1-6

 ぼーっと思考を垂れ流しながら歩いていると、視界の隅に黒い影が映った。

 そちらに目をやると、薄暗い路地から黒猫が飛び出してきた。赤い首輪をしているところを見ると飼い猫だろうか。……動物は嫌いではないが、苦手だ。特に飼いならされた動物を見ると、ワイルドガウンを想起させられる。


 いつもなら舌打ちの一つでもして素通りするところだが、黒猫の他にもう一つ、異物を見つけて足が止まった。

 黒猫がつついていたもう一つの「異物」が、俺の足下へ転がってくる。

 カツン、と足に硬質な感覚。靴越しにも小石よりは大きいことが分かる重量感だ。


「……なんだこれ」


 ラジオの再生を一時停止し、そのまま右耳のイヤホンを引っこ抜く。空いている左手で足下のそれを拾い上げた。


「ふしゃー!」


 遊び道具を奪われた猫が不機嫌そうな声を上げる。が、俺が次のアクションを起こす前に「ふん」とでも言いたげにそっぽをむいて、たたたっと出てきたのと同じ路地の方へ消えていった。

 動物を追い回す趣味はないので猫のことは忘れて、拾い上げた異物に目を落とす。


 手榴弾、もしくはキウイ的な何か。いやどっちでもないだろうけど。


 緑がかった楕円形の球体。表面は滑らかで手触りは金属のようだ。よく見ると縦に一筋細い隙間がある。どうやら外側のこれは外装で中身があるようだが、振っても音もしないし中で何かが動く感触もない。

 それ以外は実にシンプルで何の装飾も見られないが、実用性を重視した結果というよりは、どことなく試作品というか、作りかけでデザインにまで手が回らなかった感がある。

 ただし楕円の両端と側面に一カ所、それぞれ突起があった。上下の突起は恐らく外装を閉じるための留め金のような器具だ。ネジのようなものも見えるが形は見たことのない独特のもので、すぐには開けられそうにない。


 側面の方はON/OFFと実にわかり易いスライド式のスイッチになっていた。


「……いやほんと、なんだこれ」


 見れば見るほど謎の物体過ぎて反応に困る。用途は不明だがスイッチがあるということは電子機器の類いなのだろうか。そうだとしても明らかに一般向けに売られているものではない。

 スイッチ一つというシンプルすぎる作りから想像したのは防犯ブザーとかそういうものだが、スピーカーがついているわけでもなく音を出すようには見えない。


 画面も接続口もなくスイッチだけの電子機器として他に思いつくのは……何だろう、アダルトな玩具とか?


「いや、さすがにそれは最低の発想だった……」


 下校前に奏先輩と話していたせいで頭の中が若干シモ寄りになってるんだ。お願いだからそうであってくれ。


「ん、つーかこれ、電源入ってるのか?」


 スイッチはONになっているが、音も振動もない。本当に何なんだこれ。

 何か理由があって機能停止しているとか。だったらとりあえず電源を入れ直してみれば、ああでも、単に電池切れとかの可能性もあるのか。

 などと考えながら一度電源をOFFにする。カチッという音は実に安っぽくて逆に安心する。


「あ、あの!」


 さてもう一度電源を、とスイッチに再度指をかけたところで後ろから声をかけられた。

 耳慣れない女の子の声だ、ということを意識するよりも先に、反射的に身体が半回転して声の主を振り返る。


「――――は?」


 影。


 光を遮り俺の全身をいとも簡単に自分のシルエットの内側に飲み込む、尋常じゃないほどの巨体。俺を呼び止めた少女のような声音からはおよそ想像もつかない、あまりにも現実離れした存在感に後ずさる。


「な、ぁ、え」


 口は開くが言葉が出てこない。逆光に遮られて窺えないその顔を見上げながら、悲鳴を上げるべきか、それともすぐさま回れ右して逃げ出すべきか、必死に頭を回転させる。

 突如として目の前に現れたそれの、圧倒的なまでの存在の厚み。本能が生存の危機を訴えていた。

 すっ、と。かろうじて形だけは人間の範疇に留まったそれの両手が動く。両手を身体の前で重ねるようにして揃え、その上体がぐわっと前のめりに傾く。


「ありがとうございます」


 ……深々と、頭を下げられた。

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