第30話 「洞窟」

 かむっていたハーフヘルメットはバイクに置いてきた。

 フィリップとマルティヌスはカロットを頭の上で整え、通信用のインカムをセットし直し建物に向かって歩き出す。

 二台のバイクが照らすライトに浮かびあがるコンクリートの建物は、廃墟のように静まり返っている。


 ふたりは無言で周囲を警戒しながら進んでいった。

 鈍色にびいろの金属でステンドグラスを囲った大きな入口の扉。

 元は新興宗教団体が造った本殿であるため、扉には施錠が無い。

 誰もが自由に出入りできるようにとの計らいであったようだ。


 フィリップは「三節棍さんせつこん・改」を手にしているものの、まだ伸ばさずにいる。

 両手足首に巻いた「ネオンリング」も起動させてはいない。

 エクソシストとはいえ、敬虔けいけんな聖職者であるがゆえ、武器はなるべく使用したくないのだ。

 

 ステンドグラスの扉をそっと押す。

 ギギーッと蝶番ちょうつがいの音がやけに響きながら内側へ入っていった。 笑みを浮かべているような表情のまま、目だけは四方をうかがい、先にフィリップが足を踏み入れた。

 マルティヌスは老人が杖で足元を確認しながら歩くように、ゆっくりと後を続く。

 その表情は散歩を楽しんでいるようである。

 大きな広間だ。

 調度品の類はほとんどない。

 採光用の窓からバイクのライトが差し込むが、全体を照らすには光量が足りない。

 フィリップは用心深く気配をうかがいながらさらに広間の中央へ進み、ふと奥の壁に目をやった。


「むうっ」


 フィリップの奥歯がギリッと噛みしめられる。

 マルティヌスが近寄り、フィリップの視線の先へ目を向ける。


「ほう、なるほどのう」


 ふたりの視線の先にあったのは、全悪魔を統べるサタンの肖像画であった。

 常に柔和な笑みを自然体で浮かべているフィリップの表情は固くなっていた。

 マルティヌスは片眉を上げ、広間の四隅に置かれた灯火の消えた燭台をじっと見つめる。


「この配置、わかるか」


「ええ、先生。

 悪魔にはそれぞれの形式があり、驕慢きょうまん、異端、好色、好戦等に別れています。

 この燭台の配置は忘れもしません」


 ルーマニアで邪教を広めて人々の良心を砕こうとした憎き魔女、デラノヴァ。

 森のなかに建てられた家で、邪教信者たちがあがめていたあの油絵と同じものである。

 追いつめたものの寸でのところで逃がしてしまった。

 まだまだ修業が足りぬと猛省した。

 まさか東洋の島国で、再び邪教徒を集めようとしていたとは。


「先生、今度こそは」


「うむ。

 おまえさんがエクソシストとしてひとり立ちするためには、ここであやつめを二度とこの世で好き勝手できぬよう封印せねばの」


 師の言葉にフィリップは大きくうなずいた。


 きりはハンドルから手を離し、腰のベルトにセットしてある「火焔鞭かえんむち」の持ち手を握っている。

 建物内でなにか事が起きた場合、すぐに動くことができるようにだ。

 もちろんエンジンはかけたままだ。

 らんも同様に背中の鞘に納めている「影斬かげぎり」に右手を伸ばしていた。

 ギーッと入り口が開く。

 らんは鞘からブーメランを抜こうとして止めた。

 出てきたのはエクソシストの師弟であったからだ。


「どうだった」


 きりは鞭の持ち手から指を離し、フィリップに問う。


「建物のなかには誰もいませんでした。

 ただ」


 フィリップの瞳に憎悪にも似た怒りが見て取れる。


「なにかあったんだね」


「ええ。

 最悪な状況であることが判明しました」


 らんは小首をかしげる。


「嬢ちゃんたちは悪魔なる存在とは、無縁の国に住もうておるでな。

 魔王サタンはご存じかな」


「ええ、もちろんその手の勉強はしております。

 まさかその魔王がこの国に」


「いやいや、サタンは狡猾こうかつよ。

 まず地獄から、自ら出てくることはないわい。

 じゃがの、ナンバーツーの座におるベルゼブブ、『蠅の王』と呼ばれる悪魔がおってな。

 その配下の魔女がどうやらこの国に現れたようじゃ」


 きりはシートに座ったままフィリップを見上げる。

 フィリップの顔は建物の裏に向けられていた。


「あの裏に周ってみようと思うのですが」


「ああ、いいぜ。

 乗りなよ」


 きりはヘルメットを渡す。

 マルティヌスもらんのトライクに乗る。

