【完結】ドライで無感情だった僕が、明るくて世話焼きな女子高生にグイグイ絡まれた結果

青季 ふゆ@『美少女とぶらり旅』1巻発売

第1章

第1話 彼女は雨の中で○○していた。

 

 冷たい雨が降りしきる公園で彼女を目にした時、声をかけるべきか悩んだ。

 ブレザータイプの制服を着た彼女は、傘も差さずにしゃがみ込んでいた。


 彼女は同じマンションに住むお隣さん。

 苗字は「有村」で、多分女子高生。

 それ以外の情報は持ち合わせていない。

 最寄りの駅のホームで見かけたり、近所のスーパーですれ違って軽く会釈する程度の関係だ。


 そんな間柄であるから、普段なら足を止めることもなく立ち去っていたに違いない。


 しかし今日は、じんわりと肌寒い10月上旬の雨の日。

 おまけに彼女は、なぜか傘もささずに全身を濡らしている。


「……」


 僕にしては、珍しい判断を取ったと思う。


 気がつくと、帰路を外れ公園に足を踏み入れていた。

 湿ったアスファルトの匂いが、枯葉と土埃の香りに変わる。


 僕の接近に彼女が気づく気配は無い。

 腰まで伸びた彼女の黒髪が水分を含んでブレザーに張り付いており、とても重そうだった。


 そんな楽観的な思考が霧散し、歩みが静止する。

 彼女の両手の中でぷるぷると震える一匹の子猫を視界に収めたからだ。


 親猫とはぐれたのか、心ない飼い主に捨てられたのか。

 彼女の小さく、繊細な手の中で横たわる子猫の目は開いておらず、白い毛並みもボロボロだった。

 どう見ても衰弱しきっている。

 にぃ、と時折小さく溢れる弱々しい鳴き声がなんとも痛ましい。


 自然と、僕の視線は彼女の整った横顔へと移った。

 彼女の表情が気になったのか。

 あるいは彼女がこの状況をどうにかしてくれるのではないかと期待したのか。

 どちらかはわからない。


 彼女は目をぎゅっと瞑って、何かを力強く祈っているように見えた。

 まるで、雨を乞う巫女みたいに。


 なに、してるんだ?


 僕が不審に思ったその刹那、桜色の唇が動く。


「この子を癒して」


 その声には、強い意志が宿っているように聞き取れた。


 瞬間、目の前で信じられないことが起きる。


 一度か二度の瞬きの後、先程まで蹲っていたボロボロの子猫が消え失せていた。


 いや、消え失せていたというのは語弊がある。


 そこには可愛らしい、白く綺麗な毛並みの子猫がいた。

 両目はパッチリと開いており、ピンと伸びた尻尾はゆらゆらと揺れている。


 突然の出来事に思考が一瞬、機能を停止しかけた。

 ただ映像だけで考えるならば、この子猫は先ほどまで息絶えかけていた子で間違いない。


 でも、ありえないと、頭が否定する。


 こんな短時間で、あれほど満身創痍だった子猫が全快するはずがない。


 それこそ、魔法でも使わない限り──。


 不意に子猫が、ぴょんと軽快な動きで彼女の手から飛び降りた。

「あっ」と、気の抜けた声が雨粒に反響する。


 子猫は地面の感触を確かめるように歩いて、彼女の方を振り返って礼でも言うように一声鳴いた後、たたたっと草むらに消えていった。


 名残惜しそうにしつつも、ばいばいと小さく手を振る彼女。


 僕の視線は、そんな彼女の表情に吸い込まれていた。


 陽だまりのような温かみと、慈愛満ちた面持ち。

 端正な顔立ちに浮かべたもの柔らかな表情に、僕は思わず見惚れてしまった。


 ──だから、油断したのだろう。


 不意に力が抜け、先程まで頭上を覆っていた傘が手から離れ落ちてしまった。

 しまった、と思う間もなく、雨音の中に小さくもしっかりとした落下音が弾ける。


 同時に、ぐっしょりと濡れた小さな肩口がビクリと震えた。


 すぐに傘を拾ったが、もう遅い。


 水を吸って重くなった髪を僅かに揺らしながらゆっくりと、恐ろしいほど整った顔立ちがこちらに向く。


 思わず息を呑んだ。


 もともと彼女の容貌が一般的な基準に対しずば抜けていることは認識していた。

 遠目から見ても、思わず視線が吸い込まれてしまうような美少女だったから。


 改めて目の前にして、その認識は誤っていなかった事を思い知る。

 雨に濡れたところで、彼女の美貌は少しも色褪せない。

 むしろ、水に濡れていっそう美しくすら感じた。


 視線が交差してしばしきょとんとしていた彼女は、ぺろりと色の良い舌を出し、悪戯がばれた子供のような笑顔を浮かべた。


「見られちゃったか」

「いや、見てない」


 とっさに出た言葉は、「面倒なことになりそうだから関わらないでおこう」という判断が導き出した否定形。

 何も見ていないことにするからスルーしてくれ、という意図も含んでいたのだが、そうやすやすと取り逃がす彼女ではなかった。


 すくりと立ち上がった彼女の背丈は、女の子にしては高めだった。

 ぱしゃっと軽快に大地を踏み、側までやって来て近い位置から見上げられる。

 雨の匂いに混じってふわりと、甘い香りが漂ってきた。

 

