アキラの善性



 配給作業は昨日と同じように滞りなく進み、役人も帰っていった。賑やかだった教会前の広場は、またいつもの静けさを取り戻そうとしている。


 正午過ぎに始まり、およそ三時間くらい体感でかかったところをみると、地球時間では大体四時頃と考えていいだろう。まだ陽は高く、夜になるまではしばらくの間がある。


 それくらいの時間となると、丁度子供たちが退屈してくる頃合いなもので、


「アキラー、ご飯配るの終わったんでしょ。また遊んでー」


 すっかり懐かれたようで、配給の間は大人しくしていた子供たちがまた遊んでくれとせがんでくるようになった。


 配給作業で頭が晴天状態のアキラは、快く付き合ってやった。しばらくすると後始末を済ませたシスターがそろりと近付いてきて、アキラに声をかける。


「アキラさん。あなたはとても素晴らしい人ですね」


 思わぬ褒め言葉が飛んできて、振り返りながらアキラも照れて笑う。


「えっ、そっ、そうですかね」


「さっきも見ていましたが、飛び出しそうになった子を止めてくれて助かりました」


「あ、見てたんですね。まあ、規則を守るのは大事ですし、小さいときからそういう習慣をつけておかないと」


「おっしゃる通りだと思います。でも何より、アキラさんのように規則正しく生き、善行を重ねようとする人は珍しくて。あなたのような人だけがこの街にいれば、それほど素晴らしいことはないですのに」


「褒めすぎですよ。シスターこそ、その、まるで女神様のようです」


 頬を掻きながら、アキラも慣れない褒め言葉を吐く。


「ふふ、それこそ私には過ぎた言葉です。――本当に、アキラさんのような心に正しさを持った人間だけが世界に溢れれば、きっとこの世は果てのない調和が訪れるはずですのに」


「いやぁ、そこまで言って貰えると気後れしちゃいますけど、でも、世の中には規律を乱す人も多いですから、僕らだけでも〈正しく〉生きないと」


「そうですね……。困ったことに、この街でも〈悪しき〉を行う人は少なくありませんから」


 どこか悲しげに言うシスターに、アキラの口も乗る。


「僕の故郷でもそうでした。簡単な規律すら守れない人たちのために、正しく生きようとする人たちが損をする。皆が規律をちゃんと守るようになれば、どんな場所でだってそんな不幸が撒き散らされることはないはずなのに」


 アキラの言葉に、シスターは一瞬目を見開いた。


「……それはつまり、アキラさんのような方だけがこの街に存在していればいいと、そういうことですよね」


 急にシスターの声のトーンが深くなった気がして、アキラは鼻白む。


「えっと……?」


「私もそう思います。心から。そう、人間は皆、アキラさんのようになってしまえばいいのに……」


「し、シスターも冗談を言うんですね。人間が全員僕だったら、さすがの僕も気持ち悪いかなーなんて」


 すぐににこっと笑ってシスターは続ける。


「いえ、いずれこの子たちも、アキラさんのように善良に育ってくれればと思っただけです。是非、アキラさんはこの子たちのお手本になってあげてくださいね」


 シスターの冗談のベクトルは理解できなかったものの、褒められた感動でそんな靄は綺麗に吹き飛んでいた。


「はい!」


 と元気よく返すが、実際のところ、いつまでここにいられるかは件の霊剣士次第だ。


 まだ、やってこないのだろうか。一刻も早い解決を願う心はあるが、そうなれば、


「でも、霊剣士が来たらここにはもういられないしな……」


 思わず声に出て漏れていた。


「アキラさん?」


「あっ、いえ。あの、もし街の封鎖が解かれても、たまにここに来てもいいでしょうか?」


 街の封鎖が解かれれば配給に手伝いもいらなくなるだろう。そうなればアキラが教会に来る口実も無くなってしまう。


 だから、シスターの口から聞きたかった。まだ自分が、ここにいてもいいという許可を。フェレスラリアで天使を壊す方法を見つけて、またここに戻ってきてもいいという許可を。


