ゲシュタルトセラピー

日曜日、絵理は午前中に乳癌・子宮癌検診を受けたあとにあるマンションの一室を訪れた。

今日はゲシュタルトセラピーの日だ。

扉を開くと畳が広がっていて、優しそうなおばさんが迎えてくれた。

「こんにちは」

「こんにちは。はじめまして。絵理と申します。」

「どうぞ、座布団と椅子を持っていって、トイレはあちらで。お腹が空いたらお菓子やお茶はあそこにありますからね」


絵理はそう言われると座布団と椅子を持って行って、壁に寄り添うようにして座った。


6人、参加者が集まってきた。

40代位の男性、女性、自分と同じくらいの女性、様々な方がいた。

「それでは始めましょうか。」


「今日は初めての方が沢山いらっしゃるので。」

「ゲシュタルト療法とは、気づきに始まり、気づきに終わる実践的な心理療法です。気づきには内部(からだ・こころ)・中間(思考)・外部(現実)の3つの領域があります『今私は少し口が喉が渇いています。何故なら少し緊張しているからです。』というように自分の体や心の状態に気づきましょう。そしてなるべく何故その状態なのかも気づきましょう。」

「お隣の方とペアを組んで下さい」

絵理は隣にいた優しそうなおばさんと組んだ。

「よろしくお願いいたします。」

「ワークの前に気づきのレッスンというものを行います。最初に行う人は手を上げてください。」

絵理は手を挙げた。

「その人は自分の内部に関する気付きをペアの方に話してください。ペアの方はその方にまず『あなたは何に気づきましたか』と聞いてください。そして『私は~に気づきました。』というように話してください。そしてなるべく何故その状態なのかも話してください。では始めましょう。」


 絵理は口の中が少し渇いたり、上着を着ているから寒いと感じなくなったという事をペアの人に伝え、ペアの方の気づきも聞いた。


「はい、これが内部領域の気づきです。体の気づきという事です。私が『水を飲みたい』という事に気づくのは、体に様々なサインが送られてくるからです。内部領域の気づきのもう1つの特色は、心、気持ち、感情と呼ばれていえる精神領域の気づきです。ゲシュタルト療法では身体と精神を分ける事はありません。

 内部領域の気づきは身体=精神で起きている事全てです。心理的な事に限らず、姿勢や動作等も含まれます。」

「今度は外部領域です。あなたの外にある事に対する気付きをペアの方に伝えましょう。外部領域とは現実の世界の事です。我々は内部領域と外部領域の関係で生命を維持するシステム(=ホメオスタシス)で成り立っています。個が生きていくためには外部領域に働きかけることが必要です。喉が渇くと『水を飲みたい』という欲求が生まれます。個は現実の世界にコンタクトして『水を探し』求めます。そして水がある事に気づき水を飲みます。」


絵理はペアの方が黒いブラウスを着ていることなどを伝えた。ペアの方の気づきも聞いた。


「そこまで。最後に中間領域になります。自分の考えている事を相手に伝えましょう。」

絵理は手を上げて質問をした。

「中間のイメージがよくわかりません。中間と言うのは内部と外部の間という意味なのでしょうか」

「良い質問ですね。中間領域と言うのは思考プロセスの事です。脳の機能は考えたり、分析したりすることに役立ちます。過去のことを思い出したり、未来のことを思い巡らせることが出来るのは脳の特色です。中間領域の気づきは思考の気づきです。あなたが考えていることに行づいたら、『~について考えていることに気づいています』と表現してください。」

「私は今何故ここにいるかについて考えていることに気づいています」などを伝えた。ペアの方の気づきも聞いた。

「パールズが中間領域を内部領域から分けたのは、知識を増やすほど自己を失ってしまう傾向があるからです。人は小さい時から外部の情報を取り入れて成長します。『有名大学に入れば社会で成功できる』『大企業に入れば幸せになれる』などきりがありません。

 知識は基本的に外部から仕入れた他人の情報です。知識をいくら増やしてもそれは他人の価値観でしかないのです」

 絵理はぎくっとした。自分は頭が悪いから賢くなれば、知識を蓄えれば自分は幸せになれると思ったからだ。

「『現代人の問題は現実にコンタクトしないで現実を想像する事だ』とパールズは指摘しました。パールズは対人恐怖や視線恐怖の症状はこの『想像する事』が起因しているのではないかと指摘しているのです。どういう事かと言うと、相手を見ていないと相手がどんな反応を示しているかを知る事が出来ません。そのために相手の人を『想像する』ようになるのです。相手は『怒っているかもしれない』と想像するのです。自分が目を使って見る代わりに『相手の目の機能を使って見る』ようになり、他人の目が気になるのです。

 すなわち、一つの領域に留まると、問題を解決する能力が低下するのです。ポケモンGOでポケモンの捕獲をどうしようか考え事(中間領域)に夢中になり、車が来ている(外部領域)事に気づかなければ、クラクションを鳴らされてびっくりします(内部領域)。中間領域の気づきに留まりすぎて、外部領域に切り替える能力が低下したわけです。

