第2話 「バチカンからの指令」

 バチカンからふたりのエクソシストへその連絡が入ったのは、オーストリアの首都ウイーンで修業中のことであった。

 一昨日のことだ。


 マルティヌスとフィリップはウイーンのホテルを常宿としていた。

 ホテル近くの小さなレストランで、名物のツヴィーベルローストブラーテンに舌づつみを打ち、食後にチョコレートケーキ、これはザッハートルテと呼ばれているが、それとコーヒーを一緒に楽しんでいた。

 ふたりともアルコール類は一切くちにしない。

 修業は苛酷であるがゆえ、食事だけは楽しませてやりたいとマルティヌスは思っていたのだ。

 ツヴィーベルローストブラーテンとは、ローストビーフを焼いたウイーン風のステーキである。

 付け合せの揚げた玉葱、ジャガイモも美味である。

 

 支払いを済ませホテルへ戻ると、フロントで「ご伝言がございます」と四つ折りにされたメモ用紙をフィリップは受け取った。

 ふたりは顔を見合わせ、キーをもらいリザーブしているツインの部屋へもどった。

 そのメモ用紙には「S・D1F パパ」と書かれてある。

 マルティヌスはかむったカロットの位置を確かめるように、備え付けのドレッサーで姿を写しながらメモに視線を落とすフィリップに問うた。


「なんじゃ、似合わぬ真剣な面をしおって。

 まさか修業中に仕事だなんて、野暮なことを言うてきておるのではなかろうの」


 フィリップはベッドの端に腰を降ろしていたが、メモ用紙を目の前に掲げた。


「先生、緊急連絡のようです。

 しかも『パパ』からとなっています」


 マルティヌスは、「パパ」と聞いて露骨に白く長い眉をしかめる。


「しかも『S・D1F』とありますから」


「むむっ、『蠅の王』か!」


「はい」


 相槌を打ちながら、フィリップは黒いスータンの内側からスマートフォンを取り出し、バチカンの本部へ連絡を受け取ったことをメール送信する。

 バチカンはローマ教皇庁によって統治される、カトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地だ。

 総本山である。

 

 メモの内容は、「S」はスクランブル。

「D」はデビル。

「1」は第一階級。

「F」はフライ。

 そして、「パパ」とは教会の頂点であるローマ法王のことを指す。


 つまり、悪魔のなかでもトップクラスの「蠅の王」、ベルゼブブもしくはその直属の配下が現れたということだ。

 法王自ら連絡をしてきた、ということになる。


「それでは仕方ないのう。

 わしらが出張らにゃならぬわい。

 しかし、せっかくスマホを持っておるんじゃで、直接連絡をいれてくれればよいものを。

 ジェームズ・ボンドの活躍した時代ではないぞ」


「旧態依然とした組織ですから。

 この方法で常に連絡することに、世界中に派遣されているエクソシストは、誰も文句を言ってはおらぬのでしょう。

 むしろ、楽しんでいるかもしれません」

 

