第9章

 朝六時ごろに目が覚めた。しかし、八時をまわっても、まだ布団の中にいる。

 この二時間、したことといえば、朝食時の話題のストックと、シミュレーションを少し。あとはたんたんと細竹の藪をすいた。


 八時半になったら下へ下りよう。そう覚悟を決めた。

 しかし駄目だった。

 次の目標を九時に設定した。

 やはり駄目だった。


 結局、僕が下へ降りたのは十時に近かった。父は僕の姿を見るなりテレビを消し、「おはよう」と言った。僕も「おはよう」と返す。寝坊したとかなんとか、言い訳を用意していたけれど、言わなかった。

 母は、朝食の支度をすべきなのかどうか、迷っている様子だ。ソファの前のテーブルには茶碗が伏せて置いてある。


「お昼は、ちょっと早いめにしましょうかね」と母が笑って言った。


 三人で居間のソファに腰掛け、閑談が始まる。

 話題のストックはものの五分で尽きた。

 まったくシミュレーション通りにいかなかった。


 母が中座して食事の支度を始めた。

 父と二人っきりになった僕は、聞き手に徹して、父からいろんな話を引き出そうと試みる。父に関してあまりにも無知だとひかれてしまう恐れがあるので、ある程度知っている体で話した。もちろん本当は何も知らない。

 三人よりも、二人で話す方が、僅かではあるものの話が弾む。

 思うに、母のあの呟くような物言いは、対処が難しいのだ。はっきりと質問されているわけではないので、どう処理していいのかわからない。

 何にせよ、僕は聞き手に回った方が良いのかもしれない。


 早めの昼食をとっている最中、二人から買い物に誘われた。行くべきだろうとは思ったけれど、疲れを理由に断った。

 疲れている、というのは嘘ではない。ただし、肉体よりも精神的疲労の方がはるかに大きい。


 僕だけおかずが一品多い。このアジのひらきは、朝食で僕が食べるはずだったものだろう。

 昨日の夜に続いて、また味噌汁が出た。この家では毎食味噌汁を飲むのだろうか。

 僕はこの味噌汁の味に憶えがなかった。この家で味噌汁を飲んだ記憶がなかった。

 この家に住んでいた頃の僕の主食はシリアルだった。朝は必ずシリアルに牛乳をかけて食べた。常に数種類のシリアルが戸棚にストックしてあり、その中から好きなものを選んで、朝以外にもよく食べた。

 物心がついてから中学を卒業するまでの間、僕がこの家で口にしたものの大半をシリアル、牛乳、ヨーグルト、コーヒーで占めた。

 あとはミニトマトと果物、そしてダイニングテーブルの上に常に置いてあった何かしらの惣菜を、気が向いたら抓んだ。

 また、家では米とパンを食べなかった。食べたことがある、という程度だ。だから、納豆も味付け海苔も鮭フレークも、ごはんなしで食べていた。

 ジャンクフードの類もほとんど口にしなかった。まれにテーブルの上に置かれているポテチなどのスナック菓子を食べるくらいだった。

 そこそこ偏った食生活だったかもしれないけれど、不思議と好き嫌いはなかった。学校給食でも苦手に感じたのは、レバーとセロリくらいで、それも食べられないというほどではなかった。


 初めて調理をしたのがいつだったか、定かでない。確か、小学三年生の頃には、素麺くらい自分で茹でていたように記憶している。同じ頃、ホットケーキも焼いていた。

 高学年になると、お好み焼きを焼いたし、リンゴも剥いた。

 ただ、台所に立つ回数はそれほど多くなかった。手間と時間をかけてわざわざ作らずとも、シリアルかヨーグルトで満足だった。

 そういえば、一時、お菓子作りに凝ったことがある。クッキーに始まり、プリン、マドレーヌ、シュークリーム、チーズケーキと、徐々にランクアップしていった。あれもまだ小学校を卒業する前だったのではなかったか。今では苦手になった甘いものだけれど、その頃は好んで食べていた。


