(10)

「ひとつの村からふたりの侍者は出せないことくらい、わかっているよな?」

「もちろんだ」


 口火を切ったラーエウトの言葉に、クナッハは彼らを招かれざる客と認識したようだ。


 どこか挑戦的で、愉快な目をしているラーエウトを、クナッハは忌々しげに見やる。


「この……えーと、メワンは俺と契約したいと言って来てな」

「だから?」

「言わずともわかるだろう?」

「わからんな」


 二柱は視線を交わしたまま、双方とも決してそらそうとはしなかった。


 クナッハのうしろで成り行きを見守るマウヤはどうすればいいのやらわからず、落ち着かない気分で二柱を見ることしか出来ない。


 ラーエウトの背に隠れるようにして立つメワンも似たようなものだった。真面目くさった顔をしてはいるものの、その頬には緊張がみなぎっている。


 ナナトだけは例外で、行儀良く控えているフリをしながらも、その腹の内ではにたにたと笑っていることは間違いなかった。


「契約は、先にしたものが優先される。そのことくらい、わかっているだろう。ラーエウト」

「けど、その契約は間違いだった。そこの坊主は本来なら俺と契約するはずだった。そうなんだろう?」


 ここに来て初めてラーエウトがマウヤを見た。クナッハの肩越しにその視線を受けたマウヤは、びくりとかすかに体を揺らす。


 間違い。そう、マウヤとクナッハの契約は、本来であれば「間違い」なのだ。


 しかしそれを招いたのは他でもないラーエウトの侍者のナナトである。しかし今そのことを引き合いに出しても、ラーエウトが引かないであろうことは容易に想像が出来た。


 マウヤは不意にラーエウトの後ろでナナトが嘲笑わらっていることに気づいた。


 それを見てマウヤは概ねのことを理解した。恐らくはメワンになにかしら吹きこみ、ラーエウトを動かしたのはナナトなのだろう。この底意地の悪い少年は、どこまでもマウヤに嫌がらせをしなければ気が済まないらしい。


 なにがナナトをそこまでさせるのか、マウヤにはわからなかった。そこに些細な理由とも言えない理由しかないことも、マウヤにはわからない。


「間違いであろうとなんだろうと、契約は契約だ。今さら取り消せるものではない」

「う、嘘だ! 契約はなかったことに出来るって、知ってるぞ!」


 声を上げたのはメワンだった。彼も庄屋の一族と言えどもしょせんは三男坊である。家の中での立ち位置は想像に余りある。ゆえに簡単には引けない事情というのがあるのだろう。


 一方のラーエウトはと言えば、彼とて契約の重さも、契約を破棄したとき元侍者がどうなるかも当然知っている。知った上で無茶なことを言っているのだ。


 彼はちょっとクナッハを困らせるだけのつもりでやっているだけで、ナナトほどの意地悪さもなく、メワンほどの必死さもないのである。


 無論、それくらいクナッハは見抜いている。見抜いているからこそ、忌々しげな目でラーエウトをねめつけているのであった。


 クナッハは次いでメワンを見た。夜空色の剣呑な輝きを放つ双眸に射抜かれたメワンは、一瞬だけ怯えたような顔をする。それでもすぐに顔を引き締めて、クナッハを見返した。


「また騙す気なんだろう!」

「またその話か。こやつを騙くらかして契約を破棄させようとしているのは、どこのだれだ? 恥知らずにもよくそのようなことが言えたものだな」


 メワンの頬が怒りか羞恥か、さっと朱色に染まった。


「力のない廃れ神のくせに! 人を集める力もないからマウヤを騙したんだろう!」

「ふん、吠えられるのはそれくらいか?」

「そ、それに――それに、聞いたぞ! ダラムーニャのクナッハはを憐れまれて、おこぼれで神になったって!」


 マウヤは全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。はらわたの辺りから、ざわざわと騒がしい感覚が全身を駆け抜けて行った。


