魔人信教徒


 アキラの望みとは裏腹に、異変は急速だった。


 オベリスクが建っている村の中央広場に、珍しく人集りができていた。それを発見したのは、朝の日課になっている散歩をしていたときのことだ。


 アキラも興味本位で近付いていく。人垣を割り入るように頭を覗かせると、そこには平穏な生活とは真反対の光景が飛び込んできてアキラの目を丸くさせた。


 黒ずくめの男が、磔にされた女性を激しく痛めつけていたのだ。


「見よ! これが魔人の法を犯した咎人の成れの果てなのだ!」


 男は叫び、その度に手に持った腕ほどもある太い棍棒を女性の身体に振り下ろす。


「イヤァッ! イタイ! イタイノッ! ワァタシ、ハ、ナニモシテナイノニィィ!」


 女性は焦点の合っていない不気味な目を剥き、喚き、繋がれた手足を必死に動かし逃れようとする。


 丈夫な革紐でくくられた手首はうっ血して真っ青になっているが、痛みを感じていないように暴れていた。


(平和な場所だと思っていた矢先にこれか。いくらなんでも期待通りすぎるんじゃないか)


 内心で異世界の展開に文句も吐きつつも、アキラは焦りが募っていた。


 こんな場面を目の当たりにして、どう対応するべきなのかがわからない。


 だがそれはタルキス村の住人たちも同様のようだった。いたぶられている女性の姿を不安げに見ていることしかできていない。


 棍棒が振り下ろされるたびに、住民たちは肩を竦ませ、顔を背ける。


 苦渋の汗を流しながらも目を離せないでいる人垣の中に、同じように立ち尽くしているハンスも姿もあった。


 アキラは目立たないように駆け寄って、後ろから彼の肩を叩いた。


「ハンスさん、これは一体何が?」


「アキラか。――どうやら、魔人信教の宣教師らしい」


「魔人信教……?」


「ああ、だから迂闊に手を出せないんだ。魔人信教徒に関わると碌なことがないからな……」


 ハンスの話の流れから察するに、あまり歓迎されない宗教らしい。


「あの磔にされてる女性は、タルキスの人ですか?」


「いや、旅人のようだ。女の方が宣教師よりも一週間くらい先に滞在していた。宣教師はつい二、三日前にここにやってきて、あの女が魔人の罰を受けている咎人だと見抜いたと言っているが……」


 魔人――。


 字面からして物騒な異世界用語だ。


(やっぱそういう要素があるのか……。で、あの宣教師がその信奉者ってことか)


 モンスターというよりも、人間を呪う悪魔みたいなタイプ。呪術的で目に見えない影響を与える、モンスターよりも厄介なパターン。


 こういう手合いが相手の場合、なおさら魔法的な才能が求められるやつだ。


 兎獣人が言っていた人間の隣の脅威とは、このことなのだろうか。


「ガアアッ! マジン、ユルサナイ! ワタシ、ヲ、コンナメニ、アワセヤガッテエェェ!」


 唾を撒き散らして狂ったように吠える女性に竦んだのは住民たちだ。いたぶられる姿に憐憫の目を向けつつも、魔人に呪われた女性を心の底では怖がっている。


 あの女性が魔人に対して何をしたのかはわからないが、そのせいで常軌を逸した状態になっているということらしい。


「だまれえええい! 魔人に仇なす者は、皆こうして狂っていくのだ! タルキスの人間たちよ。こうなりたくはないだろう! ならば私の言葉を聞け! 私が魔人の法を守る術を教えよう! さすればこの女のように狂うことはなくなるのだ!」


