第8話 初めての口づけ

 先王の喪が完全に明け、新しい王が即位したことを国民に正式に知らせる為のパレードが盛大に行われていた。


 屋根の無い馬車に乗り、沿道を埋め尽くす国民に手を振って応える。

「レアンドロ、国民が見ているわ。今、貴方はこの国の王なのよ」

 魔女へ指輪を送ってから一月、落ち着きを無くしてしまったレアンドロに私は静かに声を掛ける。


「……ああ、そうだな」

 私の言葉がきっかけになったのか、レアンドロは姿勢を改め笑顔で手を振る。幼い頃から隣にいた私は、それが作り笑いであることがよくわかる。


 王妃しか着用を許されない国の紋章が入った豪華なドレスを着用し、王の隣に座り、国民から祝福を受ける。昔から憧れていた光景なのに心が少しも喜ばない。すぐ隣にいるのに、心は遠い。


 私は王妃になりたかった訳ではない。レアンドロの妻になりたかっただけだ。

 

 飾り物のような偽者の王妃を演じることは辛くて苦しい。すべてを投げ出してしまいたいと思っても、今の私は王妃だ。未来への期待を信じ目を輝かせて手を振ってくれる国民たちに、応えなければならない。


 半日を掛けてパレードと祝宴が終了し、寝室へ入って人の目がなくなった途端にレアンドロが顔に貼りつけていた笑顔が消えた。

「お疲れ様でした。皆のお陰で素晴らしい日を迎えることができましたね」

 今日のパレードがつつがなく終了したのも、この1年の間、準備を整えてくれた人々がいたからだ。


「お疲れでしたら、薬茶はいかがですか?」

「……ああ」

 レアンドロがカウチへと座り込む。今まではすぐに隠し扉から出て行ったのに、余程疲れているのだろう。もちろん私も疲れている。それでもレアンドロを労わりたい。


 寝室の棚に置かれた魔法石を燃料にした卓上焜炉で湯を沸かし、疲労に効く薬茶を淹れてレアンドロに手渡す。


 しばらくカップを眺めていたレアンドロは、薬茶を飲み干した。

「……美味いな。ありがとう、リカルダ」

「え?」

 久しぶりに呼ばれた名前に戸惑いが隠せない。昔のレアンドロが戻って来たような錯覚が、私の心を震わせる。レアンドロの唇に苦笑が滲んでいる。魔女のことをやっと諦めたのだろうかという期待が鼓動を跳ね上げる。


 私が返す言葉を探している間に、すばやく立ち上がったレアンドロは隠し扉から出て行ってしまった。


      ◆


 パレードの翌日からレアンドロは一層政務に没頭し、視察旅行も再開した。旅行の行程は、魔女が住む〝黒い森〟の周辺を避けている。


 政務以外のことを考えたくない。そんな考えが透けて見える。きっと魔女を忘れる為なのだろう。


 レアンドロが送った包みは間違いなく魔女の手に渡り、魔女の夫も娘も元気に暮らしているというのは、レジェスから聞いた。あとはレアンドロが魔女のことを忘れてくれればいい。私はいつでも笑顔でレアンドロを迎え入れる準備は出来ている。


 その夜、いつもなら真っ先に隠し扉から出ていくレアンドロが、寝室の中央で立ち止まって振り返った。

「話しておくことがある」

 緑柱石の瞳と目が合って、私は驚くと同時に期待を胸に抱いた。ようやく私と向き合ってくれるのかもしれない。


「来月、第二王妃を迎える」

 レアンドロの口から告げられたのは、想像もしていなかった酷い言葉だった。頭から血の気が引いていく。


「……その方が、貴方の本当の王妃なのですか」

 魔女なのかとは聞けなかった。


「いや。そちらも弟に抱かせる。……私は早く世継ぎが欲しいだけだ」

 冷たく言い放ったレアンドロは、隠し扉から出て行った。


 追いかけたいと思っても体は動かない。魔女に裏切られて、私の元へと帰ってくるのだと信じていた。他の女性を迎える話になるとは思わなかった。


 隠し扉が開いてレジェスが姿を見せた。私の顔を見て驚き、駆け寄ってくる。

「……レジェス……」

「リカルダ? 何があったんだい?」

 震える体をレジェスが優しく抱きしめる。その温かさが心を締め付ける。


「……抱いて……」

「リカルダ、少し落ち着こうか。今日は僕がお茶を淹れよう。味は保証できないけどね」

 レジェスは子供をなだめるような手つきで私の背中を優しく撫でる。

 

「レジェス! お願い! 私が……私が身籠らなければ、レアンドロは……新たな王妃を連れてくるの」

 この国の王は世継ぎが生まれるまで、何人でも王妃を娶ることができる。


「新たな王妃? あの魔女ではなく?」

「そう。魔女ではないの。誰なのかわからないけれど、貴方に抱かせるって。早く世継ぎが欲しいって」

 魔女を呼び寄せることがなくても、新しい王妃の中にレアンドロの心を射止める者がいるかもしれない。不安が体を震わせる。


「お願い!」

 レジェスの夜着を握りしめ、揺れる緑柱石の瞳を見つめるうちに堪えていた涙があふれていく。


「私では駄目なの? 私には魅力がない?」

 健康的な美しさを取り戻し、王妃として教えられてきたとおりに王を支え、貴婦人として皆の理想となれるように心がけてきた。これ以上、何をどうすればレアンドロの心が戻ってくるのかわからない。


「リカルダが昔から努力してきたことは、僕が一番知ってるよ」

 レジェスの温かい唇が涙を拭った。


「努力してもレアンドロの心は戻ってこないの。だから……」

 私が出来る事は、レアンドロの望みを叶えることしか残ってはいない。たとえ私の希望とは異なっていても。


「……リカルダ……口づけてもいいかい?」

 優しい確認の声に頷いて返す。


 レジェスとの初めての口づけは、私の涙の味がした。

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