第1部

コロロピ〈廻因鉄〉


 ――半年前



 人間には天使と悪魔が同居している。


 天使の声だけを聞いて平穏に暮らしていければいいが、ふと気が緩み油断していたときほど悪魔に覗かれているような危険が訪れやすい。


 異世界での予測できない危険とは、例えばこういうものがある。


 人語を喋り二本足で歩く地球には存在しえない兎に、異世界独自のアイテムを見せつけられて、さらにその使い道を想像してみろと言われるようなことだ。


 眼鏡をかけた少年が、その話に聞き入っている。


 見たこともない道具を緑豊かな木の陰に並べていた兎獣人。行商をしているという彼に興味を惹かれて恐る恐る覗き込んだのが始まりだった。


「これは廻因鉄(かいいんてつ)という鉱石から出来ていてね。元々その鉱石には目に見えない因子が大量に含まれていて、石の中を縦横無尽に動き回っている。それを鋳造してリング状にしたものがこれなんだ。これに初動の回転を与えると、中に含まれていた因子も一斉に回転方向に動きだして、リングは因子の回転エネルギーを蓄えてしばらく回転を続ける。こうやってね」


 声の主は腕輪サイズの細いリングを手のひらの上に乗せて回転させる。するとリングは徐々に皮膚から離れ、数センチ浮いたところで回転の勢いをぐんぐん増していく。


 その様は独楽のようでありハンドスピナーのようであり、そしてそのどれでもないようなものが、静かに真円を描き勢いよく回転している。


 掌に浮かぶ回転するリング。彼によれば、これがこの世界の文明を支えている利器なのだという。


 リングの中心には回転を支える支点すらなく空虚で、どういった理屈で宙に浮かび回転を維持しているのかは、アキラには傍目から見てもまるでわからなかった。


 変なリングも気にはなるが、アキラは説明を得意気にしている主の方に目が釘付けだった。


 全身毛むくじゃら。毛色は全身真っ白、瞳は赤く、細長く上にぴっと立つ両耳、手には可愛らしい肉球――


(あれ? 兎に肉球ってあったっけ?)


 まあ、そんな疑問はともかく。


 花の模様があしらわれたベストを着込んでいるものの、頭や腕などの隠しきれない部分にもふもふと存在しているその毛並みは見るに触り心地が良さそうで誘惑には抗いがたい――


「おおっと、ボクへのおさわりは禁止だよ」


 兎獣人は伸びてきた手から素早く身を一歩引くと、身体をくねらせ大きな両目を流し目のように細めてからかうように言ってきた。


 しまった。思わず油断して自分の欲望に従ってしまった。いくらモフり具合が最高に見えても、軽率な行動はここでは御法度だったはずなのに。


「ご、ごめん! その、悪気があったわけじゃなくて、だからえっと」


 兎獣人は目を細め、いやに色気のある目線で、あたふたするアキラを上下に観察しはじめた。


「面白いね、キミ。なんだか怒られることを酷く恐がっているみたいだ」


 くつくつと笑う兎獣人。どうやら気分を害したりはしていないらしいと安堵する。


(本物、だよな。ぬいぐるみでもロボットでもない)


 身長はおよそ八、九十センチほどか。耳のてっぺんまで含めれば百センチは越えるだろう。


 器用に二本足で立っているが、その両脚はまんま獣のそれで、人間とは関節の位置がまるで違う。人間のものよりも細く長い靴を履いたその足で軽快にくるくる回ると、びしっとアキラに肉球付きの指をさした。


「さあさあ、話を戻そうじゃないか。キミならこれをどんな風に使うのかな?」


 兎獣人は演技がかったような動きで両腕を広げ、アキラを誘う。なんだかピエロのようなひょうきんさがあり、彼の楽しげな声に導かれて、アキラもつい従って思考を巡らせてしまう。


「自然に回転する道具かあ。車輪とかかな?」


「廻因鉄製の車輪はもうすでにあるよ。すっごく高価だけどね。まだまだ」


「うーん、歯車、水車、扇風機……」


「どれも常識の域を出ないなあ。もっともっと」


 腕を大仰に広げてアキラの答えに退屈さを表現する兎獣人に、アキラもうーんと唸る。


(あるのかよ、扇風機)


 内心で文明のギャップに突っ込みつつ、他に何があったかと思考を続ける。


(モーター、メリー・ゴー・ラウンド……でもさっきの口ぶりからするとどれも似たようなものがあるかもしれないな。他には……)


