あなたの星を読むために

鍋島小骨

夢の犬

 私たちの運命の話をする前に、夢の犬の話をしよう。



 実の親を幼いうちに亡くした私は伯母の家に引き取られた。子供として大事にされるようなことは一切なく、私は初めから小型の家政婦見習いで、住み込みの食事つきで中学校まで出してもらえるということを感謝しなければならなかった。

 あてがわれた部屋は暖房のない納戸で、古い毛布を何枚か重ねた中に潜り込んで雪国の寒さを耐えた。耐えられなくて夜通し眠れないこともあったけれど。

 納戸には従妹いとこのみちるの絵本や童話など子供向けの本が積まれている。眠れない夜にめくってみることもあったが、私はそれらの物語があまり好きではなかった。物語の主人公たちがいつも最後には救われるのがあまりにも非現実的に思えたからだ。

 最後には死んでしまう『マッチ売りの少女』でさえ私には合わなかった。


「何故?」


「だって、この子がマッチをって暖かいお部屋やご馳走や、優しいおばあさんをるのは、実際に見たことがあって、優しいおばあさんがいたからでしょ。私は見たことないし、優しい家族もいなかった。だから、私がマッチを擦っても何も見えないし天国に連れてってもらえないよ」


 どれも、私の物語じゃない。私よりも幸運な誰かの物語だ。

 私のような子の物語はない。


「キア、君自身の物語を、君が読むことは難しい。今、生きているからだ。でも僕が見ている。物語の主人公たちに起こる幸運の代わりを、僕が君にしてやれたらと思っているよ」


「私はキアじゃなくて実秋みあなんだけど」


「ああ、ご免ね」


 少し申し訳なさそうにした大きな犬が、急にどこか可哀想に見えた。私は犬の首をでる。


「ううん、キアでいいよ。誰も聞いてないもの」


 犬は優しい仕草で私に身体をすり寄せた。穏やかな喜びみたいな感情が何となく伝わってきて、私はそれが好きだと思った。

 温かさも好き。黒っぽい毛皮の手触りも好き。濡れた鼻がくっつけられるのも、控え目なやり方であごや手を舐められるのも好きだ。

 好きなものなんて、この世には少ない。だから私にとってその大きな犬は、とても貴重な存在だった。

 僕がそばにいて君を守ろう。そう言って犬が一緒に寝てくれるので温かく、私は真冬の夜でもぐっすり眠れるようになった。



 犬は実際、私を守ってくれていた。

 同級生がからみに来た時は私の前に出てうなる。それだけでみんな、気をがれたようになって逃げていった。犬の片眼を潰している傷痕が怖いのかもしれない。

 伯母や伯父、従妹のみちるが私に辛く当たる時もそうだ。お陰で殴られることが少なくなった。

 犬は犬だから、お皿洗いやお洗濯を手伝うことはできない。でもそんなことは構わない。誰かに手伝ってもらっているのがバレたら叱られるし、犬が側にいてくれるだけで嬉しかったからだ。

 学校で上履きを隠された時も、家で一枚きりのオーバーを捨てられた時も、犬が見つけてきてくれた。

 私は何にも持っていないけれど、この犬がいてくれる。



 中学を卒業しても、私は進学しない。三月いっぱいで家を出て自活しなければならないので、みちるの受験や進学の騒ぎで毎日忙しい中、寮つきの働き口を探し、準備をしていた。本当はアパートを借りたかったけれど、伯母も伯父も保証人になってくれるつもりはないとのことだったので。

 犬は、どこへでもついていくと言ってくれた。

 だったら大丈夫だ。私は一人じゃない。行った先にまた意地悪な人がいても、きっと大丈夫。



 近隣を騒がせていた中学生連続殺人事件がすぐ身近にやって来たのは、ちょうどそんな、新年度も目前の三月二十五日のことだった。


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