第8話 姫、新しい味方を得る

 姉ちゃんが書斎にプリントアウトを取りに行こうとすると、体に戻ってきたソフィが、「カンナビダイセンセイノショサイ、ハイケンシタイデス!」と喰いついた。


「仕事は実際こっちでやってるから、書斎と言っても編集との打ち合わせや資料保管の場所だよ。まあソフィならいいけど」


 ということで、書斎に入る。俺も姉ちゃんの書斎は入ったことないな。


 うおっ!


 壁一面が本棚になっていた。姉ちゃんの著書はもちろん、膨大な数の本がある。主としてBLをはじめとする小説とコミックだが、歴史書や科学書、法律書、辞書の類、画集、写真集、紀行書、地図、雑誌……。何冊あるんだ? 日本のものだけじゃなくて洋書も多い。


 他には作家っぽいデスクとチェア。

 ソファとテーブル応接セット。それに大きめのレーザープリンター。スキャナとファックス電話との一体型だな。

 

 あっ、ソフィが興奮してる。お宝の山だもんな。


「コココ、コレヨマセテ、イタダイテモ、イイデスカ!?」

「別に構わないよ。どうせ泊っていくだろ?」

「ハニャ~~~!」


 ソフィが壊れた。目をハートにしながら、とりあえず姉ちゃん作の俺が持ってない本を取り出し始めた。

 俺が持ってないということは、ソフィも初見だ。

 でも、そんなにいっぺんに読めないだろ。


「泊っていいのか?」

「あんたもあの安アパートじゃ危険だと思ったんだろ? 今から不動産屋には行けないし、とりあえず今日は泊りな。通販アマテラスで買った下着も明日届くし」

「下着買ってくれたのか。ありがとう」

「ソフィにだよ。でも、あんたら、ちょっと不気味だね」


 俺は姉ちゃんと普通に話しているが、ソフィは興奮気味に体を動かして本をせっせと選んでいる。二人羽織みたいな動きだ。


「二人同時に体を制御したりも出来るのか。右に行くのと左に行くのと、行動の意思が反対になったらどうなるんだろう?」

「うーん、体は共有部だから、反発することはないんじゃないかな。同時に喋れないし」


 ソフィが会話に割り込んで俺がキャンセルされたしな。意志の強い方が優先されることがあるようだ。


「まあそうかもしれないね。ソフィに手伝ってもらおうと思ってたけど、これは自分でやろう」


 姉ちゃんはプリントアウトの束をデスクに置いた。

 すでにソフィは1冊目を立ち読みし始めている。


「いいのか?」

「愛読者には勝てないよ。楽しんで読んでくれているのに、中断させられない。辞書があるから、解析は一人でも出来る。それに、興味をそそられるじゃないか。魔法が本当にある世界! その秘密を自分が暴きたい。たしかにあんたが言うように、これは、面白い話だ。それに、問題はその先にあるからね」

電素セル魔法を現実世界で使う手段」

「そういうこった。それを見つけないとな。そうそう、あんたが説明した運動量保存コンサーベイション・オブ・モーメンタムの理屈、誤っているのには気がついてるな?」

「え?」

「なんだ、理解してなかったのか。だからあんたはアホなのだ!」

「ええ……」

「だって、反証があるだろ。そこに」


 と、姉ちゃんは俺を、ソフィの体を指さした。


「あ……」

「そうだ。こちらの世界に来たソフィのその体が反証だ。体には質量がある。あんたの運動量理論が正しければ、今頃あんたの安アパート付近は大惨事になってる。魔素マナがなくったって、物理的な破壊力になるからな」

「確かに」

「魔法は精神と魔素マナの結合とソフィは説明したが、それだってソフィの世界の定説にすぎない。定説が正しいかどうかはわからない。天動説が地動説に、万有引力説が相対性理論に取って代わられたように。量子力学ですら説明できない事実は多い。定説ってのは、あくまでも現時点で一番上手く物事を説明できる理屈というだけだ」

「は、はあ」

「ソフィがなぜ自分の体だけは重さにかかわらず転移出来るのか。ソフィがなぜ時空魔法特化で火魔法や水魔法が苦手なのか。そんなことも検討すべきだ。どうしてそうなるのか。そもそも時空魔法とは何を意味するのか。魔法というものの実態を深く知らねばならない。そうでなければ、電素セル魔法を現実で行使する方法は見つけられないよ」

「なるほど……」

「だが、運動量保存理論は最初の一歩としては悪くない。あんたもよく考えたね。そう解釈した後で、反証が見つかったんだし」


 ……昔からそうだ。俺はいつも姉ちゃんと比較され、その度にこうやって後で姉ちゃんに慰められるのだ。


「あ、ソフィ、ややこしい話でごめんね。それリビングに持ち出していいよ。座って読んでな」

「ハイ……」


 本から目を逸らさずにソフィは返事した。今のやり取り、あんまり聞いてなかったな!



