第5章

 二週めの講義の日。

 僕は先週よりも一本速いバスに乗った。黒髪の咲良さんと乗り合わせることを期待したけれど、車内に彼女の姿は見当たらない。

 新宿方面からくる場合、鉄道ダイヤの関係で、先週と同じバスにはならないことがわかった。もちろん、バスを一本乗り過ごして、停留所で待てばいいわけだが、そんな待ち伏せみたいなことをするつもりはない。


「デンっていう秘書アプリ、憶えてない?」


「デンかあ、あったなあ」


 すぐ後ろの座席から、大学生と思しき男二人の会話が聞こえてきた。気になるワードが出てきたので、つい耳を傍立ててしまう。


「どうしてあれデンっていうか、知ってる?」


「そりゃ、電子頭脳とかの電でしょ」


 僕もそう思う。電脳の電。


「あれさ、お尻って意味なんだって」


「お尻? 何それ、何語?」


「臀部の臀だよ」


「臀部の臀? ってか、何で尻なの? 尻である意味が……ああ!」


 ああ!


「気づいた?」


 気づいた。


「マジ? 対抗してるってこと?」


「べつに張り合ってるわけじゃないと思うけど。まあ、ただのシャレでしょ」


「へええー」


 へええー。


「あんま知られてないよな、これ」


「知らない知らない。ってか、まだデンに秘密あったのかよ」


「ははは、確かに」


「俺、気付いた時、ブチ切れたし」


「あれ? 知らずに使ってた人?」


「マジ裏切られたわ」


 デンちゃんに裏切られた?



 ジャージ姿の集団に続いて、僕はバスを降りた。警備員の爺さんの視線に堪えながら、正門を通る。ピロティの手前で、前を歩くジャージの集団が、校舎へ続く道から逸れ、体育館の方へと向かう。皆、バドミントンのラケットを手にしている。


「キュキュ」

 校舎に入ると、人気がないのを確認して呼びかけた。

「デンの秘密ってわかる? 秘書アプリのデン」


「mimi そんなもん、わいの口から言えるかいな。タブー中のタブーやわ」


「そっか。そうだろうな。まあいいや、うすうすわかってはいるんだ」


「ほなら、訊きな」


 何も秘密というほどのことはない。

 デンちゃんは、利用者の情報を集めて、自社に報告しているのだ。利用者との会話、検索履歴、購入履歴、移動ルート、その他ありとあらゆる情報は吸い上げられ、ビッグデータに吸収される。あるいはデータ会社に送られたのち、分析され、利用者の趣味嗜好から思想に至るまで割り出される。そして二次利用されるのだ。

 しかしこれは、デンちゃんに限ったことではない。程度の差こそあれ、どの秘書アプリも同じことをしている。キュキュが答えにくいのはそういう理由だろう。


 デンちゃんは子供用アプリなので、使っているのはほとんどが何も知らない子供たちだ。事実を知ったときのショックは、大人よりもはるかに大きいはず。それがデンの裏切りという表現になってしまうのではないか。

 僕の場合は、歳を重ねるにつれ、だんだん世の中の仕組みを理解し、秘書アプリの裏の仕事にもだんだん気づいていった。ある日突然、悪事の全容を知った多感な年頃の小中学生に比べれば、受けた衝撃は比較にならないほど小さい。デンちゃんに対する印象の違いは、そのへんにあるのだと思う。


 データが具体的にどのように使われているのか、僕は知らない。もちろん裏社会で悪用されるのは堪ったもんじゃないけれど、たとえば警察の捜査に利用されるのなら、むしろ望むところだ。

 犯罪を犯す人間なら困るのだろうが、僕は困らない側にいる。そういう自負が僕にはある。それ故、僕になにかしらの嫌疑がかかった際、僕のデータは僕の身の潔白を証明するのに一役かってくれるはずだ。

 そんなわけで僕は、秘書アプリによる個人情報の漏洩はさほど気にしていない。いまの時代、これくらいは当たり前のことだと割り切っている。



 咲良さんは、講義が始まる一分前に入室した。先週と同じバスだったのだろう。

 一分後に扉を開けて入って来たのは、西野老人でもキツネ目のおばさんでもなく、深緑の分厚いニット帽を被り、黒髭をこれでもかと蓄えた、恰幅のいい男だった。きこりのようだと思ったのは、僕だけではないはずだ。冊子によれば、熊田という動物行動学者らしい。名は体を表すという諺を体現するような風貌だった。