 きりはゆっくりとアクセルをふかした。


 ~~♡♡~~


「ふむふむ、やはり『百式党ひゃくしきとう』の本部みたいだね、あの子たちが探索しているのは」


 源之進げんのしんささやくように言う。

 らんたちのバイクがライトを点けたまま停車している姿を、道路の脇に消灯して停めているビートルのなかから観察している。

 百メートル以上離れているため声な届くはすはないのだが、高見沢たかみさわも呼吸さえ遠慮しているように小さく首肯する。


「なぜ滑辺かつべたちの政治団体に、エクソシストやきりさまたちが」


「問題はそこだよ、高見沢くん。

 ぼくたち一般市民にはあずかり知らぬ世界さ。

 おやっ、神父さんたちがもどってきたようだ。

 どうやら建物の裏側にまわるようだね」


「では、ゆっくりとまいります」


 高見沢は極力エンジン音を響かせぬよう、アクセルをミリ単位で踏み込んだ。


 ~~♡♡~~


 二台のバイクは用心深く建物横の土の道を前進していく。

 漏れていた明かりが徐々に大きさを増していった。


「神父さん、見えるか。

 広場があるけど」


「はい、誰もいません。

 むうっ」


 フィリップは思わずタンデムシートで腰を浮かした。

 広場の奥、山裾に巨大な穴が開いているのを目にした。

 しかも明かりはそのなかから漏れているのだ。

 きりはバイクを停める。

 らんのバイクが近づいてきて、ブレーキをかけた。


「ほほう!」


 マルティヌスが素っ頓狂な声をあげた。


「先生、この洞窟はいったい」


 フィリップは師に問う。


「まさかと思うが、いや、まさかではないの。

 デラノヴァの奴めが、とんでもないことをしでかしておるわ」


「奇妙な大穴でございますこと。

 なんだか壁自体がほんのり輝いておるような」


 らんの不思議そうな声に、きりも相槌を打つ。


「デラなんとかってのが、この穴を開けたのかい?」


 きりは後ろのフィリップを振り返った。

 マルティヌスが押し殺したような声音で頭をふる。


「ベルゼブブに仕えし魔女、デラノヴァの仕業のようじゃな。

 まさかこの日の本の国で、地獄へと続く道を開くとは」


「地獄!」


 らんときりは同時に叫んだ。


「この地を選んだのは、この国を守護される神々がいないこと。

 それとわしの予想では、日の本には元々存在せぬ宗教団体が偶然か必然か、最も地獄への近道としてこの地を選んだのじゃなかろうかの」


 マルティヌスの想像は当たっていた。


「つうことはだよ、その魔女に率いられた邪教集団はこの奥へ進んでいるってことか」


「そのようじゃな。

 多分ベルゼブブの洗礼を受けさせ、悪魔の使徒を作り上げるのが目的とみた」


 きりはアクセルを吹かす。

 らんのトライクも重いエンジン音を上げた。


「ではまいりましょうか」


「嬢ちゃんたち、怖くはないのか」


 らんはクスリと笑う。


「怖くて怖くて逃げだしたいほどでございますわ」


「らん、それを笑顔で口にしたら変質者にみられるぜ」


 そういうきりも、ゴーグルに隠れた目元に満面の笑みを浮かべていた。


「きりさん、らんさん、相手はとても強力です。

 充分気をつけてください」


「あいよ、神父さん。

 じゃあ地獄とやらへドライブにいこうぜ」


 きりはギアを入れ、洞窟へ向かって走り出す。

 らんの三輪バイクも続いた。


 二台の大型バイクが巨大な穴倉へ進入してしばらく経過した。


 ブオッブオッと排気ガスを流しながら低速でビートルも広場に現れた。


「おやあ、なんだろうねえあの大きな穴は」


 源之進は目出し帽の上からかけたメガネのブリッジを指先で上げる。


「社長、どこにも光源がないのに、あの壁が光っています」


「本当だ。

 いやあ、世の中にはぼくたちの知らないことがまだいっぱいあるんだねえ」


 高見沢は両手で握るハンドルに顔を近づけ、用心深く辺りをうかがった。


「らんさまたちは、あの奥へ進まれたようです。

 この広場は今通ってきた道以外に道はないようですから」


「愛する妹たちを援護しようじゃないか、高見沢くん」


「では、進みます」


 スモールライトだけ点灯させてビートルは、ゆっくりと穴の奥へ向かっていった。

              つづく


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