(3)

「まあケイティ! 随分と久しぶりじゃないの! 前に会ったときはこーんなに小さかったのに」

「いつの話をしているの? わたし、もう一六になるのよ。髪を上げたのだって最近じゃないわ」


 ぴしゃりとそう言い放ったのはリディアの妹、キャサリンである。ジョンたちの来襲から一夜明けた昼前に、少しの従者を引きつれて、この小さな屋敷にやって来たのだ。もちろん、姉の様子を見に顔を出したというわけではない。彼女は婚約者であるジョンを追って、この僻地の村まで遥々やって来たのである。


「ロビン、応接室にお通ししてちょうだい」

「かしこまりました」

「……お姉様、お姉様はどこへお行きになられるの?」


 背を向けたリディアを見て、キャサリンは不思議さ半分、嫌な予感半分といった顔で視線を送る。


「厨よ」


 そんなキャサリンの心境を知ってか知らずか、リディアはなんでもないことのようにあっけらかんと言ってのけた。


 ロビンは内心でちょっと嫌な気分になる。リディアに対してではない。このあとに待っているだろうキャサリンのお小言を予測しての心持ちであった。


 途端、キャサリンの体がちょっと伸びた気がした。同時に「まあっ」とロビンが想像した通りの声が上がる。リディアはと言えば、「そんなにおどろかなくていいじゃない」とケロッとした顔で妹を見ている。


「そんなの、キッチンメイドかコックの仕事よ。――ああ、でも、この屋敷にはいないのね。それじゃあロビン! ロビンにさせなさいな!」

「お茶を淹れて、パウンドケーキを切るだけよ? わたしにだって出来るわ」

「そういう問題じゃないのよ! 示しがつかないと言っているの!」

「この屋敷にはロビンとケイティしかいないっていうのに?」

「――ああ、もう!」


 暖簾に腕押しの姉の態度に、キャサリンは額に手をやってうつむいてしまった。


「わかっていないわけじゃないのよ、ケイティ」


 そんなキャサリンを見て少し虐めすぎたとでも思ったのか、リディアは妹の肩にそっと手を置く。


 リディアはキャサリンの言わんとすることがわからないほど、天真爛漫な性格ではない。ただ、今この場ではそうする必要などないと判じているからこそ、彼女はかつての儀礼的な振る舞いから自らを解放しているだけなのである。


「わたしのことを思って言ってくれたのよね?」

「……リア家の名を慮って、よ」

「ふふ、そうなのね。――でも、わたしはもうリア家のご令嬢じゃないの。リア家に連なる血を持ってはいても、ね。そうでしょう、ケイティ?」


 キャサリンはふーっと長いため息を吐いた。


「――それでも! それでもよ、お姉様。ひとには相応しい生活と振るまいと言うものがあって――」

「ああ! もう、わかったわ! わかった! ロビン! ケイティをお連れして!」

「お姉様っ!」

「失礼します」

「ちょっとロビン! 勝手に触らないでよ!」


 ぎゃあぎゃあとわめくキャサリンだったが、礼儀を投げ捨てたロビンに引きずられるようにされると、ようやくその口を閉じて彼の後ろを歩き始めた。もちろんリディアは厨へ、軽い足取りで向かったことは言うまでもないことだろう。


「信じられない」

「そうですか」

「わたしはキャサリン・リアよ。伯爵位を賜っているリア家の令嬢なのよ?」

「そうですね」

「貴方の雇い主の娘なのよっ?!」

「存じ上げております」


 キャサリンはまたふーっと長いため息をつく。


「――貴方って、いっつもそう! ……お姉様が一番なのね。変わらないわ」


 似合わない侮蔑の色をにじませて、キャサリンはまだ幼さの残る顔を歪めた。


 ロビンはそれに答えず、応接室へと通じる扉を開けてキャサリンに入室を促す。キャサリンは淑女らしくない乱暴な足取りで応接室に入ると、どすんと音を立ててソファに腰を下ろした。


「それで、キャサリンお嬢様はジョン様を追っていらっしゃられたので?」

「……そんなの、言うまでもないでしょう」


 キャサリンは不機嫌そうに顔をそむける。その表情ににじむのは、いささかのいたましさ。それを見てロビンは少しだけキャサリンに同情した。本当に、少しだけだが。


「出来るだけ早く連れ帰ってくださいね」

「言われなくてもわかっているわ。今の婚約者はわたしだもの。前の婚約者にうつつを抜かしているなんて、風聞に悪いわ」

「……前からお聞きしたかったのですが」

「なによ」


 ロビンは一拍置いてキャサリンを真正面から見据えた。


「いったい、あの方のどこに惚れられたので?」


 キャサリンの眉間にしわが寄る。しかし、その色白い肌は耳まで赤く染まっていた。


「……貴方には関係のない話だわ」

「そうですね。けれどあの方はおやめになられたほうが――」

「貴方には関係がないって、言っているでしょう?」


 本格的にへそをまげたキャサリンは、それきり黙り込んだ。ロビンはそれを見て内心でため息をつく。


 ロビンの一番はキャサリンの言うようにリディアである。けれどもこの血縁上の従妹が不幸になるのは、それはそれで後味が悪いと思う程度に、ロビンはキャサリンのことを気にかけてはいた。特に、彼女があのどうしようもなく猪突猛進な性のジョン・カーライルに惚れているとあっては。


