第11話 土を司る精霊

 レジェスに抱かれるようになって三カ月が過ぎ、私と第二王妃がほとんど同時に身籠った。


「そうか。よくやった」

 私が懐妊の報告をしても、レアンドロは喜んではくれなかった。世継ぎになる男の子を産まなければ喜んでくれないのだろう。


 クレトの過去についての調査はイレウト山の災害で止まってしまった。クレトが生まれ育ったのは山の麓にあった小さく閉鎖的な村。全域が山崩れに巻き込まれ、今現在も村の痕跡すら見つからない状況だ。


 クレトは偶然、遠い町の祖母の家にいて災害を免れていた。その祖母も病気で亡くなっており、話を聞くこともできない。村の出身者を探しても見つからなかった。


 左目は災害の後、山崩れの現場で両親と妹を探す間に怪我をして失っている。調査報告を受け、私もベルトランも不幸な少年をさらに哀れに思うだけだった。


     ◆


 夏が過ぎ、秋を迎えようとする王城庭園には落ち着いた色の花々が咲き乱れていた。これから実を付ける木もあれば、冬を前に落花する木もある。春の華やかさとは異なる終焉への最後の華やぎが私の目を慰める。


 今日の王妃主催のお茶会も無事に終わった。気温も下がっていくので、次は完全に室内での開催だ。友人たちと意見を交わし次回の構想を練る。


「リカルダ様、体調が安定されたら、湖畔に静養に出掛けてはいかがでしょうか?」

 ノエリアの突然の発言に私は驚いた。

「王妃が王城から離れるなんて……公務が……」

 これから収穫祭の季節だ。王と王妃が揃って国民の前に出る公務が多くなる。 


「第二王妃はすでに山の方へ静養に出ているではないですか。公務よりも、お子が健やかに育つことの方が重要です」

 いつも柔らかな口調で話すノエリアが、珍しく強い感情を示す。


 国民の前に出る公務ではレアンドロは私を王妃と扱い、昔のように笑いかけてくれる。ただ、国民の目がなくなった途端、私に冷たい顔を見せることを身近にいる貴族たちは知っている。


「……そうですわね。男の方というのは、身籠った女性の気持ちを理解できないものですのよ。少し離れていた方が、お子の為にもよいとわたくしも思います」

 出産経験のあるテオフィラもノエリアに賛同した。お腹の子が王弟レジェスの子だということは、父母にも友人たちにも打ち明けてはいない。


「お茶会が……」

「身籠ったことを理由にして一時的に中止すればよいのです。もし中止できないのであれば、わたくしたちにお任せください」

 二人の言葉は心強い。心配し、支えてくれる友人たちに感謝して、私は提案を受け入れることにした。


     ◆


 湖畔の別荘へ静養に行きたいとレアンドロに相談すると、すぐに許可が出た。慌ただしく準備をし、三日後には出発の日を迎えた。


 私とベロニカ、侍女五名が乗った馬車二台と護衛の騎士が十名。目立たないようにと私が希望し、最小限の人員での道行になった。湖畔までは馬車で三日、それほど遠い訳ではない。何かあれば王城へ戻ってくることができる距離だ。


 合間に宿屋や茶店で休息をとり、三日の行程を六日を掛けて進む。私に無理がないようにとレジェスが調整してくれた。


 緩やかに走る馬車の中、窓の外を眺めながらレアンドロを想う。私に宿った命が男の子なら、今度こそ喜んでくれるだろうか。昔のように笑いかけて、抱きしめてくれるだろうか。


 レアンドロが魔女を忘れる日はいつになるのだろう。先が見えない不安に心がしぼんでいく。それでも、私はレアンドロの妻だ。


 ……離縁ができればいいのに。

 ふと心に浮かんだ想いを慌てて打ち消す。この国では王妃の離縁は認められていない。何か重い罪を犯して処刑されない限り、死ぬまで王妃の称号から逃げられない。


 広大な森を抜け、なだらかな草原を横切る道を走る中、複数の馬のいななきが響き渡り、馬車が揺れながら止まった。

「何が起こったのですか!?」

 ベロニカが外へと声を掛け、襲撃なのかと緊張が駆け抜ける。

「道に突然壁が現れました!」

 御者の答えが戻って来た。壁が現れたとはどういうことなのか。この目で確認しようと窓を開けた時、道の左右に広がる草原の中央が盛り上がっていくのが見えた。


「何?」

 小さな丘になった地面から、二十代半ばの赤茶色の髪の男が出現した。細身でありながら筋肉質の体に、ぴったりとした焦げ茶色の服は初めて見る意匠デザインだ。


 開いた瞳は琥珀。白目のない瞳は精霊であることを示している。人の姿に近い程、強い力を持つ高位の精霊とクレトに聞いた。地中から現れた男は、白目がないだけで完全に人の姿をしている。


