第20話 耕助とサツキの昔話

 ――今からさかのぼること、六十年ぐらい前。


 サツキ、耕助、一郎の三人は同じ集落で同じ歳だったので、いつも一緒につるんでいた。言うなれば幼馴染、ふもとの集落にある学校にも毎日一緒に通っていた。

 幼い頃は野山を駆け回っていた三人だったが、中学を卒業するころには大人びたことも考え始める。


「日多江は、このままじゃ滅びちまうだな」

「耕助君、もうここは日多江じゃないだよ。奥日多江だよ」

「腹が立つな、月陰め。何もかも持っていきやがって。一郎もそう思うべ?」

「う、うん……。でも、仕方ねぇだよ」


 ふもとの月陰村との合併により、奥日多江と名前が変わったこの集落。

 月陰と日多江のどちらを村名にするかという選択で、文字のイメージから日多江が採用された。二つの村を合わせた総称が日多江村になったわけだが、集落を区別するために従来の日多江村は奥日多江と呼ばれるようになったのだった。


 そして、名称を奪い取るように日多江と改めた旧月陰集落は、盆地で平坦ということもあって順調に機械化を進め、効率のいい農業に転換し始める。

 一方の奥日多江は、山間部ということもあってなかなか近代化が進まず、時代遅れの農業で集落は衰退の一途。地名だけでなく人までもが旧月陰集落に奪われ、奥日多江の人々は不満をにじませていた。



 ――そしてその三年後……。


「耕助君、村を出るって本当なんだか?」


 耕助は大きなカバンに一張羅の服。どうみてもただの外出とは思えない雰囲気。その両腕を掴み、サツキは必死に揺すりながら問いただす。

 同級生の一郎もサツキ同様、必死に説得を試みた。


「なあ、耕助。おめえ、このままじゃこの村はダメになる。オラたちで盛り立てるって言ってただよな」

「…………」


 黙り込む耕助。落ち着かない素振りは、バスの時間を気にしているようだ。

 そんな耕助に堪りかねた一郎が、奥の手とばかりに挑発的な口調で煽り立てた。


「この裏切り者。それに耕助、おめえサツキが好きだって言ってたでねえだか。惚れた女さ置いて、黙って村を出るなんていったいどういうつもりだ。それとも、あれは口からでまかせだっただか?」

「ちょ、ちょっと、一郎君。こんな時に何言ってるだよ!」


 突然の話の展開に戸惑うサツキ。けれども一郎の真剣な眼差しは、言葉に偽りがないことを物語っていた。

 不愉快ではないものの喜べる状況でもない。そんなサツキにできるのは照れ隠しぐらい。顔を真っ赤にしながら、一郎の言葉で耕助が思い止まってくれることをサツキは祈った。

 そして沈黙を続けていた耕助も、一郎の必死の引きとめに無言を貫ききれなかったらしく、ゆっくりと口を開く。


「サツキに惚れてるのは嘘でねえ。だども、オレはもう村を出るって決めただ。だからサツキ、おめえさえ良ければ、オレと一緒に村を出てくれねえだか?」

「……え!?」


 突然の誘いに困惑するサツキ。

 嬉しくはあったものの、こんな猶予のない状況では返せる言葉は一つしかない。


「ごめん……。アタシは、この村を出るわけにはいかねぇ。父ちゃんや母ちゃんを置いては行けないだよ」

「ああ、わかってた。だから黙って村を出るつもりだった。すまねえなサツキ、最後に変なこと言って。達者で暮らせよ……」


 その言葉を最後に、耕助は村を出て行った。




 それから十年後、ひょっこりと耕助が集落に帰ってきた。当時全国的に広まりつつあった一般的な近代農法とは、全く違うやり方を引っさげて。


「オレたちの集落は、よそとおんなじことをしてても勝ち目がねえ。土地は狭めえし水はけも悪い。だからオレは今までとは違うやり方でやってみてえんだ。そのためにあちこちで学んできた。協力してくれるやつはいねえだか?」


 とはいえ、耕助の奇をてらった農法を受け入れる者はいない。

 村の中で孤立する耕助。そんな彼を励まそうと、サツキは耕助の畑を訪ねた。


「あの日、村を出たのはこんなこと考えてたからだっただね。水臭いなあ、耕助君。相談してくれたら良かっただに」

「先も見えねえ思い付きに、他人を巻き込めるわけねえだよ。こんな好き勝手は一人だからできたんだ。オレはこれで良かったと思ってるだよ」


 相変わらずの頑固さ、そして不器用さ。十年経っても耕助は変わっていないと、サツキは微笑んだ。


「その今までとは違うやり方、教えてくれねえだか? 耕助君。うちの畑でも試してみるだよ」

「本当だか? そいつはありがてえだよ。でもよ、たぶん三年はまともに実らねえ。それでもいいだか?」

「うん、そんな自信たっぷりの目で言われちゃ、信じないわけにいかねえべした」


 その時、負ぶっていた赤ん坊が泣きだす。サツキは慌ててあやし始めた。

 耕助は表情を緩めると、サツキと一緒になってあやしながら問いかける。


「それ、おめえの子か? 父親は誰なんだ」

「耕助君が村を出て四年後に、一郎と結婚しただよ」

「そうだっただか……」


 しばらく考え込む耕助。

 やがて意を決したかと思うと、ニッコリと微笑みながら耕助はサツキに告げた。


「よし、決めただ! オレはもうおめえと口利かねえ」

「え、どうしてだ? なんで、そったらことになるんだ?」

「あの一郎のことだ、こうしてオレとおめえがしゃべってたらヤキモチ焼くに決まってる。だからあいつのいねえとこでは、おめえとはもう口さ利かねえ」


 それ以来、耕助はサツキに対してプッツリと口を閉ざした。

 二人きりの時に、何度サツキが話しかけても口を開くことはなかった。




「――なにそれ、わけわかんないんだけど……」

「クックック、ほんとわけわかんねえだなぁ。耕助は昔からそういう奴だっただよ」


 気になって聞いてみた祖母の昔話。

 興味深い話の結末に、あたしは呆気にとられた。


「それで? 今でも耕助さんは、おばあちゃんと口利いてないの?」

「ああ、じいさんも死んじまっただからな。じいさんのいないところじゃ口さ利かねえって約束を、今でも守ってるんだべな」

「それじゃこの先、死ぬまで口利かないってことじゃない、もうヤキモチ焼かれる心配もないのに……。やっぱり変な人だわ、耕助さんて」

「耕助はそういう奴なんだべよ」


 耕作の祖父は、あたしには理解できない人種だった。

 それでも天国に逝ってしまった親友のために、今もなお義理を貫いているのかと思うと、少しは耕助の見方が変わった気がする。それに、当時好きだった人を諦めてまで、村のために自分ができることを探したなんて大した行動力だ。

 その点あたしは一時惚れていた相手のために、自分勝手な行動をしているだけ。あたしの卑しさが浮き彫りになったようで、自己嫌悪に陥る。


「ねえ、おばあちゃん。本当は耕助さんのこと、好きだったんじゃないの?」


 最後の質問として、祖母に卑しさついでにあたしの興味をぶつけてみた。

 すると祖母は鼻で笑い、即答で誇らしげに答えた。


「――アタシの夫は生涯一郎。ただ、それだけだ」

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