 作ったものはひとりで平らげた。親に味見してもらおうとか、分けてあげようなんて発想は、当時の僕には微塵もなかった。

 優しさとか、食い意地の問題ではなく、そもそも親が見えていなかったのだ。



 二人が買い物に出かけ、居間にひとり残されると、僕はほとんど無意識にテレビをつけた。正午のニュースがはじまり、年越しの話題が流れ、今日が大晦日であることを知る。

 十五年前のこの家のテレビには、限定的な双方向機能しかなかったけれど、いま僕が見ているテレビはかなり多機能のようだ。それがわかって、僕は不安を覚えた。架空請求や詐欺のメッセージが届いているのではないか、と。高齢者を狙う特殊詐欺犯罪は、手を替え品を替え、いまだ後を絶たない。

 リモコンを操作して、受信一欄を覗いてみる。数はそれほど多くない。怪しいメールもなさそうだ。

 しかし意外なものを発見した。送信者の中に、僕が通っていたカルチャーセンターの名前があるではないか。しかも『里帰り講座』と併記されている。日付は半月前、最終講義の翌日だ。

 そういえば、受講にあたって、アンケートに答えた際、実家の連絡先を記入する欄があった。


「これが目的だったのか……」


 僕はおそるおそるファイルを開いてみた。

 堅苦しい挨拶の後に『里帰り講座』の趣旨について説明があり、〈ご子息が当講座を受講なさっております〉とある。

 次いで、帰省する子供を迎えるにあたっての注意事項が、事細かに記されていた。


・過度の歓待をする必要はありません。普段どおりの生活をしてください。家は旅館ではありません。客を迎えるようにご子息と接してはいけません。


 昨日、僕の顔を見たときの両親のリアクションが乏しかったのは、これを意識してのことだったのか。いや、それは勘繰り過ぎか。演技をしているようには見えなかった。

 いずれにしても、もともと感情を表に出さないうちの両親のようなタイプには、余計な忠告でしかない。


・ご子息はあなた方を観察します。しかし、無理に威厳を示そうとしたり、尊敬される存在であろうとする必要はありません。理想の両親を演じることなく、自然体でいてください。


・名前を呼んであげてください。「さん」付けはかまいませんが、「くん」や「ちゃん」はやめましょう。


 そういえば、まだ一度も名前を呼ばれていない。僕も両親を呼んでいない。父上、母上に代わる呼び方を決めかねている。向こうも僕をどう呼ぶか、決めかねているのかもしれない。


・四六時中一緒にいる必要はありません。適度にインターバルを挟むことをお勧めします。肩の力を抜いて、気楽に接することを心がけましょう。


・散歩やドライブに出かけてみてください。買い物、外食、観光、挨拶回り等、目的は何でもかまいません。目的がなくてもかまいません。


 昨日の外食は最初から仕組まれていたのだろうか。いや、毎年この時期になると食べに行くと言っていたではないか。偶然だ。疑心暗鬼は良くない。


・共同作業をしましょう。一緒に料理を作る、家の掃除をする、車を洗う等、日常の仕事でかまいません。


・共通の話題を見つけましょう。自分の趣味を勧めてみるのもいいかもしれません。


・同じものを食べましょう。鍋料理がお勧めです。


・犬や猫がいると場が和むだけでなく、御子息とコミュニケーションをとるきっかけになります。室内で飼えるペットの方が望ましいでしょう。


 その他にも、挨拶の重要性、目を見て会話することの心理的効果など十項目ほどある。大半は講義の中で西野先生が我々にしたアドバイスと同じだった。僕自身、これを読むことで西野先生のアドバイスを再確認できた。

 最後に連絡先番号と〈担当・西野〉の文字があり、通話をした記録も残っていた。両親と西野先生が何を話したのか気になるところだけれど、先生なら見当違いのアドバイスをすることはあるまい。しかし、どうせなら、僕が手紙を送ることを教えておいてほしかった。


