第8話 「剣呑な来客」

 二〇一六年十二月、わが国において統合型リゾート整備推進法案、いわゆる「カジノ法案」が成立した。

 これは単に国内に合法なカジノ施設をつくるということではない。

 日本国が現在、近来にない財政難であることは周知の事実である。

 

 だが一方で、海外から観光で訪れる旅行者が年々増加し、大きな都市や観光施設で石を投げれば外国人にあたるほどである。

「カジノ法案」の目的はさらに観光客を集めることであり、その観光客を呼び込む手段がカジノ施設を含んだ統合型リゾートということになる。


 統合型リゾートとはどのような施設かといえば、カジノのほかにホテル、劇場、映画館、アミューズメントパーク、ショッピングモール、レストラン、スポーツ施設、スパなどの温浴施設、国際会議場・展示施設といったいわゆるMICE施設を一区画に含んだ複合観光集客施設を指す。


 ちなみにこのMICE施設は、会議・研修のMeeting、招待旅行のIncentive、国際会議・学術会議のConference、そして展示会のExhibitionの頭文字を合わせた言葉だ。

 米国のラスベガスがそのイメージであろう。


 この法案のメリットは大きく三つある。

 観光による経済効果、雇用の促進、インフラ整備による地域活性化だ。

 反対に三つのデメリットもある。

 ギャンブル依存症の増加、治安の悪化、違法な資金のマネーロンダリングである。


 ではいったいどこへその複合施設を建設するのか。

 候補地となっている主な自治体は、北海道、東京、神奈川、千葉、愛知、大阪、和歌山、長崎である。

 特に有力候補地とされているのは、大阪、長崎、北海道の三か所だ。


 大阪は交通アクセスがよく、二〇二五年には国際博覧会、万博の開催が決定していることから、カジノと万博の相乗効果で関西全体の経済活性化をしたいという狙いもあり、カジノ誘致に積極的な姿勢をみせているのであった。


〜〜♡♡〜〜


 大阪市阿倍野区あべのく

 大阪市には二十四の行政区があり、阿倍野区はキタの梅田、ミナミの難波、心斎橋に次ぐ繁華街である。

 JR、地下鉄、近鉄、南海軌道のターミナルが集まっており、駅前の「あべのハルカス」は超高層ビルディングとして有名である。


 阿倍野区阿倍野筋に「紫樹むらさきエンタープライズ株式会社・アベノビル」と看板が掲げられた十階建ての豪華なビルが建っている。

 地下駐車場と機械式駐車場まで完備され、一階から三階までは飲食店や高級ブランド店、四階から十階までが「紫樹エンタープライズ」の関連会社が入居している。


 午前十時すぎ、鏡のように磨かれた純白ボディのトヨタレクサスLS500hが、ゆっくりとビルの地下駐車場へ入っていく。

 運転しているのはスーツ姿の高見沢たかみさわであり、後部シートには白いポロシャツにジーンズというラフな格好で源之進げんのしんが座っていた。


 もう暦の上では秋であるが、気温は例年にもまして高い。

 というよりも、未だに夏の陽射しが照りつけている。

 地下駐車場の一番奥が源之進の社長車専用スペースだ。

 十階にある社長室までの直通エレベーターのドアが車を降りてすぐ横にあるのだ。


「社長、社長?」


 高見沢は運転席から降りるとすぐに後部ドアを開いたのだが、源之進は熱心にタブレットを見つめており、到着したことにも気づいていないようだ。

 高見沢は源之進の行動パターンはすべて熟知しており、だまったまま待機した。


「そうかあ、流通コストが問題であったようだな。

 ふむ、それならば、このシステムを」


 パープルの髪をかき上げ、源之進は眼鏡のブリッジを指先で持ち上げる。

 そこで気づいた。


「おや、高見沢くん。

 いかがした」


 後部座席の横で直立不動のまま待機している高見沢を見上げた。


「うん?

