ドス黒なずみ童話 ⑥ ~どこかで聞いたような設定の血まみれの鍵~(中編)


 あの青髭の男は、エミリアンという名前でした。

 そして、クレマンティーヌは彼の母親であると。

 母の手作りお菓子というご褒美につられた青髭の男は、素直に元のベッドへと戻っていったらしく、静寂が戻ってきました。

 気まずい静寂に、クレマンティーヌの重い溜息が重なりました。


「お二人とも、今のことはどうかお忘れくださいませ。大変に驚かれたとは思いますが、あの子は自分のテリトリーさえ荒らされなければ、無害な子なのです」


 えっ、無害? 彼のあの様子を見た限り、とてもそうは思えませんでしたが、クレマンティーヌが続けます。


「あの子は……エミリアンは、ご主人様と一番目の妻であった私との間に生まれた子なのです」


 えっ、一番目の妻? このクレマンティーヌが!?

 なんということでしょうか!

 一番最初の奥方様は行方不明となってしまったのではなく、この屋敷内にずっといらしゃったのです。それにもかかわらずブランシュは嫁いできてしまったのです。

 いいえ、それよりも、歴代の奥方様の中でも群を抜いて美しかった肖像画の中の彼女と、自分たちの目の前にいるクレマンティーヌはまったくの別人です。疲れ果てた老婆にしか見えない今の彼女には、あの美貌の面影すら残存しておりません。

 クレマンティーヌの実年齢は、おそらくその見た目よりも三十才以上若いに違いないでしょう。引きこもりで凶暴な息子を持つ苦労とストレスは、彼女をこれほどまでに老け込ませてしまったのです。

 よくよく思い返してみると、クレマンティーヌが唇を腫らしていたのは転んだのではなく、青髭二世・エミリアン様に暴力を振るわれたからではなかったのでしょうか? ブランシュが時折、聞いていた獣の雄叫びのような声は、この屋敷の中から聞こえてきたエミリアン様の声ではなかったのでしょうか? 歴代奥様の肖像画がかけられた部屋の壁にあった空白には、かつてのエミリアン様の肖像画がかけられていたのではないでしょうか? 


「奥様……」

 本来の奥様であるはずのクレマンティーヌがブランシュを”奥様”と呼びました。

「……もう私はご主人様には愛のひとかけらも残っておりません。それは、ご主人様も同じであるでしょう。私のことは、この屋敷を離れることのできない亡霊とでも思ってくださいませ。私はただ、あの子をこの世に誕生させてしまった母として、この命がつきるまであの子の面倒を見て、この地にあの子とともに骨をうずめる覚悟でございますゆえ……」



 夜。

 青髭屋敷の秘密を知ってしまったブランシュとアンヌお姉さんは、最高級の美酒に酔いしれようとしてもなかなか酔いしれることができませんでした。


 ブランシュは、青髭様にご子息がいたことすら知りませんでした。町の噂においても、そのことは聞いたことがありませんでした。

 青髭様は、ブランシュ”には”とてもお優しい方です。ですが、政略結婚ではなく愛し合って結婚したはずのクレマンティーヌが、あれほどまでに変貌してしていく経緯を、同じ屋敷内でずっと見ていたはずなのに何とも思わなかったのでしょうか?

 社会に適合できず引きこもりとなったエミリアン様は、クレマンティーヌだけの子供ではないのです。青髭様の子供でもあるのです。

 それなのに、青髭様はクレマンティーヌに……エミリアン様に暴力までをもふるわれているクレマンティーヌに全てを押し付け、同じ屋敷内に次々に若い奥方を迎え入れていたのです。クレマンティーヌはいったいどんな思いで、この青髭屋敷での時を重ねていかざるを得なかったのでしょうか?


 ブランシュが、クレマンティーヌの一人の女としての、何よりも母としての哀しさを思い、青髭様への不信感と苛立ちを募らせている間、隣のアンヌお姉さんは全く別のことを考えていました。


「ねえ、ブランシュ……あんたも、あの部屋にあった絵を見たでしょう? あんただって、あれらが何かはすぐに分かったでしょう?」

「え? ええ……」


 裸の男女が睦みあっていた絵のことを、アンヌお姉さんは言っているのです。

 ブランシュも、アンヌお姉さんも、男性の体をまるっきり知らぬ生娘というわけではありませんでしたから、エミリアン様があれらの絵でナニをしていたのかは、きちんと理解していました。イカ臭くて、ガチガチに固まったちり紙が床にはたくさん散らばっていたから、なおさらです。