 宣教師が叫ぶやいなや、棍棒を女性の頭に振り下ろす。


 そこに込められた力には、容赦のひとかけらも見当たらない。女性は意識は保ったようだが、高く悲鳴を上げる。


「イヤアアアアッ! ユルシテ、マジン、マジンサマアァァァ!」


 一転して、魔人に赦しを請い始める女性。しかし宣教師の手は緩まなかった。


「いまさら見せかけの赦しを請うたところで遅いのだ! 自らの罪を心から潔く認め、魔人の法を犯したことを悔い改めよ!」 


 女性への暴力はエスカレートしていく。その光景に、住民たちの間からも短い悲鳴が起こるようになった。


 面持ちは不安と迷いに満ち、魔人の呪いへの恐怖と宣教師の暴力的な祓除に、どちらの味方をすればいいのかわからなくなっている。 


 そこへ、宣教師が村人たちに向けて高らかに講じる。


「タルキスの住人たちよ! 王都が強硬的に王国法第二十八条を改変したことは記憶に新しいだろう! 我々はそのおかげでさらに搾取され、生活は苦しくなっていくばかりだ! この女も憐れであった。王国の法を守るべく魔人に背反し、こうして罰を受けた。人間の法と魔人の法は相容れぬものなのだ。だのに王都は我ら民に無意味な法を押しつけ迫害しようとする!」


 魔人の法は不変であり、それこそが人間を守るものだと宣教師は続けて謳う。


「身勝手な人の法を捨てよ! 吾輩が魔人の法を伝える伝道師となろう! 魔人の法こそが我々を守る唯一不変の倫理である!」


「ガアアァァァッ! マジン、マジンマジン! ワタシガ、オマエラヲ、コロシテヤルゥゥ!」


 魔人という言葉に反応したのか、女性がまた暴れ始める。


(魔人の法を破るとこんな風になってしまうのか……。異世界ものにしちゃ、結構質が悪いな)


 具体的にどんな行動をすれば魔人の法を破ることになるのかがわからないため、恐怖心はなおさら刺激される。


 アキラも生唾を飲み込んで見守るしかなかった。


「ええい、これでもわからぬか! こうだ! こうだ! 魔人の法を犯した罪は、このように解放するしかないのだ!」


「ヤメテェェェェ! マジンサマアアア! ワタシノ、ツミヲ、オユルシクダサイィィィ……」


 棍棒で殴られる度に、女性は奇声を上げ悲痛に苦しみ身悶えする。


 そこでアキラは、微かに違和感を感じ取った。


(なんであの宣教師は、魔人の罰から女性を解放すると宣いながら、殴ることしかしていなんだ? なんかおかしい気がするぞ)


 魔人という超常存在の力が及んでいるなら、物理的に殴ったところで頭が痛いだけだろう。


「タルキスの住民たちよ。見よ! こうして吾輩のおかげでこの女は魔人の咎からも脱することができた! だが安心してはならぬ。人間が魔人の法に背き続けている限り、この村の中でも突如として魔人の咎を受ける者も出てこよう。魔人はいつでも我々を見ているのだ! しかし! 吾輩がここにいる限り、贖罪はいくらでも可能であると宣言する!」


「アアアアァァ、マジン、サマァァァ……オユルシクダサイィィィ……」


 演説を続ける宣教師の横で、女性は弱々しく赦しを請う。


 宣教師は村人たちに向き直り、人差し指を頭の上に掲げた。


「そのために吾輩はここに魔人信仰教会を建てると誓おう。今の国王は民を守ろうとはしない。ならば吾輩が皆を救おう! 吾輩の言葉は魔人の言葉でもある! 皆が吾輩の手を通じて魔人の御業を目にすることになろう!」 


 だが奇妙なことに、宣教師は一向に魔法や加護的な力を行使しようとはしない。魔人の力を見せるどころか、王都の批判まで始め、自分の方を信じろと言いだした。


 アキラには、ピンとくるものがあった。


(これは、異世界の魔法とかそういうのは全く関係なくて、女性を無理やり罪人だと決めつける魔女狩りみたいなものなんじゃないか)