 躊躇いがちに言いながらも返事を求めるアキラに、シスターは包み込む慈愛の微笑を湛えて、


「私は、いつでもアキラさんを歓迎します」


 二人の間で親密な笑顔が交わされ、子供の一人がからかうように言ってきた。


「アキラー、シスター、けっこんするのー?」


「ちょっ、違、そ、そういうんじゃないって!」


「ふふふっ」


 談笑しながら、アキラはこの一時にかけがえのないものを感じ取っていたときだった。


「アギラーっ!」


 そんな和やかな雰囲気の中、子供の一人がアキラの足に泣いて飛びついてきた。


「どうしたんだ?」


「あっちで遊んでたら、ひっぐ、いきなりけられたの、えぐ」


 少年が指さす通路の先へ目を向ける。


 そこから三人の中年男が何か言い合いながら教会に向かってきていた。


「なあ、まずいって。いくらなんでもガキに手を出したら」


 その内の一人の痩せぎすの男は、中央を歩く太った男を焦ったようになだめていた。


「うるっせえ! 俺はもう飽き飽きなんだ。霊剣士が来ねえんなら、俺が魔獣呼応者を引っ張りだしてやるっつうんだよ!」 


 一番太った男は酒に酔っているらしい。赤ら顔の据わった目で、教会の前でアキラと遊んでいた子供たちを一瞥する。


 子供たちは呆気に取られて、ぽかんと見返すしかない。それすらも男には癪に障るようで。


「ああ⁉ ガキだからってこの状況で呑気に遊んでんじゃねえぞ!」


 教会前の広場は男の怒鳴り声で一気に萎縮した。歓談していた大人たちも関わるべきじゃないと、そそくさと逃げるように立ち去っていく。


 残ったのは行き場のない子供たちとシスター、そしてアキラだ。


「おいガキども! 魔獣呼応者を見つけたらすぐに俺に教えろ。救世主である俺様がそいつをぶっ殺して街を平和にしてやるからよ!」


 居丈高な男に怯える子供たちは、自分たちが責められていると感じて、助けを求めるようにアキラの元に集まってきた。


「何が救世主だ。子供たちを脅かして、そんなへったくれもあるもんか」


 アキラは子供たちを庇うように前に立ち、男たちに思わず反感を口に出す。


 どの世界にも理不尽な言いがかりをつけてくる人間というのは生まれてきてしまうらしい。


 酔っていてもしっかりアキラのぼやきが聞き取れたらしい男は、近寄ってきて睥睨するように顎を上げ、アキラを睨む。


「そうか。だったらお前が魔獣呼応者だ」


 男はアキラを指さし、そう言い放ってきた。


「はあ? 何を言って」


「お前、魔獣呼応者を庇ってんだろ」


「別に庇ってなんかないだろ」


「呼応者をぶっ殺してやるっつう俺を止めるってことは、そういうことだろうが!」


 無茶苦茶な――


 反論しようとしたのも束の間、男の拳がアキラの腹に突き刺さる。


「ぐっ、げほっ」


 頽れて空咳を繰り返すアキラに、シスターたちの不安そうな声が飛んでくる。


「アキラさん!」 


「やめろー、アキラをいじめるなー!」


「ああ、うぜえな。ほんとにやっちまうか」


 太った男が苛立ちを現すと、後ろの二人が慌てて声をかけた。


「でもよ、さすがにまずくねえか?」


「教会に手ぇだすと後で睨まれるぜ」


「あぁ? お前ら、ガキが魔獣呼応者にならんとは限らんと考えんのか? むしろこんなに長い間出てこないんだ。普通、疑われないようなやつらの中にいる可能性の方が高いだろが。女とかガキとかな」


「な、なるほど」


 短絡的な発想だが、仲間の男には腑に落ちたらしい。


「なに、多少痛めつけてやりゃすぐに本性を出すさ。今までうまく隠れていたんだろうが、所詮は我慢の利かねえガキどもだ。すぐに魔獣に頼るだろうぜ。そいつを殺しゃ全部解決だ」


 それで男たちの意思決定は済んでいた。


 どちらの方が我慢が利かなくて子供なのか、自分に抗えるだけの力があれば問い詰めてやりたいところだが、今の一撃でアキラはすでに膝をつき、痛みを逃がすために大きな息を繰り返すことしかできていなかった。