 フィリップは苦笑した。


~~♡♡~~


 翌日早朝、マルティヌスとフィリップのふたりはウイーンから飛行機を利用し、ルーマニアのブカレスト空港へ降り立った。

 ふたりは悪魔と戦うための武器をトランクケースへ入れており、通常であれば入国審査や税関で間違いなく拘束されるくらい剣呑な代物を所有している。


 だが彼らエクソシストたちはバチカン市国の一等書記官として、外交官の身分を与えられている。

 そのため外交官特権で、出国入国はフリーパスなのである。


 ブカレスト空港からバスを乗り継ぎ向かった先は、トランシルバニア・アルプスにほど近い町であった。

 町とはいえ高層なビルなどはもちろんなく、緑に覆われた山々がすぐ近くに見える。

 すでに陽は沈みかけていた。


 中世の色合いを遺す町並み。

 石畳の道路に煉瓦造りの建物。

 行き交う人々はふたりの神父を、敬意をもって頭を下げ通り過ぎていく。

 バス停に近い二階建てのホテルへ入り、ツインルームを押さえた。

 大きなトランクケースから、布製のバッグを取り出す。


「おりょ、わしの大切な杖が見当たらぬぞ」


 マルティヌスは素っ頓狂な声を上げた。

 自分の荷物を整理していたフィリップは、柔和な目をサイドボードへ向ける。


「先生、まだボケられるには早すぎますよ。

『聖パウロの杖』なら、ほら、先生が肩に担いでこられて、あそこへ置かれたではありませんか」


「ボ、ボケるなどと、おまえさんはこの偉大なる師を愚弄ぐろうするかっ」


 マルティヌスは照れ隠しなのだろう、わざと声を荒げて立てかけてある「聖パウロの杖」を愛おしそうに胸に抱いた。

 長さにして百二十センチ。

 煮しめたような色合いで、手持ち部分は丸く、大樹の枝を磨いて作ったようだ。


「それは失礼いたしました。

 そうですよね。『世界一凶暴なエクソシスト』と呼ばれる、偉大なる聖職者ですから、しゅ御許みもとへ召される直前まで悪魔たちと対決なさることでしょう」


「ふんっ。

 誰がそう呼んだかは知らぬがの。

 わしほど慈愛に満ち溢れた敬虔けいけんなる神父は、そうはおらぬ」


 フィリップは口元に笑みを浮かべた。

 師と仰ぐ目の前の老人。

 マルティヌスは全悪魔から恐れられている、エクソシトのなかのエクソシストなのだ。

 若かりしころの活躍は、まさに「世界一凶暴」であったと伝え聞く。


「フィリップよ」


「はい」


「修業が済んで、おまえさんが独り立ちできるようになったらの、この『聖パウロの杖』を譲り渡してもいいのだぞ」


 フィリップは真顔でブンブンと頭をふる。


「どうかご勘弁を。

 その杖を縦横無尽に使いこなすには、わたしはまだまだ修業不足です。

 一回でもその力を使おうものなら、多分一週間は過労で寝込んでしまいます」


 フィリップはバッグの中から、黒と緑のマジョーラカラーのリングを四つ取り出す。

 それを両手首足首にはめた。


「わたしにはこの十字軍騎士団の甲冑から精製された『ネオンリング』と、これで充分です」


 言いながら拳を構えた。


「東洋の秘術、じゃな」


 マルティヌスの言葉にうなずく。


「はい。

七星蟷螂拳しちせいとうろうけん』は、中国拳法のなかでも群を抜いて攻撃力にすぐれます」


 香港生まれのフィリップ・チェンは、幼いころから、教会の神父であり「七星蟷螂拳」の達人であった祖父から手ほどきを受けていた。


「準備が整うたら、時間になるまでこの辺りの食堂で腹ごしらえじゃな」


 マルティヌス・オルガンティーノは、眼鏡の奥で目を細めた。


~~♡♡~


 町はずれに森の奥に建つ、一軒の煉瓦造りの家。

 いったい誰がこのような森のなかに建てたのかは、古くから住まう町人でも知らなかった。

 荒れ果て、つたが毛細血管のように壁に張り巡らされている。


 いつごろからか、深夜になるとくすんだ窓に浮かぶ蝋燭ろうそくの灯火。

 町の住人たちはそれを知らぬか、もしくは不気味な雰囲気に話題にするのを避けていた。


 夜空に浮かぶ満月が森に、霧雨のような光を降り注いでいた。

 町の大部分の建物から灯りが消えた深夜。

 森のなかを隠れるように小走りで影が移動している。

 フードでスッポリと頭部を覆った黒いローブのすそが、むき出しの大地に生える草の葉を揺らす。


 別の方向からも同じような影が急ぎ足で進んでくる。

 目的は煉瓦造りの家のようだ。

 辺りをうかがうようなそぶりでひとり、またひとり、木製の玄関をそっと開けて入っていく。


 家のなかは案外広かった。だがそこは人が生活をする場所とは遠くかけ離れた空間を形成していた。

 家具類は一切なく、木材で組まれた天井、壁、床のみである。

 家、というよりも集会所だ。

 いや、寄りあいのスペースではない。

 なぜなら、室内の奥には一段高い木製の台座が設置され、蝋燭を灯した燭台が列を作っている。


 台座の置かれた壁には、いびつに折れ曲がった角を生やした羊を頭部に、首から下は人間らしき胸像を描いた不気味な油絵が掲げられていた。

 ゆらぐ蝋燭ろうそくの炎が室内を浮かび上がらせる。

 三十、いや、五十人近くの人間がひざまずき、両手を組んで頭を下げていた。

 年齢性別はわからない。全員が黒いフードで顔を隠すようにかむっているからだ。

 どこの宗教にも属さぬ呪詛がフードのなかから聞こえてくる。

 一段高い台座の上には演台が置かれており、ひとりの女が立っていた。

                                  つづく

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