1-3

「それよか見てみぃ、例の女ヒーローの目撃談、また増えとるで。やっぱ一度メディアに乗っかると次からは早いなァ」


 カチカチとマウスのクリック音が何度か鳴り、先輩の前のモニターに複数のウィンドウが表示される。


「……あの先輩、俺ついさっきそのヒーローのことで悪夢を見たってお話ししたばかりだと思うんですけど」


「せやからこーやって少しでも耐性つけとかんとなー」


 いやそれ嫌がらせじゃない?


「とにかく見てみぃや、こうして慣れておけば悪夢も見ずに済むかもしれへんやろ?」


「いや、慣れとかそういう問題じゃ……つーかむしろまた夢に出てきそうな気が」


「ほれほれ、ぶーたれてばっかおらんと、男らしく見たれや」


 先輩はわざわざイスを引いて、少し離れて座る俺にも画面がよく見えるように移動する。

 いくつか開かれたウィンドウにはどれも例外無く紅白カラーのヒーロースーツにマントを翻した一人の女が写っている。空を飛んでいるものや例の雑誌の写真みたいに悪党を掴み上げているものもあるが、動きが激しすぎるのか大半はピンぼけで、顔、というか表情まではっきり確認できるものはほとんど無い。せいぜい髪が金髪か、ブロンドだろうとわかる程度だ。


「……のっぺらぼうみたいで不気味っすね」


「かー、なんやねんその感想は。もっと目ぇ開けてよぉく見ぃや」


 奏先輩がイスの上で仰け反り、やれやれと頭を振る。


「どこを見ろってんですか。別にこいつの写真くらい、俺だって何度も見たことありますよ」


「どこって、そうやな、例えばこことかどうや?」


 そう言って先輩が指さしたのは一枚の写真に写る女ヒーローの腹のあたり。戦闘中は動きが激しいのだろう上半身はほとんどの写真で境界が判別つかないくらいにブレているが、対照的に下半身、というか腹から下は割とハッキリ写っているものが多い。

 恐らくパワー型の外見通り体幹の強さと肉体の強靭さで相手からの攻撃を無視して殴り掛かる戦闘スタイルなんだろう。どっしりと構えている下半身はしっかり写真に収まっていた。


 で、腹? なんで腹?


「どや?」


「いや、どうって言われても……」


「ええ腹しとるやろ? いやぁ、撫でくり回したいわぁ」


 ……なんかマニアックなエロ親父みたいなことを言い出した。


「ええと、先輩ってガチムチの女の子が好みのタイプなんですか?」


「アホなこと言いなや。ウチかて一応女やで」


「だから確認したんですけどね……」


 何だこの先輩。レズで腹フェチとか、割と周囲の見る目が変わっちゃうレベルの趣味だろ。


「いやいや、ウチ別にレズやあらへんって。まぁ、可愛い女の子もかっこいい女の子もいけるけどな?」


「なんで候補に男が入ってないんですか」


 やっぱレズじゃねぇか。


「なに言うとんねん、あんたにウチの好きな男のタイプなんか聞かしてもしゃーないやろ。それともアレか、俺が先輩の理想の男になってみせます、っちゅうことか? それやったらまぁ教えたってもええで。叶わない夢でも夢見る権利までは奪われへんもんなぁ、シシシ」


「ヤですよ先輩と付き合うなんて、身の回りの世話が大変そうじゃないですか」


 散らかし放題の部屋を見渡しながら溜め息をつく。先輩は相変わらずシシシと笑っている。俺の返答に少なからず照れが含まれていることに気付いているのかもしれない。

 ……いやまぁ、いくら友達が少なくても、先輩のことが嫌いだったらこうして毎日のようにこの部屋に足を運ぶわけがないよな。


 先輩と積極的に付き合いたいと思ったことはないけど、先輩と男女交際をする自分をイメージすると、それも悪くないかと思ってしまうくらいには俺はこの人のことが好きだった。


「ま、ウチの好みはさておきや。腹やのうても構へんけど、よぉ見てみい? このヒーローちゃん、ええ身体しとるでぇ。おっぱいもデカいし」


「ぶふっ!」


 危うくコーヒーを吹き出しかけた。


「な、何を言い出すんですか、いきなり」


「シシシ、こういうところからヒーロー好きになるのもアリやろ。ヒーロースーツって肌にぴっちりくっついとるから、大抵の女ヒーローはボディラインばっちり出とるで。そのくせ地肌の露出は極端に少ないとか、一周回って全裸よりエロいんちゃうか?」


「知りませんよそんなこと! っていうか、先輩いつもそんなこと考えてヒーローの画像見てたんですか!」


「失礼やなぁ、肉体美に敬意を払っとるだけやで? こんなエッロい身体で悪党と戦ってくれとるんやから、堪能せな勿体ないやろ」


「先輩のヒーロー擁護論が急に薄汚れて見えてきたんですけど……」


 そんな下心のために擁護してるんじゃないよね? 反対派閥の人間にだってライバルがもう少し真っ当であって欲しいと願う権利くらいあると思うのだがいかがだろうか。


 ヒーロー擁護派と、反ヒーロー主義者。自警容認派だとかヒーロー排斥論者とか、それぞれに別の呼称はいくつかあるが、基本的に主張は二つのいずれかに集約される。

 すなわち、現在一般にヒーローという名前で呼ばれている自警市民の存在を、公に認めるか否かだ。


 治安の悪化に伴い、警察では対処しきれない事態に民間の協力者、それも常人を超越した能力を持つヒーローの協力は最早不可欠な時代である、と主張するのが擁護派。


 反対に、警察組織の強化などで事態に対応すべきであり、民間人の一部に必要以上の権限を与えることは治安の悪化、社会の混乱に拍車をかけることになるというのが排斥派の主張だ。