 回転するエネルギー。よく考えれば日常に溢れているような気がするが、言われてみるとなかなか思いつけないものだ、とアキラは顎に手をあてる。


(回転……といえば、銃の弾が発射されるときも回転するんだっけ。ライフリングっていうやつ。でもあれは螺旋回転だから、車輪のような車軸回転とは意味合いがちょっと違うかな)


 と、そんな風に思考が脇に飛んでしまった瞬間だった。


「――へえ、君はこれが武器になると考えたんだね」


「! 今、僕の考えたことを……?」


 未知なる新体験への畏れからアキラは驚愕し口をぽかんと開けた。


 兎の方はといえば、指を一本立てて嬉しそうに種明かしをしゃべり出す。


「ボクたちは人が頭の中でイメージしたものをある程度掴み読み取ることができるんだ。細部まではわからない感覚的なものだけれどね。君がいま想像したイメージも……なるほど、回転を直進力とその安定性に変えるのか」


 さすがは異世界だ。いきなり人の思考を読む生物と出会うなんて、侮れない。


 しかし、それよりも、アキラには焦る必要があった。


(まずい。危険思想の持ち主だと思われるわけにはいかない……!)


 完全にしくった。異世界の特殊アイテムを、銃のような兵器に転用する人間だと思われるのは非常にまずい。


「僕はそんな危ないものを思い起こしたかったわけじゃなくて……」


「いやいや、珍しい発想だと思っただけだよ。ただ、こんな僻地の、こんな平和な農村でそんなイメージを浮かべる人間がいたのは、ちょっとだけ驚いたけどね」


 神妙な面持ちでうんうんと頷く兎獣人に、アキラも必死で弁解。


「そ、そんなつもりなくて。僕は武器とか兵器とか、そういうものが嫌いなんだ。イメージしちゃったのはその反動というか、物の弾みというか……」


「ふむ……? 君は暴力が怖いのかい?」


「そりゃ、怖いよ。だから僕を危険な発想をする人間だと思ってほしくないな」


 そう言うと、兎獣人はふふっと笑みをこぼした。


「人間が道具を武器にしたがるのは自然な発想だよ。そうやって人間は発展し続けてきたんだ」


「でもそれが人間の本質なら、この世界は地獄になってしまうだろ?」


 自分はそんな人間じゃない。安全な人間なんだと、印象づけるためにそう言ったが、兎獣人は悟っているような口ぶりだった。


「だから通常、人間には暴力の抑制機能がついてるんだよ。思いつくと実際に行動するは別物さ。見たまえ。この村には秩序がある。秩序は理性によって保たれる。人間が武力を欲しがるのは特性だが、理性もまた同じように人間の特性だよ」


「そういうもんかな……」


「中にはその機能がぶっ壊れちゃってる人間もいるみたいだけどね。暴力を振るうことに抵抗がない人間っていうのも、稀にだが存在するのは事実だ。キミが恐れているのは、そういう類いの人間なのではないかな」


 なんとなく説得されたような気がして、アキラは力なく頷く。


「そう、かな。うん、そうかもしれない」


「なら安心したまえ、ここタルキス村は王国の中でも最も温和な人間たちが集まる場所だからね。君から危害を加えない限り、暴力的なことは何も起きないさ。ましてや、イメージだけでキミを危険人物扱いすることはない。ボクも含めてね」


「そっか」


 アキラは心底ほっとして胸を撫で下ろしたが、兎獣人はそんなアキラに関心を持ったらしい。


「君はもしかして、ここではないどこか別の場所から来たのかな?」


 言いながら、長い髭がピクピクと動く。どうやら、イメージを読んでいるときに動くようだ。


「君の思い浮かべるイメージの端々に、見たことのない光景が見える。朧気だけど、不思議な形のものが沢山見えるね。それに、廻因鉄のリングは高価とは言え王国でも一般的に知れ渡っているものなんだ。それを知らないということは、キミはどこか遠くから来た人間ということになるはずだね?」


 鋭い兎獣人に、あまり誤魔化すのも悪手と考え、アキラは白状した。


「ここにどうやって来たのかは覚えてないんだ」


「記憶喪失、というわけかい?」 


「そんな感じ、なのかな?」


「ふぅむ。興味深い」


 顎を撫でアキラを見入る兎獣人。彼の指摘は当たっている。アキラは自分がなぜここにいるのかがわからない。


(コウダ・アキラ。自分の名前。これは覚えてる。どんな場所に住んでいたかも、家族のことも覚えてる)


 名前も住所も、通っていた高校の最寄りのバス停だって思い出せる。


 そしてここが地球とは異なる異世界であることも、今目の前に喋る兎獣人がいることも、彼が持っている道具が地球では考えられない理屈と法則で働いていることも理解している。


