位置。

 穏和さを感じさせる目の、瞳の中には"星の如き煌めき"——その顔、均整の取れた一種の理想の顕現。




「……どう、して」




 瞳の煌めき——その炯眼は色こそ違えどアデスが持つそれとよく似ている。

 そして、まさしく"女神"とも形容される整った顔立ちは今、青年の心境と同じく川の水に酷く焦燥した表情を浮かべている。

 その事実が意味すること、真実はつまり——。




「どう、して……」




『誠』は——『ルティス』に。

『彼』は——『彼女』に変じていたのである。




「……俺はどこ、どこへ……」


「夢、夢……」




「……」




 力なく項垂れる"ルティスの意識"は再びに飛び立ち。

 一連の奇行を見ていたアデスは相も変わらず表情の色を変えず、裸の青年に向けて手を翳し——その周囲世界を"黒く塗る"。




「……衣服は、此方で適当に見繕う」




(……これは、夢。……夢……?)




「……話の続きは、それからとしましょう」



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