 既に現実としてヒーロー達は活動をしており、それによって救助された人間も多いため排斥派の方がやや旗色が悪い。しかし、ヒーローがその活動中に誤って一部の民間人を死なせてしまったり、ワイルドガウンのようにヒーローを名乗っている人間が事態を悪化させる例も後を絶たず、排斥派の運動が下火になる様子もなかった。


 擁護派はヒーローに公的なライセンスを与え、活動に公的な後ろ盾を与えるべきだ、という主張にほぼ統合されている。


 一方の排斥派は派閥内でも意見が揺れている節があり、現状維持を訴える消極的擁護派ともとれる主張をする者もいれば、何らかの特殊な能力や武装を用いたヒーロー活動を行った者は全て過剰な暴行の咎で逮捕すべきという極端な主張をする者もいる。そうして一枚岩になりきれていないのも、排斥派が押され気味な理由の一つかもしれない。


「ほれほれ、ヒーローが社会から消えてもうたら、このぴっちりスーツの姉ちゃんたちも見られへんようになるんやで? それでええんか?」


「もう完全に下心丸出しじゃないですか!」


 最初から隠す気が無かった気もするけど。


「別にええやろ、理由なんかどうでも。人々はヒーローに救われる、ウチはええ身体が見れる、ええこと尽くめなんやからそら擁護するわ」


「ネット有数の擁護派の本性がこれかよ」


「悪口ならともかく、ネットに本心書き込むヤツなんてそうそうおれへんやろ……お、これなんかええんちゃうか?」


 先輩が嬉々として画面に表示した画像は、やはり例のヒーロー女の画像の一枚。例に漏れず激しく動いているところを偶然にも綺麗に捉えた画像のようで、珍しく歯を食いしばった女の表情までしっかり見て取れる。


 が、もちろん先輩がそんな理由で写真をチョイスしているはずがない。写真がぼやけていないということは、顔に限らずさっきまでの写真では見えなかった上半身まできっちり写っているわけで、スーツの細部や逞しい筋肉に覆われた豪腕、そして、これだけ筋肉質でありながら埋もれるどころか筋肉以上に激しく自己主張する、その、胸部の膨らみまでバッチリ確認できてしまった。……で、でかい。


「やー、見れば見るほどエロい身体やねぇ。どう鍛えたらおっぱいの脂肪燃焼させずにあんな鋼鉄ボディになるんやろ」


「先輩みたいなのが擁護してるからヒーローって胡散臭いんじゃないですか……?」


「なんやノリ悪いなァ。そんなん言うて、さっきから自分もヒーローちゃんのおっぱいチラチラ見とるやないか」


「みっ、見てませんよ!」


「照れるな照れるな。少年よ精子を放て、ってエラい人も言うとったで」


「先輩は敬虔なクリスチャンの言葉を何だと思ってるんですかね……」


「ややなぁ、ほんのジョークやって」


 人によっては笑って済まされそうにないですけどね。

 先輩はひとしきりケラケラ笑うと、まだにやけた顔のまま俺に向き直る。


「で、どや? ヒーローちゃんのおっぱいに免じて、いい加減擁護派にならへん?」


「なりませんよ。つーか、もうちょっと表現はオブラートに包んで下さいね」


「ウチと一緒におっぱい擁護派にならへん?」


「オブラート一瞬で溶け落ちたなおい! ていうかそれはもう別物だろ!」


「なんや細かいなー、ほとんど一緒やって」


「全然違いますよ!」


 というか健全な青少年なら全員擁護してるだろ、おっぱい。


「むっつりー」


「誰がむっつりですか誰が」


 病気呼ばわりよりもよっぽど心外である。俺はむっつりじゃなくて、常識的な判断で下ネタを自重できるだけだ。


「ま、おっぱいの話は冗談やけど」


「冗談で安心しました」


「一応、ひとまず、この場では、冗談ということにしておくんやけど」


「わざわざ言い直してまで俺の安心を奪わないで下さい」


 俺のツッコミにシシシと笑いながらも、先輩が笑みとは違う形に眼鏡の奥で目を細める。


「別に擁護派に転身せぇとは言わん。けど、ワイルドガウンの件に固執するんは、そろそろ終わりにしてもええんちゃうか?」


「どういう意味ですか」


 反射的に、俺の喉から低く唸るような声が出た。それに対しても先輩はシシシと笑うが、目だけは笑っていない。


「怖い声やなぁ」


「先輩の目も、怖いですよ」


「ほならお互い様やな」


「……そうですね」


 そして沈黙が降りる。互いに押し黙ったまま、俺と先輩は見つめ合う。睨み合う、というのとは少し違う。俺にも先輩にも、お互いに敵意は無い。あるのは無言の意思表示。互いに譲れない考えが瞳に浮かんでいた、ように思う。

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