無限遠のハッピーエンド

しばゆかり

第一部

『プロローグ 前編』

『プロローグ 前編』 (第一部・始まり)



「進路希望調査シートは来週の初めに回収します。具体的でなくても構わないので今週中に記入をお願いします」



 下校の時刻を告げる鐘が鳴り、担任教師が席を立ち始めた生徒たちへ配布された用紙の記入を忘れないよう刺す、言葉の釘。

 自身の座席でペンやノートをまとめて鞄にしまい、帰り支度を進めていた男子生徒の『河上かわかみ まこと』は教師の発言を受け、思いを巡らせる。



(進路……)



 明確なイメージが湧かぬまま、ぼんやりと見回す周囲。

 窓の外に映る樹々はひと月ほど前と比べてすっかりに紅葉し、その下を歩く生徒たちもブレザーの下にベストやカーディガンを着込み、迫る冬の息吹に備えているのが見て取れる。

 内側の教室では同級生の多くがとうに席を立っては帰路につき始め、残るその他の生徒は席を囲んで友人と談笑している者が殆どだ。



(……進路、か……)



 喧騒の中よりも落ち着いた環境で思案を巡らせる方が性に合うと判断し、心落ち着く場所を求めて自席を立つ。

 教室を出る途中、談笑しているグループの横を通り過ぎた時に聞こえる会話も大学や専門学校、就職といった単語が飛び交っていることから、その主題はやはり"進路"についてであった。



("やりたいこと"……)



 生徒玄関で上履きを外履きに履き替え、玄関を——次いで校門を後にする。

 校門から国道に伸びる道を覆うようにして植えられた街路樹は赤や茶に染まり、葉を落とし。

 中背の青年は他の生徒と同じように紅葉と夕陽の色彩を身に浴びながら駅に向かって歩を進める。



("なりたいもの"……)



 駅に向かう道の途中も同学年の生徒を数人追い抜いたが、ここでも友人と会話をするものたちは往々にして進路について意見を交わしていた。

 そうした場面を三度ほど繰り返し、誠が駅に着いてホームに足を運ぶ頃には進路について不明瞭なイメージしか持たない彼の心には来たる選択に対する"焦りの色"が濃くなっていた。



(……固く決めてる人は、何をどうやって決めたんだろうか)



 ホームに設置された連結式のベンチに座って引き続き、思いを巡らす。

 田舎とも都市部とも言える地域に属するこの駅では次の電車が来るまでにおよそ四半時の時間があり、その隙間は考え事をするのに丁度の良い時間であった。

 彼は人生という道にかかった靄を払うために、『自身がどうなりたいのか』、『どうしたいのか』を探るため、これまでの歩みを要約して振り返る。



(『俺』の、"人生"……——)



————————————————————



 今から凡そ十七年前、誠は学芸員の父と図書館司書の母の子としてこの世に生を受けた。

 父、母はそれぞれが自身の"興味のあること"、もしくは"好きなこと"に時間を費やして生を積み重ねた人間であり、その過程で互いの道を交錯させたこともあって誠と彼の四つ歳が離れた妹が悩む時には優しく・時に厳しく助言をしても——最終的には兄妹の自由意志を尊重しようと努める"一種の良き親"であった。

『誠』の名はそうした両親の人生観を踏まえて、息子に誠実に生きて欲しい、特に『自身の言葉や行動に嘘偽りなく』、『本当にやりたいことを考えて探し、己だけの幸福を見つけて欲しい』という祈りから来ている。

 また、両親は職業柄か本を読むことが多く、誠が彼らの読んでいる本に興味を持ち、内容を尋ねると分かりやすいように内容を掻い摘んで丁寧に聞かせてくれることが多々あり、幼少期の誠にとって歴史や芸術、文学についての話は殆どが理解の困難なものであったが、彼は理解できないならば理解できないなりに未知への好奇心を膨らませ、未だ理解の及ばぬ領域に想いを馳せるのが好きだった。

 両親はそうした誠の姿を見て、ニコニコとした生暖かい表情を浮かべていたがこれは誠自身の興味や関心の芽生え——"河上誠"という一人の人間が自身の道を探し始めことを喜んでのものだったのであろう。

 ともあれ、そうした彼らの間に生まれて今日までを過ごして来た時間の中で、誠は両親の子を思う気持ち、謂わば"言外の愛情"を肌で実感しながらに成長を続けられた。

 そうして、幸運に大きく道を外れることなく無事に生を謳歌し——学生としての今に至るのだ。


 ————————————————————




「まもなく、二番線に電車が参ります。危ないですので、黄色い線の内側でお待ちください。まもなく——」




(……!)



 耳に伝わる振動。

 意識の外へ追いやっていた音が戻ってくる。

 時間は青年の予想よりも早くに流れ、アナウンス通りならば帰りの電車はあと数分で到着するようだ。



(……外で考え込んでも仕方ないか)



 腰を上げ、ホームに引かれた黄線の内側手前へと移動し——電車、予定通りに到着。

 誠は十六年の歳月を振り返るには四半時では不十分だったと思いながら車両の扉を潜る。

 高校の最寄駅から誠の実家の最寄駅までの距離はあまりなく、先ほどの待ち時間の半分もあれば電車は到着するだろう。



(大きく分けて……"進学"か、"就職")



 主流の退勤時間にはまだ早く車内には空席がちらほらと。

 しかし、短時間なので座席に座る必要もないと判断した誠は座席横の壁にもたれながら見慣れた流れる景色を眺め、先に進める思考。

 進路選択は人生の分岐点だ。

 ここでの選択がその後の人生の全てを決定するわけではないが、何かを志し、一つの道を歩み始めたのならば安易に後戻りすることは出来ないだろう。




(…………)