『諸君の親御さんは、子供との接し方がわからず、愛情表現が苦手』──西野先生がそう言っていたのを思い出し、テレビを消した。

 決して心が通わない相手ではない。お互い不器用なだけだ。

 もう少しがんばってみようと、僕は決意を新たにした。


 このインターバルに英気を養い、次のラウンドに備えるべく、僕はソファに横になって目を閉じた。そして細竹の藪をすきながら、両親との会話をシミュレーションした。



 二時になると、家の前の坂を下って、ブルーベリーの前栽があるお宅のインターフォンを押した。そして、出てきたご主人に、両親への土産のうちの一つを手渡し、あらためて幼少期の狼藉を詫びた。


「わははは、こんなんせんでもええのに。ハルトくんは知らんやろけど、うちの方がいっぱいもろてんねんで、昔から。柿やらミカンやら、なんやらかんやら」


 僕は、土産を渡したらすぐに辞去する心算でいたけれど、思い留まって、この十五年の両親の暮らしぶりをそれとなく尋ねてみた。


「日々、たんたんと暮らしてはったわ。大病を患うでもなく、事件や事故に巻き込まれるでもなく。そうそう、お父さん、四年前に会社を定年退職しはったやろ? そのあとすぐ、三年連続で町内会長やってくれはったんよ。通常は一年で交代なんやけどな。助かったわ、ホンマ。あとは、そやなあ、これといって何もないなあ。十五年前にハルトくんが出て行ったんが、二人にとっては一番おっきい出来事なんちゃうやろか」


 意外な事実も判明した。


「ハルトくんについても、東京でがんばってる、ってゆうてはったで」


 父と母は、僕が東京にいることを知っていたのだ。

 あたりまえか。大学の学費を支払っていたのは両親なのだから、知らないずがない。そんなことにさえ思い至らなかった自分が情けない。

 両親のことを僕は空気のような存在としか思っていなかった。いや、思ってすらいなかった。なにせ、今年の八月まで、存在を意識することがなかったのだから。

 自分はひとりで生きてきた、なんて驕りこそないけれど、親の存在を意識せずにいたというのは、それに等しいではないか。驕っていたも同然だ。

 僕は、父と母に育てられたのだ。何不自由なく。

 衣食住を提供され、小遣いを与えられ、学費を支払ってもらった。

 生んでもらい、名前を授けられ、家系図の末端に位置している。

 人間はひとりでは存在し得ないのだ。僕はそのことをもっともっと強く認識しなければならない。



 日没間際に二人は帰宅した。


「たいへん! たいへん!」


 家に入るなり、母は階段を駆け上がって行く。

 何があったのかと、僕は玄関まで行ってみる。開けっ放しの扉から外を見て事情がわかった。雨が降ってきたのだ。母は洗濯物をとり込むために二階へ上がったのだろう。


 遅れて、父が両手いっぱいに荷物を抱えながら入って来た。玄関マットの上に荷物をどさりと置く。二日連続で何をそんなに買うものがあるのかとあきれるほど多い。

 僕は三和土に下りて、扉を閉めると、台所へ荷物を運ぶのを手伝った。こんなささやかな共同作業でも、距離が縮まったように感じる。

 まともな親子は日常的に、こんななんでもない共同作業を繰り返し、絆を補強しているに違いない。結局はこれの積み重ねなのだ。咲良さんが夢見る一発逆転の非日常的事象なんかに僕は期待しない。


 母は一階に下りて来ると、すぐ台所に立った。夕飯の支度の手伝いという共同作業が頭を過るが、行動に移すまでには至らなかった。今の僕にはまだハードルが高い。


 夕飯までの間、ソファに座って父と話をした。僕はまた聞き役にまわる。しかし午前中ほど話が弾まない。共通の話題も見つからない。

 母がカセットコンロを持って来て、リビングテーブルに置いた。せめて配膳くらい手伝おうと、僕はソファから腰を上げる。

 台所に入ると、すきやき鍋があった。さっき読んだ『里帰り講座』からのメールに、鍋料理が推奨されていたことを思い出す。二人はそのアドバイスに忠実に従っているのだろう。生真面目さが伝わってくる。