 あっさりした挨拶のあと、熊田氏は様々な動物の生態を紹介する映像を流した。

 口の中で稚魚を育てる魚、おたまじゃくしをおぶって育てる蛙、極寒の地で吹雪に曝されながら卵を温め続けるペンギン、キタキツネの巣立ち、カッコウの托卵。熊田氏の解説を聴きながら、これらの映像を見た。


 一本めが終わると、熊田氏はたて続けにもう一本映像を流した。今度は野生の厳しさを知らしめるショッキングな場面が幾つもあった。

 捕らえられた我が子を救うべくチーターに立ち向かうインパラ、新しく群れのボスに君臨したオスライオンに殺される幼いライオン、我が子を守るべく必死で抵抗するメスライオン。その他にも、子を亡くす親、親を亡くして野垂れ死ぬ子がたくさん出てきた。


 最後に映し出されたのは、人間の親子だった。動物園で檻に近づきすぎた幼い子供が、チンパンジーに腕をわし掴みにされ、檻の中へと引きずり込まれそうになる。我が子を救おうとする両親とチンパンジーが子供を引っ張り合うさまに、皆息をのんだ。

 一時限めは、これらの映像を見て終わった。


 二時限めは、さっき見た映像について、皆でディスカッションを行った。担当は西野老人だった。

 僕は自分の意見に自信がなかった。他の人たちもそうだったと思う。自分たちの解釈は、世間一般の人たち、正常な人たちの解釈とくらべて、少しズレているのではないか、と。

 その不安を拭ってくれたのは、西野老人だった。彼は、誰の意見も否定しなかった。誰かの意見を補足する形で、自分の意見を付け加えた。まるで僕たち自身が完璧な意見を述べたみたいに錯覚させられた。そんなふうにして僕たちは、少しだけ西野老人に自信をつけてもらった。

 今まで雲を掴むような存在でしかなかった親という幻が、その輪郭をぼんやり現してきたような気がする。

 これも錯覚だろうか。



       *



「里帰りって、なんだろ」


 三週めの講義に向かうバスの中、いちばん後ろの座席に座る僕は、西の空を眺めながら、無意識にそう呟いていた。


「mimi 里帰りっちゅうのはやな、帰省とか、帰郷のこっちゃ。せやけど、もともとは、嫁いだ女が実家に帰ることに限定して使われとった言葉みたいやな。せやから、あんさんが実家に帰っても、厳密には里帰りとはいわんっちゅーこっちゃ。まあ、いまではそれも慣用的にOKってことになっとるけどな。これでええか? なんや知らんけど、カルチャーセンター行くときのあんさん、めっちゃメランコリックやな。ホンマやったらイジリたおしとるとこなんやけど、気の毒でそんな気にもならんわ。もうやめた方がええんちゃうか? 里帰り講座」



 一時限めの講義は、映画を見ることから始まった。著作権の関係なのか、非常に古い白黒の短編映画だった。何でも第二次世界大戦時に、アメリカ軍が敵国日本についての理解を深める目的で制作したフィルムだそうだ。

 内容は、親の反対を押して結婚を決めた娘が、父親に勘当されるというもの。母親は当初、父親と一緒になって娘に結婚を諦めるよう説得していたが、終いには娘を追い出さないでくれと父親に懇願し始める。それでも父親は頑なに娘を許さない。しかし、娘が出て行く前の晩、誰も見ていない隙に娘の着物の袂へ、そっとお金を忍ばせる。娘に辛くあたる父親も実は娘の事が心配で仕方がない、という意味なのだろう。

 セリフは一切無く、全篇に渡って英語の解説ナレーションが入り、それを訳した日本語字幕が付けられていた。なかなか興味深い映画だった。

 このフィルムを撮影した人たちも、よもや百年後にこんな目的で上映されようとは、想像だにしなかったろう。そう思うと、なおのこと面白かった。


 見終わると、明らかに僕よりも若い男性が、フィルムについてありきたりの解説を行った。時代背景や当時の慣習などについてだ。

 この人は、ただの短編映画コレクターらしい。常に顔が綻んでいるのは、自慢のコレクションを披露できて嬉しいのか、それとも教壇に立つことが気恥ずかしいのか。


 このあと、もう少し新しい短編映画を二本見て、同様に解説を聞いた。そして二時限めに、先週と同じく西野老人のもと、さっき見た映画について皆でディスカッションを行った。

 意外だったのは、劇中の父親の行動に理解を示さない人が多い中で、一番若いピン髪の加藤さんが、父親を擁護したことである。西野老人も、父親がいかに娘を思っていたかについて自分の解釈を述べ、また母親の心情についても、本人から直接聴いてきたかのように詳しく述べた。