(……図書館でも寄ってみるか)




 降下駅まで後一駅といったところで誠は考えた。

 的確な判断を下すにはやはり、落ち着いた環境で自身がどうしたいのか、何をやりたいのかを考える十分な時間が必要だと。

 また、時間以外にも選択の判断材料として先人たちの経験、及び知恵が必要となるであろうと。

 そうして判断材料を集めるために最も身近な大人である両親に意見を仰ぐことは当然として、今の自分に出来ることを考え、本という纏められた情報の集う場所——即ち、"図書館"を利用することを思いついたのであった。



(……そうしよう)



 どのようなジャンルの本を読めば進路選択に役立つのかは分からないが、息抜きがてらに情報をインプットすれば見つかる道もあるのかもしれない。

 実質的には進路のための学習と言うよりも趣味の一環と言えるが、何もせずただ時間を浪費するよりかは幾許か上等であろう。



(閉館まで、時間もある)



 学生ズボンの右ポケットから携帯端末を取り出し、見遣る画面で先ずは時間を確認——次にSMSのアプリケーションを起動。

 家族に向け、図書館に寄るので少し帰宅が遅くなる旨のメッセージを送信する。



(『図書館に寄って来る。夕飯までには帰る』——と)



 すると、一分も待たずに反応あり。

 送信主は母であり、メッセージの内容は『今日の夕飯は母が誠の妹と一緒に作った肉じゃがなので、あまり遅くならないように』と、概ねそのようなものであった。



(……早めに帰ろう)



 そうとなれば遅くなる訳にはいかない。

 好物の一つを食べられると知ってのささやかな喜びを感じてか、誠の口元が僅かに緩む。

 図書館で目ぼしい本を数冊見つけたら、すぐに貸し出しの手続きをすませて帰路につこうと誠は決意する。




「まもなく、——駅に到着します。お出口は左側です。まもなく……」




 車内に響く到着予告のアナウンス。

 慣れ親しんだ駅は目と鼻の先。

 座席の壁にもたれていた誠は身を起こし、出口となる扉の前に移動。

 その後まもなく、移り変わる外の景色は静止画となり、誠はその画の中に降り立つ。



(……寒い)



 肌を不快させる内と外の寒暖差。

 微かに白く染まる息を一つ吐き、誠は二階の改札へと繋がる階段式昇降機に乗り、電子定期券をかざしていつものように改札を出る。

 後は階段を下りれば駅の外だ。



(暑すぎるのも嫌だけど、寒すぎるのも苦手だ……)



 いつもならば家へ向かうために左側の階段を使用するが今日は図書館へ向かう用事があるため、右側の階段を使用する。

 電車を降りてから図書館でどのような本を借りるのか、ぼんやりと考えていた誠は軽快な足取りで階段を下り始め——そして。



(……)


(進路……)




(……進む、路——)




 一段、二段、三段と足を運び、四段目に足を乗せようとしていた、その——。




 ——"刹那"。




「————"!?"」





 突如——強烈な"浮遊感"が誠を襲う。





(なっ————)





 速度を緩める誠の時間、意識の流れ。

 瞳孔開き、肌を粟立たせ——"危機を告げるのは本能"。

 瞬間の中で状況を整理するも状況に心当たりはなく——しかし、

 夕飯の件で浮かれていたとはいえ、階段から足を踏み外したわけではない。

 ほぼ無意識だったが一段一段ステップを確かめて下りていたにも関わらず——"足場を離れる脚"。

 現実に"宙を舞う"——誠という一人の青年。



「く——っ……!?」



 一瞬に起きた事態の原因にやはり見当もつかず。

 だが、今はそれよりも先にすべきこと、この状況を脱することが最優先事項と言葉を介さずに判断した誠——横に向かって手を伸ばす。

 幸いにも青年は階段の端を下りていたため、その近辺には手すりがあった。

 その手すりに捕まりさえすれば、体のどこかを痛めたとしても重傷を負う事はないと考え、反射的に手を伸ばす。




(届、く————)




 間もなく指の触れる手すり。

 訪れる安心の瞬間。

 けれどしかし——間を置かず。




 ——これは一体、




(!!? ——)


(手すりが——"遠く"——っ!?)




 続けざまに——。

 "二度目の異常事態"が誠を襲った。

 まるで手すりが一人でに動いたかのように離れ——いや、混乱状態の彼には分からなかったが正確には"誠の体が移動して手すりから遠ざかって行く"のだ。




(——この——まま、じゃ——)




 誠の脳裏に浮上する——最悪の未来予測。

 同時に、奇妙な現象によって考えることを諦めたのか、誠の本能に合わせて戻る——時間の流れ。




(————)




 二度の予期せぬ出来事を発端として落ちる体。

 重力に身を任せ、成すすべなく、落ちて行き——。




(そ——んな——)




(まって——まってく、れ————)





 そして。





(まだ——なに——————)












 時間にして数秒。

 宙を舞った誠の体、今は下方に。

 階段の中腹に強く打ち付けられたそれは通常に人が発することのない鈍く乾いた音を立てながら階段を転がり落ち——最下段に辿り着き——沈黙。

 黄昏時、体温の失われ行く体、落命の瞬間を目にした者は















 青年の遺体を見下ろす場所——階段の頂点では。



















 

 

 光景に映らぬ

 ただ無音に——広がるのみであった。




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