◇◇◇


 ソフィが本を読むと、必然的に俺も読むことになる。

 姉ちゃんの小説はソフトBLだけど、男同士のそういうシーンは、もちろんある。

 脳内で勝手にソフィが読んでた時は気にしてなかったけど、今はライブだ。

 ちょうどそのシーンにさしかかっていた。


 なんとなく気まずい。


 姉ちゃんは書斎で何かやってるから、今はソフィと二人きりだ。脳内で。


 女の子が男同士のナニシーンを読みながら、どう感じるか、リアルタイムで俺に分かってしまう!

 これは意識を切っとかなきゃダメな状況じゃないか?


 うん? ソフィさんテンション変わらんな。

 読み始めてからずーっとテンション高めなんだが、そのシーンだから更に興奮するとか、その他の反応があるとか、特段ないな。

 女子ってそういうもんなんかな?


 セーフなような、残念なような……。


 それに、日本語で話すのがまだたどたどしい割には、読むのが早い。日本語って世界一文字が難しい言語じゃなかったっけ?

 漢字にひらがなにカタカナに。


 1冊読み終わって、2冊目が佳境に入ったころ、インターホンが鳴った。


『先生、こんばんは』

「編集の鶏冠井かいで女史だ。開けてやって」と、姉ちゃんが書斎の中で言った。


 鶏冠井さんはびしっとスーツを決めた若い女性だった。若いといっても30歳前後アラサーだと思うが、姉ちゃんや俺よりずっと若い。


 そんな鶏冠井さんも俺を見て固まった。


「なんてことでしょう。ここに女神さまが降臨している……」

「びっくりしただろ! 大概のことには驚かない鶏冠井が、本気で動揺してるな。初めて見たかも」


 姉ちゃんが書斎から出てきた。


「あ、先生、失礼しました。ドアが開いたらそこに女神さまを見たような気がして……ってやっぱりいる!」

「女神でも精霊でもないよ。そう思うのも無理はないが。それに普通の人間じゃないのは本当だしな」

「いやそうですよ先生。普通なわけないです。これが普通なら、他の人はミジンコになっちゃいます」

「そうなんだけど、そういうことじゃない」

「で、先生、この女神さまは」

「あたしの姪だ」

「先生に外国の親戚っていらしたんですか!?」

「説明するよ。鶏冠井、書斎に」

「姉ちゃ、……じゃない、おばさま。この方にお話しされるのですか?」

「ああ、鶏冠井は信用できる。それに役に立つぞ。あんたの好きなバリキャリだ」


 バリバリできるキャリアウーマンのことだ。

 リストラしていた頃、若くて出来る奴を残して、仕事をしない年配の部課長をバサバサ切っていた。

 バリキャリが好みだったわけではない。

 姉ちゃんの嫌味だ。


 俺だって、あの頃の俺がしていたことについては反省してるよ。

 後悔してもどうにもならないことだが。


「あんたも来い」


 ソフィは小説の続きをちょっと意識したが、何も言わずに従った。


 書斎のソファに座る。俺と姉ちゃん、向かいに鶏冠井さん。

 タイトスカートで低めのソファに座ると太もも辺りが気になる角度になるが、上手くテーブルで目隠しされていた。


 姉ちゃん、こういうとこ細かいな。


 鶏冠井さんは黒髪をひっつめてお団子にしている。だからおでこ全開。意志の強そうな切れ長の目。メイクはナチュラル。好感度高し。

 きちんとプレスされたブラウス。シンプルなジャケット。体型はスレンダーで胸も控えめ。まあ、ソフィに比べたら誰でも控えめだが。姿勢もいい。鍛えてますからって感じ。

 うん、確かに頼りになる部下って印象だ。秘書みたいだ。


「それで、先生、今日は新作のコンセプト固めの予定だったはずですが、姪御さんの女神さまは、一体どういうことなのでしょうか?」

「鶏冠井が混乱してるのも初めて見るな。彼女は椥辻なぎつじソフィーリア。私の弟の義理の娘、ということに

「ことにしている?」


 姉ちゃん、全部話す気か?