「マウヤ!」


 一瞬だれがそう呼んだのか、マウヤにはわからなかった。


 けれども次第にそれが耳慣れた声だと気づく。男にしては高く、女にしては低い。いつもぶっきらぼうにマウヤへ命令する、主の声だ。


 振り返れば、マウヤの右腕をつかんでいるクナッハと目が合う。クナッハは、今までに見たことがない顔をしていた。


 柳眉をかすかに下げて、すがるような夜色の瞳をマウヤに向けている。泣き出しそうとまでは行かずとも、どこか不安げな表情をしていることに間違いはない。


「マウヤ」


 もう一度クナッハがマウヤの名を呼んだ。そこでマウヤは初めて痛いほどに手のひらを握り込んでいることに気づいた。


「クナッハ様……」


 マウヤはメワンを殴ってやろうと思って、行動に出たわけではなかった。ただ、クナッハの身体的特徴を侮辱されて、頭に血が上ったのだ。以前感じたよりもずっと激しい感情に支配されてメワンのもとへ行こうとしたのを、クナッハが止めたのである。


 それは、マウヤにとって幸いだったかもしれない。なにせ村には兄夫婦が住んでいる。そして、メワンは三男坊と言えど庄屋の一族である。


 そのことを思い出し、マウヤはふーっと息を吐き出した。


 予想だにしない相手に明確な敵意を向けられたメワンは、完全に腰が引けていて、ラーエウトの三歩も後ろに下がって、彼の体越しにマウヤの様子をうかがっている。


 ナナトはちょっと意外そうな顔をしていたが、彼は別にメワンのほうもどうなろうと構わないと思っていたので、腹の内で楽しんでいることは明らかだった。


「――ここまで侮辱されて、ただで引くわけにはいかんな」


 一種異様な空気となった場を、元に戻したのはクナッハだった。


「貴様が連れて来たそこの輩にこうまで言われたのだ。ならば勝負くらい受けてもらうか」

「勝負?」


 ラーエウトは嫌な予感がしたのか、首をかしげながらも先ほどまでも調子の良さはない。


「そうだ。こやつらの村にどちらが実りをもたらすことが出来るか――」

「ちょ、ちょっと待った」

「どうした? ラーエウト」


 ラーエウトの名を呼んだクナッハは、先のような顔色の悪さもなく、どこか挑発的な表情で彼を見ていた。


「それはさすがに根性が悪い」


 そう言ってラーエウトはクナッハに困ったような笑みを向ける。


 事態が良くわかっていないのはマウヤとメワンだけで、ナナトは興味を失ったような顔でよそを見ていた。


「え? 受けてくれるんですよね?!」


 メワンが不安そうな声を上げるが、ラーエウトは無慈悲に「それは無理」と答える。


「無理って、そんな! 契約はどうなるんですか?!」

「ぐだぐだといつまでもうるさいぞ、小童こわっぱ。ラーエウトは勝負を降りたのだ」

「だけど!」


 引き下がろうとしないメワンに嫌気が差したクナッハは、思ってもいないことを口にする。


「そこまで言うのならマウヤをむことして貰い受けるぞ。それならばひとつの村からふたりの侍者を出すことにはなるまい」

「そ、そんな生贄みたいなこと出来るわけ――」

「構いません」


 なにかしら言い訳じみた言葉を口にするメワンを押しのけ、マウヤは気がつけばそう言っていた。


「クナッハ様がそう言うなら、聟になります」


 マウヤは、そう言うことで気持ちは固いのだと主張したいだけだった。だけだったのだが――


「あーあ」


 呆れた声を出したのはラーエウトだ。先ほどまでの旗色の悪い顔はどこへやら、愉快気な目が戻っている。


 一方のクナッハは、マウヤを見たまま固まっていた。


 マウヤはそんな彼らの様子に、自分がなにかしまったことは理解したものの、なにをやらかしたかまではわからない。


「言ってしまったな」

「お前……」

「結婚おめでとう、クナッハ。経緯はどうあれ俺は祝福するぞ」


 とりあえず、とんでもないことをしまったことだけは、理解出来た。

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