 女性は確かに正気を失っているように見える。しかし、そこにも何ら魔力的要素の動きは感じられない。


 女性は元から精神的な病を抱えていたか、あるいは、薬か。


 あれだけ殴られて意識も失わずハイになってる状態も、それなら頷ける。


 それをいいことに、あの宣教師は無抵抗の相手に棍棒を振り下ろし続けているのだ。


 ――中にはその機能がぶっ壊れちゃってる人間もいるみたいだけどね。暴力を振るうことに抵抗がない人間っていうのも、稀にだが存在するんだ。


 ふと思い出したのは、あのコロロピとの会話だ。彼が言っていたような人間が今、目の前にいる。


 暴力で誰かを痛めつけることに、なんら呵責を感じない人間が。


 自覚した。確かにアキラは恐れている。あんな人間が存在していること自体が信じられない。そして、怖いとも思う。


 でも、だからといって怖じ気づいてあのままにしておいていいのか? 


 無抵抗の相手に暴力を振るうなんて、それこそ倫理的に許されることではない。だが村人たちは何かを恐れている。


 それは文明的な差から生まれる恐怖かもしれないし、信仰に植え付けられた虚構の恐怖かもしれない。


「く……」


 ハンスも動けないことがもどかしそうに歯がみしていた。タルキス村の治安を守る青年団である彼ですら、魔人信教に手を出しかねている。


 なら、ここで動けるのは自分だけだ。地球で生まれ育ち、悪魔や魔人なんてものは実際にはいないと断言できる自分だけが、この惨い騒動を止められる。


 タルキス村に平穏を取り戻せる。怯えて不安で顔を歪めている村人たちに、笑顔を取り戻せる。


 異世界への転移に舞い上がったヒロイックなイキリ感情だと揶揄されたっていい。それでも自分がここにいる意味があるのなら、


(やってやる!)


 震える拳を力強く握り直してアキラは駆けた。村人たちに向けて説教を続ける宣教師の目線の死角から走った先は、磔にされている女性の前だ。


 傍観者の村人たちもざわめき、宣教師もすぐに異変を察知した。革紐を解くのに手こずるアキラに、唾を飛ばして怒声を届ける。


「貴様、一体何をしている! 貴様にも魔人の罰がふりかかるぞ!」


「やってみろよ! 僕は魔人なんて怖くない。こんなことをする方が間違ってる!」


「何が間違っていると言うのだ! これは魔人の御意思だ! いいから手を離さんか!」


「いやだっ!」


 掴みかかってきた宣教師の腕を振り払い、一心不乱に女性の拘束を解きにかかる。


 アキラもやけくそだったが、そうしているうちに確信した。この宣教師は何も魔法のような力は持っていないし、魔人とやらの加護も持ってはいない。


 アキラをその力で制圧しようとしてこないのがその証拠だ。


 幸いにも革紐はさほど時間はかからずに解け、女性はすぐに自由になった。


「はやく逃げるんだ!」  


 そう促すも、解き放たれた女性はぽかんとアキラを見上げているだけだった。


「い、いい加減にせんか、このガキがあッ!」


 とうとう怒り狂った宣教師の暴力はアキラにも降りかかった。太い棍棒がアキラの頭にも打ち下ろされる。


 暴力慣れしていないアキラには咄嗟の回避行動すら起こせなかった。棍棒はまともに側頭部に打ち付けられた。


 衝撃とともに、光を感じた。視界は数秒、真っ白になり、何も聞こえなくなった。


 代わりにアキラの脳裏には、ザザ……と別の光景が映っていた。


 数人に見下ろされ、下卑た笑いを投げかけられている自分の映像。


 自分を囲む見慣れた制服の男たち。アキラは地べたに尻餅をつき、彼らを睨んでいる。


 わずか二秒程度のことだったが、はっきりと見えたその映像に、アキラは戸惑った。


(違う、今のは幻覚だ。でも、僕は学校で殴られたことなんて……今の出来事と記憶が混ざったのか。僕は今どうなってる?)