「戸籍上そうなってる。だがそれは、嘘だ。彼女の本当の名はソフィーリア・クリスチネ・フォン・ノイマン。異世界から来た王女で、魔法使いだ」

「先生、何を? あ、次回作の設定ですね? もう先生、人が悪いですね。これ、なんのドッキリ企画ですか?」

「本当のことだ。しかも、彼女の中にはあたしの弟、椥辻醍醐だいごの魂も同居している」

「弟さん? ああ、あの大手メーカーをリストラされたっていう……。あっ、失礼しました!」

「醍醐」

「ああ、姉ちゃんが全部話をする気なら、俺も地で喋っていいよな。鶏冠井さん、はじめまして。俺がリストラされた椥辻醍醐だよ」

「女神さまがやさぐれた!」

「いや、今はソフィじゃなくて俺が喋ってるから」

「ソフィ」

「カイデサン、ハジメマシテ。そふぃーりあデス。イマハでぃーごノ、ムスメデス」

「ひっ! いきなり丁寧な片言に! に、二重人格ですか?」

「違うよ。二心同体なんだよ」

「ああ、二心同体ですか。なるほど」


 それで納得するの!? なにそのジャンルそんなにメジャーなの!?


 姉ちゃんが、俺とソフィに起こったことを説明した。うん、めっちゃ上手に短く纏めている。さすがは人気作家だ。


「ふむ。しかし、証拠がありません。先生は弟さんだと納得されたのかもしれませんが、わたくしには先生の創作という線も捨てきれません」

「ソフィ、貴女の言葉で話してやってくれ。比較言語学専攻の鶏冠井なら納得出来るはずだ」

「わかりました。私の母国語でお話します。鶏冠井さん、私が今何を話しているかわかりますか? 甘南備台かんなびだい先生の創作は確かに素晴らしい。しかし、先生がおっしゃったことは創作ではなく事実です。魔法でこちらの世界へ転移して来ました。魂を合体させたままに」

「今のは古代エノク語? いや、違い……ますね。途中わたくしと先生のお名前がありましたが、それ以外はわからない単語でした。しかし、言語であるのは間違いないようですね。アニメで異世界語っぽく創作したのとは異なり、きちんとした文法が聞き取れました」