 惚れてしまった経緯をロビンは知らないわけではなかった。あの直情的な性格を抜きにすれば、ジョンは勇敢で公正な人間である。屋敷を抜け出し野犬の群れに襲われていたところを我が身も顧みず助けられたとあっては、幼いキャサリンが彼に惚れてしまうのも無理からぬことである。


 おとぎ話の騎士然としたジョンは、しかし現実の社交界においては大変に心もとない。それでもどうにかやってこれたのは、優秀な周囲の人間と、古い爵位のお陰である。


 そのことを、聡明なキャサリンがわからないはずもなかった。


 しかし恋とは理性の埒外にあるものだ。キャサリンは幼少期に見たジョンの姿が、彼の持つ一部の良い部分でしかないと知りながらも、それでもなお彼に恋をし続けているのである。それも、不毛と言わざるを得ない恋を。


 ドアノッカーの音が響き渡る。性急で、それもとびきり大きい。


 音の主がだれなのかをロビンは瞬時に悟った。キャサリンもまた、戦うべき相手が来たのだとソファから立ち上がった。



「ケイティ?! なぜ君がここに……」

「それはこちらのセリフよ、ジョン。――なあに? この花束は?」


 のこのことやって来たジョンの前に立ちふさがったのは、もちろん彼の婚約者たるキャサリンであった。前の婚約者である姉の元に通うと言うだけでも彼女にとっては業腹だろうに、今日のジョンは花束を持参していた。


「それは、リディアに……」


 ジョンもジョンで、唐突な出来事に頭の血の巡りが悪いのか、真実をそのまま口にする。それを聞いて顔を青くしたのは彼の後ろに控えているアルジャノンで、顔を赤くしたのは婚約者のキャサリンだ。


「なにがお姉様に、よ!」


 間違いなく、キャサリンの我慢の糸が切れる音がした。


 キャサリンはジョンから粗雑な手つきで花束を奪うや、それを玄関ホールの床へと叩きつける。ジョンはただ「あっ」と間抜けな声を上げるだけだ。


「今の婚約者は! わたし! でしょ?!」


 さながら幼子の踏む地団太のようにキャサリンは何度もはしたなく足を振り上げては、床に転がる花束へとヒールを落とす。ぐしゃりぐしゃりと無惨な音を立てて、可憐な花束は見る影もなく散々な様子となって行く。


 ジョンはそれを見てケイティを咎め立てる言葉を発しようとした。けれどもその薄い唇を開いたところで、彼女の顔を見てぎょっとし、言葉を忘れてしまう。


「ふざけるのもいい加減にして!」

「ケ、ケイティ……落ち着いて」

「落ち着いていられるわけないでしょう?!」

「で、でも、君、泣いて……」


 化粧がはがれるのも構わず、キャサリンはその丸い瞳を赤く染めて、ぽろぽろと涙をこぼしていた。キャサリンはぐいと乱暴にその涙をぬぐう。白粉おしろいがドレスの袖口についたが、それでもキャサリンは気にした風ではなかった。


「だれのせいで泣いていると思っているの?」


 ジョンはその言葉にぐっと口をつぐんだ。彼にだって道理を理解出来るだけの頭はある。今の婚約者であるキャサリンに対し、自身が無礼な仕打ちをしているのだと遅まきながら理解したのだろう。


 それでもなお、ジョンはリディアへの思いを捨てられないのだ。キャサリンがジョンのことをうるように。


「――ケイティ?! どうしたの?!」


 悲鳴のような声が玄関ホールに響き渡る。かつかつと足早にヒールの音が近づき、姿を現したのはエプロンをつけたリディアだった。


 火を扱う厨は屋敷の一番端に位置するのが常であったから、玄関ホールの騒動に気づくのが遅れたのだろう。なにがあったかは知れないが、しかしリディアの大切な妹が、大の男を前にして泣いていることだけはたしかな事実だ。リディアはキャサリンに駆け寄ると彼女を守るようにその肩を抱き、ジョンたちに向かって鋭い視線を送る。


「ケイティになにをしたんですの?」

「誤解だ、リディア」

「貴方はケイティの婚約者ではありませんの?」

「……そうだ。しかし、貴女のことが――」

「おやめください!」


 一歩、姉妹に近づこうと足を踏み出したジョンに、リディアの声が飛ぶ。


 一触即発の空気の中に割って入ったのは、脇で様子を見守っていたロビンだった。


「――今日はひとまずお引き取りを。このような状態では話し合いなどままなりませんでしょう」


 ロビンの言葉に従うのは癪だという顔を隠しはしなかったものの、ジョンは「そうだな」と理解を示した。


「……泣かせるつもりはなかったんだ。これだけはわかって欲しい」


 リディアはなにも答えず、キャサリンは姉の胸に取りすがって静かに涙を流していた。


 ジョンとアルジャノンが屋敷を後にしてからしばらく、キャサリンは客室にこもったまま、だれとも会おうとはしなかった。

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