第37話 ゴールデンタイム

 海での事故……事件? あの出来事からすでに一カ月以上が経ち、二学期を迎えている。

 星奈との関係は変わっていない。生徒手帳に記載された男女交際禁止の校則、そして学生の本分は勉強だというのを建て前に、節度ある学生生活を送るという事で合意してもらった。それにしても、こんな形で校則に助けられるとは。

 元の世界で通っていた中学にも同様の校則はあったが、もちろん俺は賛成派だった。賛成以外にありえんだろ。彼女がいない者にとっては自尊心を保つ為の最後の砦、心の拠り所だったんだから。


「光太、わかりました?」


「あぁ、うん。たぶん大丈夫」


 椅子をピタリとくっ付け、寄り掛かるように体を密着させて俺の顔を覗き込む星奈。その顔が以前にまして近い、近すぎる! そして良い匂い! 関係に変わりはなかったが、二人の距離は直接的な意味で近付いていた。


「あの、星奈、ちょっと近いかなぁ……ほら、周りの人たちの目もあることだしさ」


「失礼しました、つい」


 思い出したかのようにそう言った星奈は、にこりと微笑むと肩が触れ合わない程度に距離をとった。その距離、二センチほど……。

 場所は図書室。学生の本分は勉強ですよね? という星奈からの提案により、放課後に図書室での勉強が日課となっていた。俺が使った建て前を逆手にとる星奈、流石、抜け目がない。美亜は友達と約束があるとの事で今日はいなかった。

 これも一つの放課後デート。憧れていたはずのシチュエーションが実現しているのだが、浮かれてばかりいられない。なんせ、星奈がグイグイくる。さっきみたいに自然な流れを装い、人目があるのをまるで楽しむかのように。実際、今も含み笑いをしているのを見るに楽しんでいるんだろう。いや、可愛いんだけどさ。

 

 ――良いのか? これで。







 二学期といえば二大イベント、体育祭に文化祭。晴天に恵まれた本日、我が霧都キリト高校でも体育祭が催されていた。

 元の世界における体育祭やら球技大会なんぞは、一部の運動神経に優れた連中の独壇場。そうでない者は単なる数合わせのエキストラ。それどころか、強制的に引き立て役という役目を押し付けられる、まったくもって理不尽極まりないイベントだった。

 その上、恋に目覚めた女子どもにとっては、公然と好きな男子を応援できる絶好のチャンスだったりするわけだ。瞳をハートにした彼女らがくり出す甲高い歓声は、背景と化した俺たちモブにとって、耳をつんざく騒音と妬みの温床でしかない。

 従って、飛び跳ねて一喜一憂する彼女らが無防備に揺らすたわわな果実を、その成長具合を横目で確認させて頂くというのは、ある意味、迷惑料として当然の行為だったと言えるんじゃなかろうか。

 それからキャッチフレーズ。何なのアレ? 【力をあわせて勝利を掴め】って意味がわからない。モテ格差を助長するイベントで力をあわせろ? 勝利って何よ? そこにモブたちの勝利モテが待っているのか? 実際の所、結集されていたのは大多数の男子生徒の嫉妬であり、体育祭の当日だけでなくその余韻が消え去るまでの暫くの間、【まて、リアルりあじゅう ぜんいんバーストばくはつしろ!】がそこら中で発動していたというのが実情だろう。まったく、現実とは皮肉なものだ。


 ――だが、あの頃の卑屈だった俺とは違う。


 参加種目を決める際、委員長である黒原さんからの強い推薦を受け、俺は新司と組んで男子限定二人三脚にエントリーしていた。霧都のゴールデンカップルとまで言われてしまったら断れない。コンビをカップルと言い間違えていたのはご愛嬌といったところか。

 ちなみに、ただ二人三脚で走るだけじゃなく、障害物競争が複合された霧都高校体育祭の名物競技だ。おたまでピンポン玉を運んだり、網をかいくぐったりと定番の障害も二人三脚だと難易度が跳ね上がる。各レースで悪戦苦闘するコンビにいやが上にも観客は盛り上がっていた。