「さすが鶏冠井だ。それにこれだ」


 姉ちゃんはプリントアウトをテーブルに出した。

 鶏冠井さんがその束を食い入るように見る。いや、読む。


「先生、この文字列は。フォントはどうしたんですか!?」

「ソフィが電素セル魔法で創造した。フォントセット自体はAWSにアップしてあるから、ダウンロードすれば鶏冠井のパソコンでも使えるぞ」

「日本語辞書の方は?」

「これは、あたしのノートパソコンにしかない。秘密だからな」

「これは……、これはすごいです。全く未知の言語。そしてその一部とはいえ、すでに辞書が出来ている。これは大変な価値がありますよ、先生!」

「鶏冠井ならそう言うと思っていたよ。そしてこれは魔法を記述できる言語だ。完全に解読できれば、人類の科学技術に革命が起こる」

電素セル魔法に限っても、OSやプログラミング、セキュリティの概念が根底から覆ります。ましてや、現実世界で行使出来るようになれば……」

「信じるか、鶏冠井」

「信じます、先生」

「あたしら、世界の覇王になれるかもな」

「日本語訳は、解析が終わるまで決して誰にも教えない。そういうことですね」

「わかってるじゃないか。鶏冠井」


 二人してくくくと笑っている。鶏冠井さんの印象が……。

 悪の大幹部と中幹部的な趣きになってきた。姉ちゃんのノリに合わせてるんだろうけど。

 それにしても姉ちゃんが頭いいのは知ってるが、それについていける鶏冠井さんもすごい。

 姉ちゃんが信用してるし、役に立つと言った意味が分かってきた。


「その解読はあたしがやる。鶏冠井には別に頼みたいことがある」

「なんでしょう、先生」

「編集部のコネで、芸能事務所を設立したい」

「うちの会社、メディアミックスを推進していますから、芸能界には太いパイプがあります。が、新しく作るんですか?」

「ああ、ソフィ専用の事務所だ。ソフィはどうやっても目立つ。なら、はじめから有名人になる方がいいだろう。ソフィレベルになると、世間に顔が知られた方が安全だ」

「まぶしい太陽は秘密を隠すにはもってこい、という理屈ですね」

「ああ、ソフィが異世界人だということは、鶏冠井にしか話していない。先々取材に備えて、カリブ海のノイマン王国はもう少し手を入れておく必要があるが、異世界から来たという秘密にたどり着くことはないだろう」

「でも、アンダーな事務所に目を付けられたらかなわないのはわかりますが、事務所をわざわざ作るというのは? クリーンな事務所をいくつかご紹介できますが」

「ほかに所属がいると、なにかと大変なことになりそうだろ?」

「ああ、確かに。ソフィと同じ事務所だと他のタレントがかすんじゃいますね」

「やっかみやいじめも困るしな。だから単独事務所を作りたいんだよ。節税のためにも」

「そうですね。女神さまの写真をいただいていいですか? 知り合いを当たってみます。筋を通しておかないと、事務所自体が業界からいじめられますからね」

「ソフィの自撮りでいいか。……今メールしたぞ」

「自撮りですか……ってなにこれ! 写真上手うまっ! 即壁紙に!」

「じゃあ頼んだぞ、鶏冠井。それともう一つ、ソフィのうちを用意してくれ。安全な場所を頼む」

「そちらも心当たりがあります。了解しました。ところで先生……」

「なんだ?」

「この計画プロジェクト、すごーーく面白いのですが、一つだけ問題が」

「なに? どこに問題が?」

「BL要素が、どこにもありません」


 話を真剣に聞いていた俺は、また脳内でずごーっと滑った。


 結局異世界二心同体系のBL小説のプロットを姉ちゃんがでっち上げ、鶏冠井さんはそれを編集会議に上げることした。

 父親と義理の息子の愛の苦悩を取り入れた。らしい。

 義理とはいえ、近親BLは姉ちゃん初の挑戦だ。

 きっと会議で評判になりますよ! と鶏冠井さんはにこにこして帰っていった。

 もう午後11時だ。

 出版社はほんとブラックだなあ。泊り用の歯ブラシがここにあるくらいだもんな。


 がんばれ鶏冠井さん!



◇◇◇


(甘南備台先生の企画みたいに私がディーゴの体に入っていればよかったです。そうしたら、『くっ、これはとうさんの体だ! 俺が傷つけるわけには!』とか出来たのに……)

(いや、ソフィ女だから。BLにならんから)


 それにソフィが俺の体だったら、それこそ救急隊員が言ってた国家レベルの損失だよ。


「ああ、心地よい疲労感だ。ほんとに面白いことになりそうだ。醍醐、ソフィ、ありがとな」


 シャワーしてパジャマに着替えた姉ちゃんがビール片手にリビングにやってきた。

 ソフィも、メイクを落として姉ちゃんのパジャマに着替え3冊目を読んでいた。

 サイズが合ってないから、おへそが見えそうだし、袖も裾も七分丈になってるけど。


 あっ、着替える時は意識を消していたぞ。下穿きも脱いだからな。

 そう、ソフィは今パジャマしか着ていないのだ!

 透けてるわけじゃないが、あれやこれやが生地にこすれる感覚は俺にも伝わる。

 な、なんかさわさわして、気持ちがいいような恥ずかしいような。

 しかしこれは我慢するしかあるまい。ソフィと姉ちゃんの手前!


「あんたも飲むか? 醍醐」

「姉ちゃん、俺今16歳なんだけど。しかも芸能界デビューするんだろ? 飲酒スキャンダルはまずいだろ」

「それもそうか」


 いや、飲みたいけどね。姉ちゃん飲んでるのプレミアムビールだし。いつものストロングとは違う。


「鶏冠井はあんたらの新しい味方だ。安心して任せていいからな。でも醍醐」

「へ? 何?」

「手出したらあかんぞ」


 出さねーよ!

 って出しようがないよ! 出すもんないもん!

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