幕間のお話

 【ビジット商家の屋敷】


「最近、機嫌がよろしいですね」


 護衛のフリンが、珍しく雇い主であるタイラーに話しかけてきた。


「今の私を見て、どうしてそう思えるんだ?」


 そう言ってタイラーは自分の机の上に散乱している書類の束を指差す。

 不正があったせいで書き直すハメになった帳簿の山である。


「…気がついておられぬかもしれませんが、口元が緩んでいます」


 そう言われてタイラーはつい口元を手で覆い隠す。

 その手で触れた口は、確かに笑みのような形になっていた。


「笑うことしかできんからな。まさか何年もこんな密輸や脱税の幇助をしていたとは、思いもしなかった」

「なんとか首謀者を突き止めて関係者も洗い出しましたが、まだ表に出てきていない者が居るかもしれませんね」

「だが、収穫はあった」


 そう言って笑みを隠さずにフリンにその顔を向ける。

 いつも穏やかな顔をしているタイラーではあるが、ここまで本能的な顔をするのは久方振りである。


「最初は彼らをハンの送り込んだ子飼いの調査班かと思っていたが、まさこちらに与するとはな」

「…危険なのでは?」

「あぁ、危険だとも。だがこちらが彼らを裏切らない限りは、むしろ安全とも言える」


 フリンは顔をしかめ、それを見たタイラーは説明を補足するように言葉を続ける。


「彼らがただの死肉漁りであればもっと強請っていたことだろう、彼らがハンに忠実であれば交渉など持ちかけてこなかっただろう。だが彼ら…いや、タダノは私と交渉した。共犯者となったのだ」

「それにしては、高い交渉料だったのでは?」

「家のことか?構わないさ、資産の一つにすぎない。それにあれは彼らに貸したものであって、正確にはまだ私のものだ」


 そう、タダノはあの家を譲渡してもらったわけではなかった。

 あくまで借りているだけである。

 そのため、あの土地の税などはビジット商家が支払うことになっている。

 タダノとしては税を払うことを嫌ったのだが、それと同時に敵を作らないための交渉だったとも言える。

 何かを奪えば敵を作ることになる。

 そこで、今回の不祥事と吊り合うギリギリのラインとして新しい家を借りることを要求したのだ。


「それに、ハナミズキの集まりにはまだ大きな価値が眠っている」

「大きな価値…?」

「何年も同じ集団で過ごすことは、強い連帯感を持たせることができる。息子のジルが彼らと一緒に他の子と育つことができれば、信頼できる仲間を作ることができるだろう」

「…今回のような事が、起きないようにするためですか?」


 フリンが皮肉じみたように言うと、タイラーが苦々しい顔をする。


「そう…一人の親として、同じ過ちを子におかしてほしくないのだ」


 ようやく帳簿の整理が一段落したのか、書類の一部をフリンに渡す。


「だからこそ、彼らにはまだまだ成り上がってもらいたいものだ」

「やり手ですね、あちらも」

「全くだ。まさか目に見えぬ武器と財産というものをあそこまで使い、商人という生き物をこうまで働かせようとするとは、とんだ食わせ者だよ」


 くやしそうに話すタイラーであったが、その横顔を見てフリンが笑う。


「嬉しそうですね、タイラー様」

「む…そうか? そうかもしれんな」


 改めて口元を手で隠し、また書類に向かう。

 今までずっと目の前の問題に対処してきたタイラーは、久しぶりに将来の楽しみというものを見出していた。




 【オオガネ教の教会】


 チュートの街にあるオオガネ教の教会。

 ここには一人の神父と一人のシスター、そして見習いである数人の信徒がいた。


 地方にある街だ、多くの人員は必要無い。

 そもそも、この国でこれ以外の宗教がないのだ。

 躍起になって布教する必要もなければ、拡大する必要もない。


 だが、それでもそこに属している者は夢を見るものだ。

 多くの金を集め、多くの信徒に囲まれることを。

 シスター・ルピーもその一人であった。


 彼女はいま、一通の手紙を書いている。

 それは首都にあるオオガネ教の総本山へと宛てたものである。


 内容は近況の報告と、一つの提案である。

 最近よくピアノを弾きに来る女の子を引き入れようとする内容だ。

 彼女のおかげで最近は教会に来る人々が増え、お布施が増えた。

 そこで満足せずに、さらにもっと人を呼び寄せたいが為の手紙である。


 彼女には悪意はない、ただ少し俗っぽいだけだ。

 多くの人を教会に来させてお金を落としてもらい、あわよくばそれでいつもよりも良い暮らしをしたい、それだけである。


 ハナミズキの集まりというらしいが、それなら彼らごと拾い上げてもいいかもしれない。

 その思いは彼女の善意であった。

 ただし、彼らが望んでいない善意であった。


 最初に彼らと話しておけばよかった。

 教会に来る人が増えたからそのお礼だと言って話し合い、相談すればよかった。

 そうすればある程度の妥協は必要だったかもしれないが、それでもお互いのためになる利益を共有できたことだろう。


 だが、彼女はその最初の段階を飛ばしてしまった。

 軽い気持ちで、彼らがまだ子供だという理由で一番最初に踏むべき手順を飛ばしてしまったのだ。


 自分の思いとハナミズキの集まりの有用性をしたため、手紙に印をして封をする。

 会心の出来だといわんばかりの笑顔で、その手紙を配達人に渡す。

 この手紙がどこかで紛失していれば、もしくは道中で破けてしまえば問題なかった。


 だが届いてしまった。

 曲がりなりにもこの世界で長い時間をかけて熟成された宗教の総本山に。

 オオガネ教の権力者に。


 彼女は何の自覚もないまま招いてしまった。

 この穏やかな街に、飢えた獣を呼び寄せてしまったのだ。

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