憎しみは消えない

 漁船の朝は早い。日が昇るよりも先に船は海へと繰り出し、活発に動く魚たちを網で、または一本の釣竿で捕らえる。


 彼らの腕次第で市場に出回る魚の量は変わる。すなわち、この村の経済を左右する仕事でもある。


 キーンで一番大きな漁船に乗る男たちは、どこか不安そうな面持ちで釣竿を握り、またある者は徐々に昇っていく太陽を眺めていた。


 一人がぽつりと呟く。


「なぁ。賊が襲ってきたらどうする?」

「バカなこと言うな。あれは昼に一人で出て行ったあいつが悪い。こんな朝っぱらから動く無法者なんかいねぇさ」


 白い布をねじって頭に巻いた、この船の船長が声色低く答える。この船を何十年も走らせてきた、キーンでも屈指の漁師だ。

 だがその彼とて不安がないわけではない。


 数は未だ知れず。法も恐れぬ流れ者たちに、いつ襲われるかもわからない海の上。見つかれば最後、船を捨てて泳ぐ以外に道はない。


「親父さん。船に思い入れがあるのはわかるが、そのときは諦めてくださいよ」

「だからこうして見張ってる。相手も船なら、先に見つけて尻尾巻けるだろ」


 船長が顔をしかめる。視界に入る海に、どうにも違和感を覚えた。


 よく目をこらす――それは小さな歪みを中心に、弱く波が掻き分けられている。

 乗っている船とは別に、帆が風を受ける音が聞こえる。


 ようやくそれが何なのか船長は勘づいたが、その時にはもう遅かった。


「賊だ!」

「ど、どこですか?」


 ほかの船員たちが探す最中、その歪みはゆっくりと姿を現した。


 あろうことか、船は突如として海上に出現してみせた。既に船の距離は一隻分まで詰め寄っており、飛び乗るには十分な距離だった。

 その仕組みは船員たちに理解できるはずもなく、困惑ばかりが勝ってしまう。


 そうこうしているうちに、高らかな笑い声を上げ、賊たちは次々と漁船へ飛び乗ってきた。サーベルナイフ片手に躊躇なく船の上を走り、言語にならない雄叫びで漁船を襲う。


「くそ、どこから?!」

「死にたくなかったら金か獲物をよこしな!」


 船員たちが後方へと逃げていく中、動じず仁王立ちで留まる船長のところへ賊たちはこぞって集まりナイフを見せつける。

 しかしやはり、船長は頑として動かない。


「船は俺たちにとって命だ。貴様らのような無法者に、渡すものなどない」

「船長!」


 船員たちはすっかり怯え、船長の後ろに隠れたまま出てこない。まだ漁師になって間もない若者で、あの穏やかな村で育った彼らだ。争い事などしたこともない。


「そうかよ。じゃあもらってくぜ」


 にやりと笑う賊はサーベルナイフを振り上げると、斜め一直線に船長の胸を切り裂いた。

 致命傷ではないものの、立ち上がることも難しいほどの傷を負う。がくりと膝をつく彼を囲んだまま、賊たちから高らかな笑い声が上がる。


 船長は声も出ない。

 滴る血を止めようと燃えるように熱く痛む傷口を抑える。

 傷は当然収まるはずもなく、息だけが荒くなっていく。


「つまんねぇプライドだな。じゃあなおっさん」


 もう一度、ナイフを振り上げる。船員たちも、怯えながらも必死に駆け寄ろうと足を動かした。その刹那――


「ボス、空からなんか降ってきます!」

「ああ? 鳥かなにかだろ」

「ち、違う! 人だ!」


 賊の一人がそう認識した瞬間、空から舞い降りたそれは勢いそのまま船に激突、もとい着地する。

 船は一度大きく沈み、そこを中心に大きな波紋が浮かび上がる。

 水しぶきを立ててそこに現れたのは、黒い髪をなびかせた一人の少女。


「うぇ。海水ってこんなに塩辛いのか」


 のんきな声を上げるサラは、こうなることを見越して遥か空の上から様子を窺っていた。

 もっとも、賊の姑息な手により発見は遅れてしまった。


 唖然とする人たちを前にサラはぐるりと見渡す。負傷者はひとり。おそらく賊にやられたのだろうが、なんとか最悪の事態だけは逃れたらしい。


 治療ももちろんだが、サラには他に言及しなければならないことがある。

 鋭く賊たちを睨み、問うた。


「率直に聞く。その魔道具はどこで拾った?」

「……さぁ、なんのことだ?」


 賊の長らしき大柄な男が前に出る。顔に入った大きな傷は威圧感があり、並大抵の人間であれば逃げ出すような風貌をしている。


 しかしサラは臆せずに続ける。


「とぼけても無駄。船の中心につけたあのガラス玉。あれは視覚阻害の術式が組み込まれている。音までは誤魔化せてないみたいだし、とても優良なものとはいえないけれど」


 それは紛れもない魔道具の一種だった。

 魔法を簡略化して道具に編み込み、誰でも魔法を扱うことができる。

 戦争時代に様々な道具が作られたが、魔女狩りと並行して消滅させられた、とサラは聞いていた。


「お前、魔法使いか」


 サラは「そうだ」と小さく頷くと、大柄な男はにやりと不気味に笑う。


「今日はツイてるみたいだぜお前ら。こんなガキだが、魔法使いは裏社会じゃ法外な値段で取引されてるお宝だ。村ひとつ襲うよか、よっぽど儲かるぜ」

「答えて。それはどこで手に入れた?」


