2 端村へ

 マルコは、山を歩くのは楽しかった。

 途中までは。


 山道のわきには、シャクナゲの緑がつらなり菜の花の黄色も見える。

 右手の崖下がけしたはヒノキの森。風が舞うたびにさわやかな香りを運ぶ。

 季節はもう春だ。


 旅の二人は、並んで荷車を引いていた。

 アルは大杖をつきながら、ぶつぶつと何かつぶやいている。

 マルコは、竹の杖をご機嫌にふり回す。


「アル、この辺は平和でいいとこだね。

 わからないことだらけだけど」


「マルコ、この辺は全く平和じゃあない。

 特に端村はしむらのはずれ森は危険で––––」


 ギエエエエエェェェェァッ!


 ビクッ! としてマルコは、聞いたこともない鳴き声の方を向いた。

 見たことない鳥の大きな影が、森から飛び出し、山頂へと羽ばたいて行く。


「あ…あれ」とマルコが指さす。

 だが、アルは目の上に手をかざし、平然とつぶやいた。


「……グリフォン? かなぁ。

 まあ発情期だからこっちには来ない––––。

 アーーー!」


 こんどは何だと思いながら、アルの指さす先をマルコは見た。

 次つぎと野菜を落としながら、荷車が坂道をころがっていく。

 アルは、法衣ローブすそを持ち上げ走り出す。


ひろって! 大事な野菜マルコもひろって!」


「えー!」と難儀に思い、マルコは足もとのキャベツを手にとり、アルへ叫んだ。


「魔法使いなんでしょー? なにかないの?

 こう……便利な」


 アルは立ち止まり、さっと杖を高くかざす。


 しかし、何も起こらなかった!


 次の瞬間、アルは道の人参にんじんを拾い駆け出す。

「ええぇ?」と拍子抜ひょうしぬけして、マルコはあとをついて行く。


 アルバテッラのうららかな春。

 山脈の南、緑豊かな山道。

 背の高い法衣ローブ姿の若者と、小柄な異邦人がころがる荷車を追い駆けていった。


     ◇


「あの門が、そうだよ」


「そうですか……」


 アルとマルコはすり切れたころもを引きずり、つかれ切って、端村はしむらの門にたどり着いた。


 森と山道に面した門は、低い戸板しかなく動物を防ぐことしかできそうにない。

 すでに日はかたむいて、アルが戸板を開くと、西日でできた影も開いた。


 門のとなりは見張り台だ。

 マルコが見上げると、冷やかす声が届く。


「なーんだあ? お前ら見ねえ顔だなあ!

 こんな辺ぴな村に何しに来やがった!」


 台の上から、びた鉄の甲冑かっちゅうをきた男二人が見下ろしている。

 下卑げびた笑いを浮かべ、酒瓶さかびんかたむける。


 アルは急に顔を上げると、作り笑いを浮かべた。


「おつとめご苦労さまですー!

 いつも通り、野菜を届けに参りました。

 山の上のアルでございます!」


 甲冑の男二人は、何やらこそこそ話すと、片方が落ち着いた声を出す。


「お前は知ってる。……魔術師、だろう?

 もう一人の、ちびっこいのは何だ?

 子どもか?」


 もう片方の甲冑が吹き出し、飛びねる。


 小柄な事をからかわれ、ムッとしたマルコは、期待してアルの顔を見た。

 だが、アルは作り笑顔のまま。


「いえいえー! この者は、私の親戚です。

 名をマルコと申します。

 本日は手伝いで連れて参りました!」


 甲冑の二人は再びこそこそ話す。はじめに声をあげた男が、神妙な顔で言った。


「ふん! 通って、よおーし! グハハハ」


 アルはその言葉を待たず、荷車をすみやかに門の中へ入れる。丁寧に戸板を閉じた。

 荷車を引くと、すばやくマルコに顔を近づけささやく。


「あとは何を言われても流して!

 相手にしないようにね」


 背後から、からかうような笑いがまだ聞こえていた。


 荷車を引きながら、マルコはぼそぼそたずねる。


「何なの、あれ? 門番じゃなさそうなのにえらぶっちゃってさ……。

 あんなに酔っぱらって見張りできるの?」


 肩越しにふり向いたアルは、意外にも悲しげな顔をしていた。

 そんな彼を見たマルコは、どきりとした。

 アルは語る。


「彼らは、元はみやこで訓練を受けた立派な兵隊さん達なんだ。

 ここに来ると……みんな、ああなっちゃうんだけど……。

 彼らのせいだけじゃないんだよ」


 そう言って彼は、さびしげに目を落とした。


     ◇


 端村はしむらの広場に、枯れた噴水がある。

 周りは様々なお店だった。

 雑貨屋、洋服屋。

 食品店は、遠くから見ても商品が少ない。

 閉まっているお店も多く、歩いている人もほとんどいない。


 鍛冶屋らしき店の奥で、白髪しらがの老人が椅子いすに座り、沈んだ目でこちらを追う。

「活気がないのかなあ」とマルコは思った。


 歌う小熊亭は、そんな広場の奥にあった。

 緑色の扉の上に、看板がつり下がる。可愛かわいらしく、口をあけた小熊が描かれていた。


 それを見上げ、マルコはつぶやく。


「子グマ? 熊が……歌っている?」


 かがやく笑顔でふり返ったアルは、興奮して語り出す。


「そう! 久しぶりに食べられる! ここの自慢のチーズかけ野菜スープリゾット!

 うま出汁だしが新鮮な野菜たちに染みて……。

 くーーっ!

 ホロホロ鳥のお肉も入っている!

 お肉とご飯と野菜とチーズを一口で––––」


「早く入ろう……」


 話しが止まらないアルを押しのけ、マルコは緑の扉を開いた。


 これまで経験したことないほど、お腹がすいていたのだ。

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