「ごまかすにしても、もう少し気の利いた言葉をチョイスしたほうがいいと思うよ!」


意外にも、いや、予想よりだいぶ元気の良い声だった。


「初対面になにを求めてるの」

「初じゃないじゃん。何度か擦れ違っているし」


 むぅーと、不満げに唇を尖らせる彼女。

 どうやら存在は認知してくれていたようだ。

 とはいえ今初めて言葉を交わしたことには変わりない。

 そんな相手にどんな対応を取るのが正解なのだろうと思考を走らせる前に、彼女のほうから顔を覗き込んできた。


「きみ、お隣さんでしょ?」

「隣の部屋に住んでいるという意味ではそうだね」

「名前はえーと、望月くんだっけ?」

「知ってるんだ」

「表札に書いてた!」


 僕も彼女の苗字を同じ経緯で知っていた。


「そりゃどうも」


 妙なシンパシーを覚えつつも、努めてそっけなく応える。

 なのに彼女はくすくすと笑っていた。


「さっき見た事、誰かに口外するつもりはないから」

「ええ~、信用できないなー。そもそも私たち、初対面だし」

「さっき初対面じゃないって言わなかったっけ?」

「あは、ばれた?」


 またくすくすと笑う。

 僕はため息をついた。


「そもそも、口外する相手がいない」

「なんか寂しいね」

「いきなり失礼すぎない?」


 突っ込みを入れると、彼女はあははっと体全体を揺すって笑った。

 さっきから何がそんなに面白いのだろうか。

 思ったよりも感情豊かな彼女に、僕は少々面食らっていた。


「ごめんごめんっ。あ、いいこと考えた!」


 このタイプの人間の「いいこと」はだいたいロクなもんじゃない事を、僕は短い人生の中で知っている。

 

 いいことってなに。

 視線だけで問いかけると、彼女は得意げに胸を張って答えた。


「私が友達になってあげる!」

「遠慮しておくよ」

「ええーーっ、どうしてさ?」


 そのずかずかと距離を詰めてくる感じ、苦手なんだ。

 なんて言ったら面倒になりそうなので心にしまっておいた。


 彼女は不満気にしているが、取り合う気は無い。


「雨も降っているし、早く帰りなよ。身体、乾かさないと風邪引くよ」


 これ以上のやり取りに煩わしさを感じた僕は、さっさと会話を切り上げることにした。

 その立て付けとして放った後半部分を、おそらく人の良い彼女は少し勘違いをしてしまったらしい。


「心配してくれるんだ。やさしいんだね」


 今までとは種類の違う、ほんのりと柔らかい、シフォンケーキのような笑みに、身体の温度がわずかに上昇する。


「……からかってるのか」


 気恥ずかしさを悟られないための切り返しだった。

 しかし彼女は、絵にして飾りたくなるような笑顔を浮かべたまま首を横に振った。

 優しいと思われているのは本当らしい。


「ありがと。でも、大丈夫。もう少しここにいる」


 彼女が引き続き雨に打たれる選択をした事についてはなにか理由があるのだろうか。

 一瞬気になったが、関わるつもりはなかった。

 そんな間柄でもないし、聞くほど興味も無い。


「そう」


 僕は素っ気なく返した。

 

 わずか数分のやりとりだったが、僕の彼女に対する印象はある程度固まった。

 良く言うとコミュ力高めな明るい子。悪く言うと馴れ馴れしい失礼なヤツ。

 僕の感性からすると後者の方に寄ってしまうが、どちらにせよあまり僕が関わることのない、もっと言うと苦手なタイプの人間であることは間違いなかった。

 

 だから、彼女がまだここに残ると言ったとき、もう今後関わることはないだろうと安堵している自分がいた。

 同時に、このまま見過ごして風邪を引かれるのも後味が悪い、とも思った。


「これ」


 僕の中にもひとつまみの思いやりが残っていたようで、半ば強引だと思いつつも自分の傘を彼女に手渡す。

 いや、押し付けたと言ったほうが適切か。


 反射的に傘を受け取った彼女は、驚いたように大きな瞳をぱちぱちさせていた。


「返さなくていいから」

 

 コンビニで買ったビニール傘なので、経済的損失は少ない。

 それよりも、リュックに入ったノーパソのほうが心配だ。


 僕は駆け出す。


 後ろから彼女の叫び声が聞こえるが、雨にかき消され内容までは入ってこない。

 僕は振り返ることなく、雨に打たれながら自宅のマンションへと急いだ。




 ──のちに僕は後悔する。


 この日、ほんの些細な気まぐれで彼女に近づいたことを。


 僕の愛する静かな日常は、この日を境に一変する。


 僕とは主義も趣向も正反対で、ちょっぴり不思議な力を持ったお隣さんに、興味を持たれてしまったのだから。

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