 最後に、教材となり得る映画、ドラマ、アニメ、小説を紹介し、時間があれば見たり読んだりするに、と言って講義を終えた。



     *



「mimi 何読んでんねんな?」

 四週めの講義に向かうバスの車中、キュキュが姿を現す。

「最近のあんさん、えらい読書家やな」


 僕は、先週西野老人に教えてもらった小説を読んでいた。これで三冊目だ。その他にも、古い映画を二本と、テレビドラマを見た。


 ドラマは、主に北海道を舞台とする一九八〇年代から二〇〇〇年代にかけての、長い長い作品だった。主人公の男の子は、父親に対して敬語を使い、よそよそしい態度で接する。僕も自分の父親に会ったとき、こんな感じになってしまうのかと思うと、胸がざわざわした。

 この作品は二十年続いたそうだ。二十年後、男の子は父親とどんなふうに接しているのだろうか。まだ見終わっていない。



 一時限めの教材には、漫画が用いられた。すべて二〇世紀の漫画だった。

 親子のあり方や家族愛について描かれたシーンが幾つかピックアップされ、プロジェクタの映像を見ながらキツネ目のなんちゃらストラテジストの解説を聴いた。心理学に基づく意見もちらほら述べた。もっともらしく聞こえるけれど、あくまでこの人の見解である。他の心理学者に言わせれば、また違った意見になるだろう。鵜呑みにするつもりはない。

 僕は心理学に対して、偏見を持ち過ぎだろうか?


 二時限めには、いつものように西野老人のもと、ディスカッションが行われた。いままでで最も活発に意見が交わされたけれど、三十分経ったところで西野老人によって打ち切られた。


 残りの三十分は、手紙の書き方についての講習が行われた。親に手紙を出せというのである。

 西野老人は、電子メッセージと肉筆の手紙とでは、まるで別物であると言った。僕はその言葉がすんなり腑に落ちた。今年の盆に、従兄の聡ちゃんから手紙を受け取っていたからだ。

 さらに西野老人は、予行演習として友人知人に宛てて手紙を書くよう言った。なるべくなら交流の途絶えて久しい人、そしてできるだけ多くの人に書けとも。


久しく会っていなくて、手紙を送れるような間柄の人物を、僕はひとりしか思い浮かべられない。春輝くんとは小学六年からだから、かれこれ十八年来の付き合いということになる。彼は僕より一つ年上で、北海道の留萌に住んでいる。


 春輝くんと僕は、かつて何年もかけて一緒に世界中を旅して周った。出会ってすぐのことだ。道中、武器を交換したり、ドラゴンと戦ったり、ともに城を攻めたり、時として命を救ったり救われたりした。彼とはオンラインゲームで知り合ったのだ。

 僕はネット上でたくさんの人と出会ったけれど、大半がその場限り、もってせいぜい数週間のお付き合いで、今日まで友好関係を持続ているのは彼ひとりしかいない。


 未だに生の春輝くんと対面したことはない。オフ会をやるには距離が遠すぎた。

 初めて彼の顔を見たのは中学二年の夏、PC用の外付け型3Dプロジェクタを買ったときのことだ。そしてそれが、僕たちがお互いの顔を確認した最初で最後ということになる。

 春輝くんの顔は僕の想像とかけ離れていた。僕は従兄の聡ちゃんの様な精悍で男っぷりのある面構えを思い描いていたのだけれど、実際の春輝くんは童顔で、おまけに随分華奢だった。

 だからといって彼の印象が悪くなったわけではない。春輝くんと僕との間には、ともに幾多の修羅場を乗り越え、喜びを分かち合った者同士だけが築くことのできる、揺るぎない信頼があった。彼は僕を裏切らなかったし、僕も彼を裏切らなかった。

 例えば春輝くんが約束の時間にログインして来なくても、そこにはきっとやむにやまれぬ事情があるに違いない、と僕は信じた。たとえ、彼による背信的ととれる行為が、僕に甚大な被害を齎したとしても(そんなことは一度もなかったけれど)、あとあと謝罪や釈明を求めるようなことはしなかったろう。自信を持ってそう断言できる。

 引き合いに出すのは不適切かもしれないけれど、ある意味、さくらよりも篤い信頼関係にある。


 中学の卒業式があった日の夜から翌日の昼にかけて、オーガスタをラウンドしながら大いに語り合った。それが春輝くんとゲームをした最後の思い出になった。僕が入った高校の学生寮は原則ゲーム禁止だったため、以後はSNSでやり取りするだけの仲になった。