 けれども、アンヌお姉さんが言いたいのはそのことじゃありません。

「あれほどの力を持った者に、この人生でお目にかかれることになるとは驚きだわ。あのキモデブ息子の力は本当にすごいわ。もう魔術といえる域にまで達しているわよ」


 お酒を一口だけ飲んだアンヌお姉さんは、フーッと熱い息を吐き出しました。

「……クレヤボヤンス(千里眼)とソートグラフィー(念写)の力を併せ持つ男が、こんな陰気な屋敷内でくすぶっていたなんて、まさに宝の持ち腐れよね」


 クレヤボヤンスとソートグラフィー。

 そうなのです。あのエミリアン様は、超能力者でありました。

 それも二つもの超能力を保有しているうえ、コントロールする力までもが抜群であり、まさに稀有な超能力者と言えるでしょう。


 ……ということは!

 ”目に見えたものを、そのまま紙にパッと写した”としか思えないあれらの絵は、あらゆる男女の実際の閨での秘め事を鮮やかに、吐息まで聞こえてくるかのような臨場感までをもしっかり写したものだったのです。

 千里眼で覗き見をしたうえに、念写でそれらを保存までしているエミリアン様。自身の自慰行為のためだけに、いつでも見返して使えるようにあの部屋いっぱいにエロスコレクションを溜め込んでいたエミリアン様は超能力者であるだけでなく、超異常性癖者でもありました。


 アンヌお姉さんは、ニヤニヤ笑いながら続けます。

「数枚しか見てはいないけど、あの男はいわゆる高貴で済まし切った女が好みのようね」

 ブランシュやアンヌお姉さんなど、その足元にも及ぶことができない高貴な淑女たちも、まさか自分たちの閨での秘め事を……ドレスもコルセットも脱ぎ捨てて、ただの女となり、あられもない姿で喘ぎながら腰を振っている姿を、見知らぬキモ男に覗き見されたうえに、オカズにされているとは思いもしないでしょう。

 まさに、知らぬが仏。いえ、この世界で言うなら、知らぬが神様でしょうか?


「……アンヌお姉さん?」

 ブランシュはは嫌な予感がしました。


「私でも名前と顔を知っているような貴族の奥方様が、夫でない方と致しているらしき写し絵があったのよ。それに嫁入り前のご令嬢のものもね。それらを上手く利用したら、結構なお金になると思わない?」

「……アンヌお姉さん! 駄目よ! そんなことは絶対に駄目!」

 なんと、アンヌお姉さんは高貴な方々への強請を企み始めていたのです。


「お願い、そんなことしないで! 旦那様からの援助で、アンヌお姉さんやお兄さんたちの生活水準だって前より上がったでしょう? これ以上を望んじゃいけないわ。安全地帯に来ることができたのに、危ない橋へと足を踏み入れる必要なんてないはずよ」

「でも、お金はいくらあったって困らないでしょ。稼げるチャンスを見つけた時に、ガッツリ稼いでおかなきゃ」

 ブランシュの諌めなど、アンヌお姉さんは全く取り合うことなく、ケラケラ笑いました。



 とうとう事件が起こりました。

 いえ、アンヌお姉さんが事件を起こしました。

 それは、ある日の夕方のことでした。


 あれだけあったら、一枚や二枚、ううん、三枚や四枚……いえいえ、十枚ぐらいもらっていってもばれないはずよね、とアンヌお姉さんはエミリアン様の”念写絵”の拝借、つまりは妹の嫁ぎ先で窃盗を行おうとしていたのです。言っても聞かない人というのは、やはりどこにでもいるのです。


 ブランシュが持っていた鍵を無断で持ち出したアンヌお姉さんは、エミリアン様の生臭い部屋に忍び込むことに成功しました。アンヌお姉さんは侵入だけでなく窃盗にも一応は成功しましたが、大きな誤算がありました。


 コレクターの方々は、自身のコレクションをそれはそれは大切にしているのです。エミリアン様のコレクションは、自分が精をたっぷりと込めて、写し出した大切なエロスコレクションなのです。シコシコ三昧の生活において、三次元から生まれた二次元の女にしか萌えられなくなってしまったエミリアン様は、自分の精がついた手でエロスコレクションを触るのは良くても、他人に触られ手垢がついてしまうことを許せるはずがありません。そして、そのエロスコレクションが一枚でも欠けてしまうことはもっと許せないのです。


「ぎゃああああああああああ!!!!!」


 お屋敷に響いたアンヌお姉さんの大絶叫。

 慌てて寝室の外へと飛び出したブランシュの目に飛び込んできたのは、開かずの間から出てきたエミリアン様がアンヌお姉さんをドスドス、ズドドドドと追いかけ回している光景でした!

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