 そしていよいよ、俺たち二人の出番が回ってきた。


「竹原くん、片泰くん、二人とも頑張ってー!」


「美亜ちゃんのお兄さん、頑張ってくださーい」


「光太、片泰の足を引っ張るなよー」


 ――そう、今の俺には、あの頃には無かった心の余裕がある。


 クラスの女子からだけでなく、美亜の友達と思われる下級生の女生徒からも黄色い声援が送られている。その声援が、人前だからと恥ずかしがって、大っぴらに応援出来ないでいるであろう美亜の様子を思い浮かばせる。

 そして野郎ども、二人三脚なんだから足を引っ張るのは当たり前のことだ。ただそんなヤジさえも、応援として素直に受け入れられるくらいの余裕が、今の俺にはある。

 だから寛容な俺は、お互いの健闘を祈ってキミたちにもエールを送ろう。スタートラインに並ぶ俺たちの隣で、対抗心を剥き出しにしている星奈のクラスのキミたちにも。まぁ、頑張りたまえ。

 ピストルの音を合図に始まったレースで、息の合った俺と新司のコンビは次々と障害を乗り越えて先頭争いをしていた。僅差で星奈のクラスメイトが続く。 


「光太、頑張って」


 そんな中、湧き上がる歓声の中でも不思議とハッキリ耳に届いた星奈の声。クラス毎で指定された応援席の最前列で立ち上がり、両手をメガホンに見立てて声援を送ってくれている星奈が視界に入る。

 星奈の前を通過するタイミングでちらりと視線を送り、空いている右手で控え目なガッツポーズを作ってみせた。

 直後に起こったブーイングの嵐とそれに続く大声援。もちろんブーイングは俺に対してのものであり、大声援は出場している星奈のクラスメイトへのものだ。

 声援といっても、俺たちの後塵を拝するクラスメイトへの叱咤激励というか、もはや叱責でしかない言葉も叫ばれていたが、それを加速装置にして追い上げてくるとかキミらはドМなんですか? 

 なんか俺のせいで星奈に応援してもらえなかったという逆恨みというか八つ当たり的なものも加わってか、二人の形相は死なばもろともみたいな執念を感じさせる。

 すでにレースは最後の障害、縦に二つ並べられた大型のビニールプールを残すのみとなっていた。合わせて八メートルくらいだろうか。


「うぉ、やばいな。新司、ゆっくり行くぞ」


「おっけー、光太。いち、にっ……いち、にっ……」


 膝下くらいの浅さといっても流石に二人三脚だと苦労する。ここまでの疲れと水の抵抗で思い通りに足が動かせず、二人でタイミングを合わせるのが難しい。


「はははっ、おさきー!」


 ほぼ同時にプールへと突入した二組だったが、したり顔で憎たらしい掛け声を残し、先行する星奈のクラスのコンビ。水の抵抗を苦にする様子もなく、盛大に水しぶきを上げて突き進んでいく。

 何その筋力って、よく考えたら二人ともバリバリの運動部の奴らじゃねーか。お前ら、もっと花形の競技に参加出来ただろうが。運動神経だけで勝敗が決まらない、このみんなに優しい競技に参加してくんな。

 そんな悪態を心の中で吐いていたら、繋ぎ目を越える所で片方が体勢を崩し、それに引っ張られて二人ともプールに落ちていった。慌てた様子で顔を出した二人に、観客の生徒が爆笑してどっと盛り上がる。


「新司、飛び込むぞ!」


「だね! せーのっ!」


 俺の言葉を受けて、阿吽の呼吸で新司から掛け声がかかる。タイミングを合わせた二人は、飛び込みの要領で繋ぎ目を越えると指先から入水し、その勢いでプールの端へと辿り着く。あらかじめ頭まで水に浸かる事がわかっていれば慌てる事もない。すぐに立ち上がって顔を拭い、新司に声をかける。


「行けるか? 新司」


「もちろん」


 俺たちは最初にプールを抜け出すと、そのまま後続を振り切り一着でゴールテープを切った。ゴールデンコンビの面目躍如だ。


「やったね、光太」


「あぁ、新司。俺たち二人ならこのくらい楽勝だぜ!」


 びしょ濡れのまま再び肩を組んだ俺たちは、歓声を上げるクラスメイトたちへとVサインを作って応えてみせたのだった。

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