 この里帰りを成功させたいという想いは、僕だけではないのだ。


 しかし、想いが強すぎるためか、すきやきが始まっても、空気は重苦しいままだった。会話はなく、鍋のぐらぐら煮え立つ音だけがいつまでも部屋に響く。テレビがついていない分、なおさら音が際立つ。見るからに高そうな肉も、味がちっともわからない。

 二人はいつもこんな感じなのだろうか。それとも僕がいることで、こんなお通夜のような雰囲気になってしまうのか。だとしたら僕は邪魔者でしかない。


 室内にまで雨音が聴こえてきた。どうやら本降りになったようだ。鍋の音に雨の音が加わったのに、さっきよりも一段と静かに感じる。

 息が詰まるような苦しい時間に堪えかね、風呂に入った。逃げ込んだといってもいい。

 貴重なインターバルだけれど、次のラウンドに備えることはしなかった。話題のストックも、シミュレーションも、そして藪をすくことも。


 雨が強く降っている。

 どこに当たっているのか、金属的な雨垂れの音が一定のリズムを刻む。

 そんな雨垂れの音に耳をすましながら、何も見ず、何も考えず、ただただ湯に浸かった。



 風呂から上がると、居間のテレビがついていた。紅白歌合戦だった。なんだか拍子抜けした。

 母は台所で洗い物をしている。僕はソファに腰を下ろし、父と二人でテレビを眺める。会話はなかったけれど、気は楽だった。

 楽だけれど、同時に苛立ちを覚えた。

 父と母はもう諦めたのだろうか。それともこれは、二人にとってのインターバルなのか。

 テレビは消されることなく、会話もなく、時間だけが過ぎる。


 今日は大晦日。この辛く虚しい時間が年越しまで続く可能性がある。そんな僕の嫌な予感を察したかのように、洗い物を済ませた母が、居間に入って来るなり呟いた。


「さあ、明日は早起きして、お節を作らないと」


「え? お節料理って、家で作れるものなの?」


「あなたがこの家を出た翌年から作ってるのよ。もう十五年めね」


 これが今夜母と交わした唯一の会話らしい会話だった。

 そして、名前ではなく「あなた」と呼ばれた。名前を呼ぶことに抵抗があるのだろうか。


 八時をまわったところで、僕の我慢は限界に達した。「少し休みます」と言って、一旦、二階に上がる。インターバルが必要だった。

 この時点では、もう一度下りる心算でいた。しかし、自室に入り、ベッドに突っ伏すと、そんな気は失せていった。

 すべてを投げ出したい気分だった。僕の心は折れかけていた。


 聡ちゃんは「特別なことじゃない」と言った。

 西野先生は「なんでもないこと」と言った。

 しかし僕にはそうは思えない。聡ちゃんにしたって、お盆の帰省で、親と絆を結び直してきたようにはとても見えない。

 僕は旅館の経営者や女将との方が、よほど良好な関係を築く自信がある。


 やはり親は特殊な存在なのだ。袖が触れ合っただけの縁とは違う。行きずりの人と仲良くなるようにはいかない。

 二日間でそのことを思い知った。三十年間お互い関知することなく生きてきたのに、たった数日で親子になろうなんて、土台無理な話だったのだ。


 雨は激しさをまし、あらゆるものに叩きつけている。けたたましい雨音が部屋を満たし、僕の心を掻き立てる。

 予定を繰り上げて、明日の朝早くに帰京しようか。本気でそう思った。

 どうせここにいたって、今日と変わりばえしない一日になるに決まっている。

 僕には楽観的になれる要素が何一つない。

 さっきからつきまとう絶望感を、これ以上無視することはできない。

 こんなことなら、帰って来るんじゃなかった。僕にはまだ無理だったのだ。

 いや、僕にはもう、無理なのかもしれない。


    第9章 完

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