 なんだ、もう着いたのかい。

 悪いねえ、すっかり考えごとに没入していたよ」


「いえ、社長。

 お待ちすること、これもわたしの職務でございますゆえ」


 一礼する。


「本日は午後から企画会議と、新規物件のテナント誘致について営業戦略部のメンバー交えての会議ですが」


 高見沢は精悍せいかんな表情に少し陰りを見せる。

 源之進はシートから降り立つと、有能な秘書の肩を叩いた。


「昼前にお出でになるんだったねえ、わざわざさ」


「やはりお断りしておいたほうが良かったのではないかと、反省しきりです」


「なあに、心配無用さ。

 別に獲って喰われるわけでもあるまい。

 むしろ直接お会いして、こちらの考えをきっちりと伝えたほうがいいのさ。

 それに面会を承諾したのは、ぼくなんだから」


 高見沢は面目なさげに頭を下げた。


「さて、ではまいろうか」 


 源之進は直通エレベーターのボタンを押した。


~~♡♡~~


 ビルの十階は「紫樹エンタープライズ」のブレインがそろう経営企画室と社長室、および秘書室が入っている。

 南向きの百平米ほどの広い社長室。


 高級マホガニーの執務デスク、壁に設置された書架があり、デスク前には、十人はゆったりと座わることができる高級皮革でオーダーされた、ドイツ製ソファが置いてある。


 観葉植物オーガスタの大きな葉が緑色に輝き、パーテーション代わりに並んだ鉢植え台に幾つもソファの背後に置かれている。


 源之進は執務デスクに置かれたパソコンのキーボードを叩きながら、積まれた書類に目を通していく。

 入室直後に高見沢がれてくれた香り豊かなキリマンジャロの湯気が漂っている。

 空調は全館管理されており、差し込む陽射しがむしろ心地よい。


 コンコンコンッ、社長室のドアがノックされた。

 源之進は腕時計に視線を落とすと、午前十一時ジャストである。


「はい、どうぞ」


 源之進はパソコンをスリープモードにして革張りの椅子から立ち上がった。

 静かにドアが開かれ、高見沢が一礼する。


「社長、猾辺かつべさまがおみえになりました」


 源之進はうなずいた。

 高見沢が一歩下がると背後からスーツ姿の男性が入室してきた。


 オールバックに固めたヘアに、イタリア製らしいオーダーメイドのスーツ。

 高見沢ほどではないが長身だ。

 年齢は二十歳代後半か三十歳代になったくらいか。

 女性のように綺麗にカットされた眉、彫の深い面立ちは男性誌のモデルのようである。


 源之進は笑みを浮かべて近づき、握手を求めた。


「どうも、猾辺さん。

 わざわざお越しくださってありがとうございます」


「紫樹社長、本日はご多忙ななかお時間をいただき恐縮至極です」


 猾辺統介とうすけはバリトンボイスで応える。

 口元には笑みを浮かべているものの、その目には緊張感が浮かんでいる。


「さあ、どうぞお掛けください。

 コーヒーでよろしいでしょうか。

 この高見沢くんが淹れるコーヒーは格別ですよ」


 源之進は高見沢にウインクする。

 猾辺はソファにゆっくりと腰を降ろし、「それではお言葉に甘えまして」とうなずいた。

 高見沢は目礼すると、剣呑けんのんな目つきで猾辺を一瞥いちべつし社長室のドアを閉じた。


 源之進は真っ直ぐな視線で猾辺を見つめる。

 猾辺はその視線に怒りではなく、子どもの持つ好奇心を感じる。

 直後、いきなり猾辺は床にひざまずき、土下座した。


「紫樹社長っ、もう一度、もう一度だけこの猾辺をオトコにしてください!

 お願いいたします!」


 源之進は予想していたらしく、眉さえ動かさずに言う。


「猾辺さん、男子たるもの、そんな簡単に土下座はやめましょうよ」


「いえっ、わたしは父から受け継いだ地盤でみなさまのご支援をいただき国政へ出ることができました。

 その大部分はこちらの先代の社長、そして源之進さまのお力沿いあってのこと」


「まあ、ぼくも父上から猾辺さんの後援会長を引き継いでいましたからねえ」


 ドアがノックされ、トレイにコーヒーカップを乗せた高見沢が入室してくる。

 床に伏せたままの猾辺。


 高見沢はフッとため息を口にし、コーヒーカップをテーブルの上へ置いた。

 そのまま源之進の座るソファの後ろへ周り、トレイを持ったまま直立不動の姿勢をとった。


「わたしの不徳の致すことにより、やむなく議員バッチを自ら返納いたしましたのは一年前」


 高見沢が溜まっていた怒りを声にする。


「不徳?

 猾辺さん、それはまるで自分に非がないような言いかたではないですかっ。

 議員バッチをはずすのは当然のことながら、何をいまさら紫樹社長に無理難題を押し付けるつもりなんですかっ。

 あなたの言動、行動によってどれだけの支持者が傷ついたのか、本当に理解しているんですか!」


 普段冷静沈着な高見沢でさえ、目の前で土下座する男が許せなかったのである。

                                  つづく

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