「や、やめろ……!」


 男たちは既にアキラから興味を失ったようで、足をシスターたちに向けていた。このままでは、本当にシスターや子供たちに危害が及ぶ。


 最初の一撃で既に空嘔吐きを繰り返し、天使の制約を掻い潜って自分にできることは――。


 ない。


 と断言し、成り行きただ見守ることはアキラにはできなかった。


 異世界ファンタジーに天使の制約は、あまりにも強すぎる。あまりにも相性がかけ離れすぎ組み合わせだと言ってもいい。ファンタジーが求める大冒険には、暴力が必須なのだ。


 人どころか、動物だって、モンスターすら殺すことができない。


 何ら特殊能力もなく天使に操られているだけのアキラが、今ここで何ができるというのか。


 アキラは地面を強く蹴り、飛び出した。太った男の背後から腰の辺りにしがみつき、後ろに引っ張るように足を張った。


「なんだこいつ。うざってえな。おい、お前ら、こいつを引き剥がせ」


 太った男が首を回して自分にしがみついているアキラにゴミを見るような目線で不愉快を示すが、太っているせいで腕が回らないらしく、腰を捻ってもアキラには届かない。


 取り巻きの男二人がアキラの腕を乱暴に掴み引っ張るが、アキラはより強く男の服を掴んで離さない。


「絶対、離すもんか!」 


 男の汗と酒の不快な臭いが鼻をついても頭ごと押しつけ男を前に進ませなかった。


 アキラを引き剥がそうとする男たちの動きは、引っ張るよりも殴りかかり離させるフェーズへ以降していた。カカシを殴るのにフットワークを気にする人間はいない。込めに込められた力任せの殴打に、意識が飛びかけて視界が白くなる。


 アキラは全身に響く激痛に呻きながらも、あらん限りの力を振り絞って叫んだ。


「シスター! 子供たちを、早く逃がして!」


 声は届いただろうか。返事は聞こえなかった。だが、今は彼女が子供たちをすぐに逃がしてくれることを祈るしかない。


「くっそ、いい加減離れろ。こいつ!」


「邪魔なんだよ! 手え離せや!」


「うううううッ!」


 頭を殴られ、腹を殴られ、それでも手は離さなかった。


 自分はなんて無力なんだろう。殴られながら、そんな不甲斐なさが胸を衝く。


 いくら自分の方が危害を加えられていても、天使は反撃を許してはくれない。自分の暴力が封じられている以上、自分に向かってくる暴力は耐え続けるしかない。


 こんなとき、アルシャがいれば――。


 あの身体能力と剣があれば――。


 ふと頭を過ぎった考えに、自ら落胆する。


(何を考えているんだ。僕は!)


 都合良くアルシャに頼ろうとするなんて。そんな発想が頭に浮かんできたこと自体、アキラには信じられなかった。


 彼らより上の暴力があれば、彼らを黙らせることができると、自分はそう考えてしまったのだ。その考えはアキラ自身の無力を強調するものでもあったが、ふとした瞬間に出てくる暴力への欲求が、自分があの診断書通りの人間であることを証明する気がして身震いする。


 ましてや、アルシャはアキラのための外付け暴力装置ではないのだ。


 だからアキラは虫がいい思考を頭から振り払い、再度強い意志をその目に光らせた。 


 これが、僕の戦い方だ。


 見てみろよ。天使。


 僕はこんな風に人を守ることだってできる。誰が将来取り返しのつかない犯罪を犯す子供だ。そんな人間に、こんなことができるもんかよ。


「うううううううううッ!」


「おい、なんだこいつ。気持ち悪いな」


 いつまでも離れないアキラに男たちが気味悪がりはじめるが、暴力の雨はアキラを打ち付ける強さを弱めてはくれなかった。


 離すまいと、アキラは自分が重りにでもなったつもりで男の服に噛みつき、その状態のまま、アキラは一方的に殴られ続けた。












 ――――。

「なあ、もういいんじゃねえか? ガキどももいなくなっちまったし」


「ここまでやって出ねえならいねえんだろ」


 すっかりひとけもなくなった教会前で、男たちはつまらなそうに言った。


「ああもう、わかったよ。今度は商会のやつらにでも吹っかけてやるか」


 アキラを嬲って憂さが晴れたらしい男たちは、仰向けに倒れ込んだアキラをその場に残して、悪態をつきながら教会前から去って行った。











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