 騒ぐ賊たちを黙らせるように、今度はより大きな声で問う。

 眉を潜めた男は、歯切り悪そうに答える。


「しつけぇなぁ。……ああ確か、『まじない師』を名乗る変な奴から買い取ったのさ。そいつが魔法使いかどうかは知らないけどなぁ」

「そう……じゃあ、もういいよ」


 サラは嘆息する。同時に両手の親指と人差し指で一つの輪っかを作り、呟いた。


「ザッハ・アルカルド」


 瞬間、男たちには何が起こったか理解できなかった。

 ただ、目の前の少女から突風が吹いたかと思うと、身体はいとも容易く宙を舞い、男数人が一斉に船の外へと放り出された。


 海水に呼吸を奪われ、賊たちは慌てて自分たちの船へ戻ろうと泳ぐ。


『殺せ』


 じわりと湧いたどす黒い感情は、リューのものだった。

 使い魔の感情は手に取るようにわかる。それ故に、それが自分のものでは、と錯覚してしまう。

 

 ――船に火をつけて彼らを溺死させようか。サラの頭に一瞬そんなことが過ぎってしまう。


『殺せ』

「ダメだ!」

 

 サラは突如として湧いた破壊衝動をなんとか抑え、叫んで自らを制止させる。

 その間にも賊たちは自分たちの船にしがみつき、尻尾を巻いて逃げていった。


「……人を殺しても、残るのは新しい憎しみだけだ。アリアは、そんなことを望んでいない」


 この場にいる男たちには、サラが独り言を垂れ流しているように聞こえるだろう。だがサラは、使い魔を静めるとともに、自身にも問いかけていた。


「これに懲りて、漁船を襲わなければいいんだけど」


 遠くまで行ったのを確認すると、サラを初め船員たちは大きな安堵の息を漏らした。

 サラは踵を返し、倒れこんでいる船長のもとへと歩み寄る。腰のベルトに携えた、緑色の液体が入った小瓶を手に取る。


「薬草に魔力を練り込んだ薬だ。応急処置にしかならないが――」


 小瓶の蓋を開け、中身を傷口に塗り込もうとした、そのときだった。

 かっと目を見開いた船長は、サラの腕を強く薙ぎ払い、小瓶は海の中へと沈んでいってしまった。

 動揺のあまり、サラは言葉を失う。


「魔法使いだ? ふざけるな。お前らはどれだけ俺たちを苦しめたと思ってやがる!」

「でも船長、この娘はあなたを」

「うるせえ!」


 諭そうと試みた船員を、船長は怒号して突っ跳ねる。サラを再び睨みつけ、続ける。


「お前たちは災厄しか持ち込まない、悪魔の使いさ。お前らのせいで戦争は始まった。お前らが疫病を撒き散らした。お前たちの作った兵器で、どれだけの人が死んだと思ってやがる!」


 彼の言い分は妄想混じりの過言である。だが否定しきれる材料も、魔法使いにはない。


 戦争は、国が魔法使いを私物化し濫用したことで、国家間に貧富の差を生むこととなった。


 疫病は、完全なる言いがかりだ。だがもしかするとそれを撒いたのはどこかの魔法使いかもしれない。


 兵器は、国の命令の下に作らされたとはいえ、それを形にしたのは魔法使い以外の何者でもない。


 彼が偏屈な考えをもっているわけではない。むしろこれが、この世界で多数派の意見だ。

 だからこそ、魔女狩りという悲劇が正当化されてしまった。


「魔法で治されるくらいなら、ここで死んだ方がましだ。出て行け、この村から、早く出て行け!」


 船員たちのサラを見る目も、少しずつ冷たさを増してゆく。

 やがてそれは首を絞めるように巻き付き、彼女は何も言わず、顔色一つ変えずにその場から飛び去って行った。


『こうなることは、分かっていたんじゃないのか』


 リューが問いかける。サラはフードを深く被り、震えた声で答える。


「うん。けどね、リュー。キーンの人たちはとても優しかった。今までにないくらい、温かく接してくれた。だから私は、きっと期待をしていたんだと思う。私は、人の優しさを信じたいんだ」


 まだなにか言いたげに唇を噛み締める。言い苦しいことだろうと、リューは小言も挟まず、彼女の次の言葉を待った。


「私が魔法使いに生まれたおかげで、師匠と出会えた。魔法を教わって、世界を回る旅にも出られたし、リューにも出会えた。それは幸福なことだと思っている。けど……けどね。たまに考えてしまう。もしも私が普通の人間に生まれていたのなら……私は、こんなに苦しい思いをしなかったのかな」


 リューは答えない。

 そんな運命論を語っても、サラは普通の人間に生まれ変わることなどできない。

 そんな妄言が頭の片隅から暴れ出して止まない。いつまでもそれは呪いのようにまとわりつくのだろう。


「憧れるからこそ、そいつらは綺麗でいてほしい、ということか」

「そう、だね……口に出したのは初めてだ。なんだかすっきりしたかもしれない。ありがとう、リュー」


 返事代わりにリューは鼻で笑って一蹴する。

 契約した身なら、主の傷も自分のことのように感じているはずだ。


 だからこそ、二人は二人で旅を続ける。

 これからどれだけ多くの苦難があろうと、乗り越えなければならない。

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