第4話 長老

 ぽかぽか陽気の中、草っ原に寝転び本を広げる。


 血を吸われた日は読書に限る。

 というかそれぐらいしかやることがない。


 首筋を見れば今日はその日だったということは明らかで「領主様の後継の大事なごはん」に無理はさせられないと、ちょっとでも動こうものならすぐに周りに止められる。

 本当に過保護だ。一度無理して貧血で倒れたことがあるからしょうがないところもある。


 かといって、働かざるもの食うべからずが鉄則の保護区出身としては、ジニアの望むよう部屋で日がな1日何もせず寝て過ごすなんてのは気が引ける。

 

 幾度にわたる攻防のすえ、激しい運動をしなければ外にでていいという権利を得たものの、今度倒れたら言うことを聞くようにとも約束してしまったたため、大人しくしているほかない。蔵書を解放してもらわなかったら早々に権利剥奪の憂き目にあっていただろう。 

 本には人類の叡智がつまっている。かつての高度な文明技術を前に、感歎や哀愁の入り混じった思いを馳せながら、この領地に住む人達に少しでも役に立てられそうなものを今日も探している。

 

「これなら作れそう。あとで豚の腸をもらってきて試してみよう」

「今度はなにをする気だい?」


 声のした方向へぐるりと目を回せば、さっきまで誰もいなかったはずの場所に男が座り口の端に笑を浮かべてこちらを面白げに見ていた。ジニアと同じ目と髪をした長髪の吸血鬼。僕をここに連れてきた張本人だ。


「この腸糸ってやつを作ってみようかと。植物性の糸よりも丈夫で昔は楽器の弦にも使われてたそうだけど、他にも色々と使い道ありそう」

「これはまた懐かしい代物だね。切り裂かれた腹を縫うのに使っていたのを見たことがある。何百年前と昔の話だが」

「……マジで? この糸で?」


 腸を使って糸を作ろうという発想も驚きだが、それを体に縫い合わせるなんて最初に考えついた人間はどういう頭をしていたのだろう。

 あんぐり口を開けていると、彼はくすくす笑った。

 こうやって、無知な僕を笑うのが彼の趣味だ。しかも聞けばなんでも教えてくれる訳ではない。


 千年は生きているとか、かつての対戦で吸血鬼側を勝利に導いた者の一人だとか言われているが、本人に聞いても素知らぬ顔だ。


 理由を問えば

 「出口を探して迷路でウロウロしている様子を真上から眺める楽しみがなくなる」

 とのたまっていた。良い性格をしている。

 真名さえ教えてくれないから、勝手に長老と呼んでいる。


 最初にそう言ったとき、彼は

「外見上、そこまで老いていないだろう」

 とちょっとむっとしていたが、名前を教えてくれない意趣返しとばかりに使い続けている。


「それで長老、一体何の用?」

「ああ。畑を荒らされたという報告を受けてね。周囲を見て回っているんだが、ここらへんでそれっぽい生き物に遭遇しなかったかい?」

「何も見ていないけれど」

「そうかい。ありがとう」


 言うや彼は煙のようにふっと消えた。来るのも去るのも唐突だ。

 一見、人をおちょくってばかりいて暇そうに見えるがそうでもない。ここ一帯まるごと結界を張って害をなそうとするものはなんであれ、すべてはじくようにしている。

 そのおかげでこの地に住む人は皆健康で病にかかっている者はいないし、一度、大きな台風が来たことがあったけれど、見えない何かに弾かれまったく被害はなかった。

 天候次第ですぐさま食糧難にあえぎ、疫病がはやればバタバタ人が死んでいた昔住んでいた村とはえらい違いだ。


 人間を思っての行動ではなく、自分の食料確保のためだと長老は言ってはばからないが、暮らし向きをより良くしようと尽くしているのは分かるし、住民からは「領主様」と呼ばれ尊敬を集めていた。

 

 (何が畑を荒らしたんだろう。イノシシかサルかな) 

 

 暇だし行ってみるか。今日は安静にね、というジニアの顔が浮かんだが、ちょっとぐらいなら問題ないだろう。

 本を閉じ土をはらうと村の方へ向かった。




 畑はものの見事に荒らされていた。

 至る所に穴がボコボコに空いていて、せっかく実った作物があたりに散在している。これは荒らすというよりは破壊されている、といった方が正しいかもしれない。


「うわぁ……これはひどい」

「まったくだ。しかも他にも同じような場所が何箇所もある。どんな奴の仕業か知らねぇが捕まえたらギタギタにしてやる」


 畑の持ち主は腕を組んで憤慨していた。丹精込めた作物がここまで酷い有様になったら誰だって怒るだろう。

 犯人の痕跡は森に向かって続いていた。

 

「今、人数集めて山狩りの準備をしている最中だ。整い次第、出発する予定だがお前は留守番だぞ」  

「分かっている。大人しくしているよ」 

 

 肩をすくめると、俺が怒られるんだから絶対にだぞと念を押された。

 もともと畑を見るだけだったから、そのまま踵を返して帰ろうとしたところ、足下にきらりと光るものを見つけた。

 なんだろうと拾い、それが何か分かった瞬間思わず息をのんだ。

 あり得ない、という思いが去来する。ただ呆然と眺めるしか出来ない。

 

「何ぼさっとしているんだ? 手がかりでも見つけたか?」

「ううん、ちょっと血が足りなくてぼーっとしていたかも。早く帰って寝るよ」

「体調が悪いなら人をつけるが?」

「大丈夫だよ。歩いてすぐだし、それより山狩り気をつけてね」

  

 やや不安げな男が何か言い出す前に背中を向け家路を急ぐふりをする。歩きながら周囲の状況を伺ったが準備に大忙しで、幸いこちらを気にかけている様子はない。約束を反故にするのは気がひけるが、森へ行かないという選択肢はない。人の輪から離れ、手にしたものを見つめる。



 ――それは銀糸と見間違う長い髪の毛であった。

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