「王妃様! お逃げ下さい!」

 数名の護衛騎士が精霊の前へと立ち塞がり、ベロニカが身代わりになる為に私のマントを着用する。私もマントを着てフードを被る。


「皆、どうか無事で!」

 願いと共に神力による護りの光を皆に贈って馬車から降りると、クレトが私の腕を掴んだ。


「こちらへ!」

 想定ではベルトランの馬に乗ることが決まっている。それでも私の脳裏には、ベロニカと引き裂きたくないという思いが浮かんだ。


 制止するベルトランの声を振り切り、私はクレトの馬へと乗った。ベルトランはベロニカを乗せ二手に分かれ、来た道を戻り森へ向かって走り出す。


「大丈夫。僕が必ず護るよ」

 私を背中から支えながら馬を操るクレトの声が硬い。初めて聞く緊張した声に、高位の精霊の恐ろしさを感じ取って震えてしまう。


 長い時間、走っているように思えた。森を出ても不思議はないのに、まだ森の中を走り続けている。


 嫌な空気を感じた時、私の体が浮き上がった。

「え?」

 驚く私をクレトが抱き寄せると、天と地がひっくり返った。目を閉じた途端に、軽い衝撃が全身を襲う。


「……何が……」

 一体何が起きたのか。目を開くと私はクレトに背中から抱きしめられたまま地面に横たわっていた。


 体の痛みが全くないのは、クレトが自らの身を挺して私を護ってくれたらしい。おそらく地面に叩きつけられたクレトは目を閉じたまま動かない。

「ああ……ごめんなさい……私の為に……」

 私には大怪我の治癒ができる程の力はない。それでも女神に祈り、私を抱きしめる腕に手をかざす。


『結構おもしろい趣向だったね。それなりに楽しめたよ』

 笑い声が響き、沸き立つ地面から精霊が姿を見せる。


『私は殺しは嫌いでね。皆生きてるよ。その騎士もね。まぁ、二度と騎士には戻れないかもしれないけど』

 ふわりと体が軽くなって、クレトに抱きしめられたまま空に浮かぶ。琥珀の瞳が輝いて、私の意識が落ちた。


     ◆


 穏やかな香りに包まれて目が覚めると、ふわふわとした場所にいた。

「ここは…?」 

 私が横たえられていたのは、白い布が掛けられた干し草の上。随分と荒れ果てた部屋でも、朽ちかけた家具や壁が過去の栄光を示している。


「クレト!?」

 傍らにはクレトが倒れていた。起き上がり、肩を揺さぶってみても目を覚まさない。クレトの腕は後ろ手にされ、縄で縛られている。


『ああ、よかった。目が覚めた』

 床から現れたのは、私をさらった精霊だ。


『先に目を覚ましたその子が解放しろってうるさくてね。今は眠らせてる。捨ててくればよかったよ』

 クレトの手がどうしても離れなかったと精霊が笑う。


『ここは昔、城だった場所でね』

 朽ちた城が国のどこにあるかと考えても、思い当たる場所はない。一体どこなのかと不安に震える。


 精霊がぱちりと指を鳴らすと、テーブルの上の木のカップから湯気が立ち上った。

『清浄な水を沸かした白湯だ』

 ふわふわと浮かんできたカップを両手で受け止めると温かい。


『君を連れてきてから二日経ってる。少年は何度も起きるのに、君は全然起きないからどうしたものかと思っていたよ』

 苦笑する精霊は人間じみていて、その言葉の響きは優しい。


『飲まなくてもいいけど、胎の子には必要じゃないか?』

 白湯の色は変色していなくても、信用できる訳がない。


『仕方ないか。――土を司る精霊リスティラットールの名にかけて、その白湯が害の無い物だと保証する。ほら、精霊の名を掛けた保証だ。これでも信じられないかい?』

 精霊が名を掛けて語る言葉は真実だと言われている。


「……ありがとうございます」

 カップを傾ければ、程よい温度の白湯が乾いた喉を潤していく。


『浄化魔法は掛けていたけど、湯浴みをするかい?』

「……いえ……ありがとうございます。体はすっきりしています」


『何か食べたい物はある? 果物でも取り寄せようか?』

「……え? 特に何も……」

 不思議と空腹は感じない。あれだけ怖ろしいと思っていた精霊の優しい笑顔と親切に戸惑う。


『寒くないか?』

 精霊がぱちりと指を鳴らすと赤茶色の光が干し草の周囲に浮かんで、空気が温められた。穏やかな温かさに心が緩む。


「あの……私とクレトを、どうされるおつもりですか?」

『王妃をさらって殺すという魔法契約だったけど、契約者からの魔力供給が途絶えた。報酬がないのなら無意味だからね』

 精霊との魔法契約は、自らの魔力と引き換えにして精霊を使役するものだ。王族のような強力な魔力がなければ、到底成しえない。


「一体誰と契約したのですか?」

 まさかという思いが疑問になって零れた。

『契約者の名を口にできる訳はないだろう?』

「そうですね」

 馬鹿なことを聞いてしまった。項垂れると精霊がくすりと笑う。


『君は面白い物を持ってるね』

「え?」

 精霊が面白い物だと言ったのは、レジェスから貰った護り袋だ。


『それを私にくれるなら、城に戻してやってもいい』

 気まぐれな精霊の言葉を信じてもいいのだろうか。そうは思っても、城に戻る方法は他にはない。


 私が護り袋を手渡すと、精霊は固く結ばれた紐をほどいて中身を出してしまった。

『へぇ。これはこれは。珍しいね』

「珍しい物なのですか?」


『とびきり珍しいね。まずは竜の血の結晶。神力が込められた石。そしてこれは強い魔力が込められた髪だ』

 精霊の手のひらの上に浮かぶのは赤い小さな丸い粒、紋様が彫りこまれた白い石、数本の長い金色の髪は、きっとレジェスの物だ。


『竜の聖なる力、神力の護符、魔力を宿す髪。三種の異なる力が強力な護りとして術を構築している。これをまとめるには、強い願いの力が必要だっただろうね』

 レジェスがずっと私を護ってくれていたのか。感謝の気持ちと喜びで心が満ちていく。


 私が見つめる中、精霊は赤茶色の炎で護り袋と中身を焼いてしまった。石も髪も、ぱらぱらと白い灰になって散っていく。


『――この護り袋があったから、君を殺せなかったんだ』

 しまった。戦慄する私を嘲笑うかのように、宝石のような精霊の瞳が冷たく輝く。


「待ちなよ」

『……何だ?』

 クレトの制止の声に、精霊が眉をひそめる。

 

「お前には王妃様を渡さないよ」

 縛られていたはずのクレトが立ち上がった。

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