 寮内では自分の携帯端末を自由に使えなかったので、電算室でメッセージを打った。必然、僕が打ったメッセージに、彼が返信を寄こすというかたちになった。日記をつけるように毎日必ず送った。そして必ず返事が来た。大学に進んでも、社会人になってもやり取りは続いた。


 その春輝くんとSNS上の会話をやめて、かれこれ五年になる。別に仲違いしたわけではない。彼が結婚したのだ。

 僕は、いや僕らは二人とも、そんなことくらいでお互い連絡を取らなくなるなんて思ってもみなかった。この先もずっと交友は続き、親睦はますます深まるものだと確信していた。にもかかわらず連絡はあっけなく途絶えた。

 理由は僕の気遣い、というか、気詰まりだった。新婚家庭にずかずか割り込むほど、僕は無粋な人間ではないのだ。



 一夜明けた日曜日の午前中、僕は途中になっていたテレビドラマを最後まで見てしまう。二十年後の主人公とその父親の関係は、まずまずうまくいっているようだ。少年時代の他人行儀が完全に消え失せたわけではないものの、冗談を言い合って大笑いするシーンもあった。僕はほっと胸を撫で下ろすことができた。


 昼食のあと、封筒と便箋を買うため、近所のコンビニに赴いた。しかし、封筒こそあれ、便箋はさすがに置いておらず、仕方なしに大型総合スーパーまで足を伸ばした。

 家に帰って、さっそく便箋と向き合う。しかし、いざ白い便箋を前にすると、何を書いていいものやらさっぱり分からない。打つことと書くことがこんなにも違うなんて、思ってもみなかった。

 一旦ワープロで打ち出して、それを便箋に写すというやり方が楽なように思えたけれど、西野老人の言いつけ通りやめておいた。それでは肉筆で書く意味が半減してしまう、とのことだった。


 最近会ってないけど元気でやっているか、奥さんとはうまくいっているか、面白いバーチャルタウンを見つけたから、近いうちに散策してみないか──そんなとるに足らないことばかりを便箋二枚に、あまり綺麗な文字とはいえないものの、なるべく丁寧に記した。いささか婉曲な文章になったのは、書く事がなくてついつい箇条書のようになってしまうのをごまかすためだ。

 ひとつ、書こうか書くまいか、さんざ悩んだ挙句、付け足した件がある。


 両親との関係はうまくいっていますか?


 僕は知りたかった。僕とよく似た感覚を持ち、おそらく僕と同じ様な境遇で育った春輝くんの、今現在の親子関係を。

 もしくは、自分と同じであることを確認して、安心したかっただけなのかもしれない。


「キュキュ。今、留萌の友達にメールを出したんだけど、いつ届くかな?」


「mimi 留萌やろうがハノイやろうが伊野波やろうが、一瞬で届くわ」


「いのは? いや、電子メールじゃないんだ。切手を貼って送る、封書の手紙」


「はあ? なんやそれ。原始時代か。伊野波は沖縄の本部町にあんねん。ちゅらうみ水族館の近くや」


「いのはの情報はいいから、手紙がいつ届くのかを教えてよ」


「二日後や。伊野波も二日後。ハノイはさすがに四日かかるな」


「だから、いのはとハノイはいいったら」

 キュキュがふざけて会話が噛み合わず、もどかしい。どうしたものか。僕は天を仰いで悲嘆に暮れる。

「あぁ……、僕のこの想い、わかってくれないかなあ」


「想い?」


 何気ない言葉にキュキュが食いついたので、急遽、意趣返しを試みる。


「僕はこんなにもキュキュのことを想ってるのに」


「なっ! なんや突然!」


「僕の想いは、いつになったらキュキュに届くんだろ」


「お、想いて、どんな想いやねん。聞いたるさかい、ゆうてみい。案外、もう届いてるかもしれへんで」


「ふうぅ……」


「あんさん、思いつめたらあきまへん。だいたい、わいは人工知能でっせ。たしかに魅力的やし、好きになる気持ちもわからんでもないけど、人間と人工知能の恋に明るい未来が待ってるとは──」


「なんてね」


「人工知能を戸惑わすな! 故障の原因になるわ! ぐぬううう、えげつないやっちゃで、ホンマ」


 僕はようやくキュキュの扱いに慣れてきた。会話も以前より楽しい。

 両親とも、いつかこんなふうに、楽しく会話できるだろうか。できたらいいな。


     第5章 完

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