 殴られても思った以上に冷静な思考ができた。自分の身体がどうなっているのかを確認して、すぐに身を起こして、宣教師を抑えつけるんだ。


 頭の中で動きの手順を整理し行動に移そうとするが、しかし実際のアキラは倒れてもいなかった。


 倒れかけた上半身は両足が地面を踏みしめ支えられ、見下ろされてもいない。


「あれ、僕、立ってる?」


 殴られた衝撃は確かにあったが、大して痛くもない。多少はよろめいたが、踏ん張れば耐えられる程度の衝撃だった。あんなに太い棍棒で殴られたのに。


(頑丈な肉体……もしかして、これが僕の能りょ――)


 アキラが何かをひらめいていたその瞬間、突然誰かが大声で叫びだした。


「馬鹿じゃないのかよお前っ! 全部台無しにしてくれやがって!」


 その声の主は、磔にされ狂っていたはずの女性だった。


「……は?」


「計画がおじゃんだ! こっちは村に入る前から二十日間以上も練習してきたんだぞ!」


「えええええ?」


 妨害した自分が怒られるのは、まだわかる。でもなぜに助けた相手に怒鳴られなければいけないのだろうか。


 思考停止するアキラをよそに、女はその怒声を宣教師へも向けた。 


「おい、おっさん! 約束通りの金は払ってもらうからな! ったく、こっちはいい小遣い稼ぎができると思ったのに、こんな田舎でとんだ恥さらしだよ! くそったれ!」


 罵倒するだけ罵倒して、沈黙の広場を大股で去って行く女性を見送るアキラと村人たち、そして宣教師。


「えーっと、つまり……?」


 要するにこの一幕は、見ている者たちの不安を煽るためのよくある手口だったというわけだ。


 磔自体は緩く、棍棒は殴っても大して痛みのないように布で柔らかい部分を作られた仕込みだった。


 ついでにアキラの肉体も特に頑丈にはなってないっぽい。


 それがわかるまで、アキラも村の住人も、頭が展開についていけず互いに顔を見あわせるだけだった。その中には、なぜか宣教師も含まれていたが。


 その奇妙な空間を破ったのは、清涼な風のような、少女の明るい笑い声だった。


「あははっ」


 それを端緒に、まさに爆発するように広場は笑いの渦に包まれる。住民たちは一連の流れが芝居だったことがわかり、腹を抱えはじめた。


「なんでえ、演技だったのかよ」


「いや、俺は怪しいと思ってたよ。いくらなんでもあれはな。過剰演出ってやつだ」


「ははっ。かっこつけんじゃねえよ。一番お前が冷や汗垂らしてただろうが」


 やいのやいのと騒ぎ始める村人たちをよそに、静かに怒りを滾らせるのは偽宣教師だ。


「こ、このガキッ、よくも!」


 棍棒が仕込みであることすら忘れるほどに冷静さを欠いたのか、宣教師は堪えきれなくなった怒りをぶつけようと棍棒を握った腕を再度振り上げるが。


「おーい、それで殴っても意味ねえぞー」


 すぐさま野次が飛んできて、広場はまた笑いに包まれる。まるで村一番のエンターテイメントがやってきたかのように、その勢いは一向に収まる気配がない。


 息をしても笑いが起こるような状況に偽宣教師の方がいたたまれなくなったのか、逃げるように女の後を追っていった。


 展開に頭がついていけてないのは、もはや磔台の前に取り残されたアキラだけとなっていた。


「……ええ?」


 その背後からハンスが近付いてきて、アキラの背中をどんと叩く。


「いやーアキラ。よくやってくれたな。魔人信教徒を名乗るなんて碌な輩じゃないとは思っていたが、まさか偽物だったとは。たまにいるんだ。ああいう悪質なのが。本当に、よく見破ってくれた」


「ええと」


「それにしてもあいつら……ぐふっ、二十日間も練習してたんだってな。は、二十日も……ごふっ。その努力を他に向けりゃいいのに、やべえ、腹いてえ」


「はあ」


 端々でいまだに吹き出すハンスは、ついに両腕で腹を抱えだす。


 一方、一世一代の義侠心にオチがついたアキラはこの展開に一番腑に落ちず、ズレた眼鏡の位置も直さないまま、笑い続けるハンスに生返事を繰り返すのだった。









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