 なのに、どうして自分がこの地に立っているのか、その経緯に全く記憶が結びつかない。


「じゃあ、覚えておくといい」


 兎獣人は言いながら、一つのブレスレット大の廻因鉄のリングにその細い腕を通した。


 リングは彼の腕を中心軸にして回転を始める。回転するリングは腕を動かしても腕に触れることはなく、動きに合わせてぴったりと手首辺りの位置から離れずに移動する。


 腕の周りを土星の輪のように回転するリングを装着した兎獣人は、その腕を真っ直ぐ前に伸ばし、可愛らしいピンクの肉球を上に向ける。


 その直後に起きた現象に、アキラは目を見張った。


「手から、炎が――」


 兎獣人の肉球の上からは、細く長い炎が火炎放射のように吹き上がり、周囲の空気が熱風となってアキラの頬にぶつかってくる。


「これが、この国の力だ」


 絶句するアキラの前で、兎獣人は宣言する。


「廻因鉄はただ回転するだけじゃない。他の様々な現象を閉じ込めた因子を混ぜることによって、こんな使い方もできる」


 ごくり、とアキラは兎獣人を煌々と照らし激しく燃え上がる炎を見上げた。


 素手から炎を吹き出させる道具。その威容はまさに魔法であり、そして、明らかな暴力の姿だった。


「この国は、この廻因鉄のおかげでかつてない発展をした。歴史上稀に見る隆盛を誇っている状態だと言っていいだろう。しかし気をつけなければいけないよ」


 兎獣人は言って、手を振るようにして炎を消す。それと同時に回転を止めた廻因鉄のリングが腕から滑り落ちてきたのを華麗にキャッチした。


「気をつける? 何に……」


「廻因鉄はただの道具であり人間そのものの力ではない。そして人間が道具に兵器性を求めるのは、隣に驚異が潜んでいるからだ。いくらキミが暴力を忌避したとしても、いずれキミの前にも姿を現すだろう。そんなとき、キミならどうする?」


 赤い目を細め意味深に言ってくる兎獣人に、アキラは軽く首を振って応える。


「それでも……それでも僕は自分が誰かを傷つけることを否定するよ。相手がどんなものであっても」


「それがキミの答えなのかい。まるで非暴力の聖人だね。何がキミをそこまで暴力を毛嫌いさせるのか、ボクはとても興味があるのだけれどね」


 過剰な形容にアキラは困ったように頬を掻く。


「そう言われても困るんだけど、僕が言えるのは、そうだな。それが人間として正しい姿だからってことかな」


 気持ち少しだけ胸を張って、そんなことを言ってみた。


「ふぅむ、ふぅむ。いや! 実に正しいね。まさに正しい。キミは人間そのものだ。いやいや、勘違いしてもらっては困る。ボクはキミを褒めてるんだ」


 うんうん、と何度も頷いて腕を組む兎獣人に、アキラはなんとなく皮肉のようなものを感じて苦笑い。


「そ、そうかな。結構馬鹿にされた感じが……」


 そうとも、と兎獣人はもう一度頷き、静かに言った。


「願わくば、ボクが興味を持ったキミが、それに出会わずに穏やかに生きていけることを」


 兎獣人は優雅に一礼すると、傍の鞄をごそごそと漁りだした。


「人間は時折予想もつかない使い方を考えつくから、参考になるね。キミは答えてくれたからお礼にこれを差し上げるよ。光が飛び散って玩具にしかならない失敗作だけれどね。そこは勘弁してくれたまえ」


 渡されたのは、さきほど彼が回していたリングよりも二回りほど小さいものだ。指輪にするには大きすぎ、かといってブレスレットにするには手が入らない程度の。


「ありがとう。悪かったね、買う気もないのに覗いたりして」


「構わないよ。滅多に見れない面白いイメージも見れたしね。こんなに遠くまで来た甲斐があったというものさ」


 歌いだしそうなほどご機嫌な兎獣人には悪いが、それはできれば忘れてほしいところだ。


「ボクはそろそろ行くよ。じゃあね、不思議な少年」


 地面に広げていた商売道具をあっという間に片付けると、兎獣人はシルクハットのような筒状の帽子を被り、村の奥へ去って行った。


 景色の中に消えていく兎獣人を見送りながら、受け取ったリングを片手にアキラはぼうっと立ち尽くす。


(不思議……? まあ、そうか)


 新発見と新体験に目を見張るばかりだったが、彼らからしたら自分の方が異端なのだ、ということは決して忘れてはいけない。







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