第16話 思い出

 何か良い事でもあったのだろうか、機嫌良さげに見えなくもない星奈の隣にしゃがみ込む。


「アヤメかぁ、ちょうど見頃だな。星奈はアヤメが好きなんだな」


「そうでもありません。好きか嫌いかと問われると、どちらかと言えば好きじゃない気がします」


「えっ、好きでもないのに見に来てたの?」


「よくわかりません。この花が咲く頃になるといつも足を運んでしまうのです。今もこうして、この花を眺めていたのですが――やはり、何となくですが好きになれそうにありません」


 アヤメをじっと見つめながら、自問するように語る星奈の横顔は、どことなく物憂げな様子を見せていた。


「そっか。まぁ、何となくってあるよな。そう言う俺も、嫌いってわけじゃないけど、あまり良い印象がないんだよな。この花のせいじゃないのは分かってるんだけどさ」


 口にしたせいか、記憶の奥底にしまいこんだはずの苦い思い出が頭をよぎる。


「みたいですね」


 俺の顔を見ていた星奈が、そう言ってアヤメへと視線を戻した。おそらく、エスプレッソを一気に飲み干した後のような、そんな顔でもしていたんじゃないだろうか。ちなみにコーヒーは砂糖とミルクたっぷり派だ。


「奇麗な花だとは思うよ。いずれ菖蒲アヤメ杜若カキツバタ――甲乙付けがたい女性を褒め称える代名詞になってるくらいだしな」


「光太は、花に関連することわざをよくご存じですよね」


「そうでもない、昔の知り合いに聞かされたのを覚えていただけさ。学校の花壇の世話をするのが生き甲斐みたいな子だったからな」


「そうでしたか……女性の方、ですよね?」


「あぁ、星奈とは正反対で見た目は地味っていうか、普段教室にいる時は大人しくて目立たない子でさ。その割に花の手入れをしている時は、妙に生き生きとして饒舌じょうぜつになるんだよね。ふっ、あまりのギャップに、思い出すと今でも笑いがこみ上げてくるよ。よくこうして、花壇の前で二人して喋ってたな」


「そう……ですか」


(あれ? なんだか星奈の機嫌が急降下した? 星奈を引き合いに出したのがマズかったか?)


「べっ、別に星奈の見た目が派手だって言ってるわけじゃないぞっ? いや、星奈の場合は派手っていうか、目立つのは仕方ないっていうか。その、えっと……星奈?」 


「好き……だったんですね」


「ん? あぁ! そうだな、本当に花が好きな子だったよ」


「……違います。光太が、その子の事を好きだったんですね、っていう意味です」


「へっ?! 突然何を言って……」


 唐突に飛び出した星奈の言葉に、その瞬間は嘘偽りなく訳がわからず、彼女の方へと思わず顔を向ける。思いのほか近くにあった星奈の顔に驚くも、じっと見据えてくるその瞳から視線を逸らす事が出来なかった。

 俺の顔を映す青い瞳には、言い繕うことを許さない――そんな想いが込められているようにさえ思わされる。その視線から逃れる為に目を瞑り、ふっと短く息を吐き出した。


「そう……だったのかもな。いや、この言い方は狡いか。ほんとダメだな、俺は。でも、もう今更だ」


 最後の言葉は、目の前で真っすぐ伸びるアヤメの立ち姿に嫉妬して、半ば八つ当たり気味に吐き捨てていた。


「ほんと、狡いです。思い出の人にどうやったら……」


「えっ? ……何? 何が狡いって?」


 星奈が零した呟きが耳に届くと同時に、頭の奥深くにズキリと痛みが走った。何だ? 何か一瞬映像がチラついたような……。


「何でもありません。今更も何も、後悔しているなら今からでも、気持ちを伝えれば良いじゃありませんか」


「もう、会えないんだよ。どのみち俺には……彼女に合わせる顔が無い」


「……」


 無言で見つめる星奈の視線を感じつつも、俺はそのまま黙り込んでしまった。


【キーンコーンカーンコーン  キーンコーンカーンコーン】


「昼休憩、終わっちゃいますね」


「あっ!! 俺、昼飯食ってねーぞ……」


「光太、これどうぞ」


 そう言うと星奈は、抱えていた紙袋からチョココロネを差し出した。


「良いのか? 星奈」


「えぇ。その代わりと言ってはなんですが」


「何だ? 俺は食べ物の恩にはきっちり報いる男だぞ」


「いつか、白いアヤメをプレゼントして下さい。私が、この花を好きになれた時にでも」


「白いアヤメ? それは良いけど、時期がえらい不確定だな」


「私には、まだ時間があるって事です」


「よくわからんが約束するよ」


「はい、約束頂きました。では教室に戻りましょう」


 立ち上がり、スカートのしわを伸ばすようにはたくと、星奈は歩き出した。心なしか、その後ろ髪が弾んでいるように見える彼女の後について行く。


 思いがけず自分の気持ちに向き合う事になったが、この件に関しては色々と折り合いを付けるのは難しい。正直言って、チャイムに救われたという思いだった。

 俺は貰ったチョココロネを口にしながら、やりきれない想いを頭の片隅へと追いやる作業――タイトル【新緑の妖精せなたん】を脳内録画していた。





 後日の現国の授業にて。


「竹原君、あなたの感想文は実に良く書けていました。本質を深く読み取り、自分の解釈を加えて解りやすく表現する事で登場人物に対する作者の、そしてあなたの想いが強く伝わってくる。そんな感想文でした」


「ありがとうございます。自分でもなかなかの出来だと思っていました」


 クラスメイトから拍手が送られる。


「実に素晴らしいので校内新聞に掲載してもらい、全校生徒にこの感想文を読んでもらおうと思います」


「えっ?!」


 そう言って砂川先生から返された感想文。そこには三重の花丸に添えて一言――ぱないのぉお!! の文字が躍っていた。

 さらに後日、校内新聞を目にした美亜が、真っ赤な顔で抗議しに飛んで来た事にもここで触れておく。

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