 では気づきのレッスンを終わりにします。まずどなたからワークを始めますか。」


 手を挙げたのは最初に来た方だった。

「では、どうぞ」

 そう講師が言うと、その人は真ん中に座布団を持って行った。


 まあざっくり言うと、「空いすの技法(エンプティチェアテクニック)」と言って、葛藤がある人物を座らせて、あたかもその人物と対決しているように自分の気持ちを表現したりする。そして相手の椅子(座布団)に座り、その人物になりきって自分自身に向かって話しかけるのです。一言で言えば、相手の立場になって体験するロールプレイなのだ。

 絵理はその方のロールプレイを見て「演劇みたいだ」と思った。圧倒された。その方が抱えている複雑な家庭状況が絵に浮かぶ。そしてその方が理想としてどこに向かっていきたいのかも分かった。

 約1時間に亘るロールプレイの後に参加者からフィードバックが寄せられる。

 絵理は手を挙げて「自分以外の他人が他人事に思えなくなった」と答えた。


 その後、絵理の番になった。

 絵理はひとまず前の方に倣って座布団を1枚持って、先生の元に行った。


「先生、私初めてなので何をすれば良いか分かりません」

「自分が今伝えたい事を話してください。うまく言語化しなくても構いません」

「恋人への暴力をやめたいんです…」と言うと、絵理は何を言うべきか迷った。そうすると、右手は顎の下に、左手はお腹に手を当てていた。

「今何を感じていますか」

「そのポーズから何を感じますか」と聞かれると、

「こういう場なのでうまく話したいと考えています」

「うまく言語化しようと思わないでください。」


 そうすると、「自分が怒りっぽくなったのって私が小さい時いじめられても、何されても言えなかったのが起因しているのではないかって思っています。」

「それはどなたですか」

「学校の先生や、親やいじめていた子です」

「じゃあ、その方の座布団を置いてみて下さい」

「はい」

と言われると、絵理は2枚座布団を持って行って、自分の右隣に置いた。

「私は小学校の時は所謂いじめ、みたいな、暴力やゲーム機を取られたりしていました。」

「それに対して先生はどんな対応をしていましたか?」

「いや、特に何も。その子の両親にも直接言ったんですけど『子供間のやり取りだから子供間で解決しなさい』と言われ、自分の両親にも伝えたんですけど『今すぐ取り返して来い』と言われてその時はダッシュでその子の家に直接行って取り返したんですけど」

「先生達にはどういう対処をしてもらいたかったか、その座布団を先生に見立てて言ってみて下さい。」

 絵理は青い座布団の方を見て

「先生、私はその子に『私のものを取らないで』って言って欲しかったです。」

「『私のものを取らないでって言って』って強く言って下さい。」

「私のものを取らないでって言って!」

絵理はこの時点で涙を流していた。

「中学校になると、周りは『いじめ』と見なされないように、陰口を叩くようになりました。全学年中に『障害児』って言われて。高校になってもそうです。」

「先生はどういう対応をしましたか」

「先生は問題になりたくないから無視しました。寧ろ、先生に『絵理さんは人気者だからそうなのよ』と言われました。」

「両親はどんな反応をしましたか」

「母は先生に抗議しましたが、それでもダメだったんです」

「先生達にはどういう対処をしてもらいたかったか、その座布団を先生に見立てて言ってみて下さい。」

 絵理はオレンジの座布団の方を見て

「先生、不出来な生徒だからって問題をなかった事にしないでください。平等に扱って下さい!」

「強く言って下さい。」

「無視しないで!」

絵理の涙が溢れていた。

「私は怒るのを我慢したくない、やめたくない!」と叫んだ。

「強く言って下さい。」

「私は怒るのをやめたくない!」

「強く言って下さい。」

「私は怒るのをやめたくない!」

「もっとはっきり言って下さい。」

「私は怒るのをやめたくない!」


「絵理さん、その当時の絵理さんの座布団を持ってきてください」

絵理は立ち上がり、座布団を持ってきた。

「どこに置きますか?」

絵理は自分の横に置いた。

「当時の自分に何て言いますか?」

「その時は何も楽しい事がないけど、将来良い事が沢山あるよって言いたいです。」

「絵理さん、ここで提案があります。」

「参加者の人に当時の先生の役をやって貰って絵理さんの伝えたい事伝えてみませんか?」

「はい」

「どなたか先生をやっても良いという方」

そうすると、3人手が挙がった。

「では、○○さん。『私は絵理さんの小学校の先生の役をやります』と言って下さい。」

「私は絵理さんの小学校の先生の役をやります」

「○○さん。小学校の先生として絵理さんをいじめた子の座布団に向けて何を伝えますか。」

「ゲーム機を取ったらダメだよ。何か不満があったら先生に先ず言ってみて」

「絵理さん、言われてどう感じますか?」

「当時、こんな先生がいたら良かったなと思います。」

「絵理さん、他に言いたい事はありますか?」

「ありません」

「では、○○さん。『私は絵理さんの小学校の先生の役をやめます』と言って下さい。」

「私は絵理さんの小学校の先生の役をやめます」


「すみません、私からお願いがあります。父親の役を誰かやって貰いたいのです。父はとにかく無関心だったし、うつ病になって離職して、自分の借金を母に払わせて、しばらく働かず、母ばかりが働いてずっと父を憎んでいました。でも今自分が病気になって、父の気持ちも理解出来るのです。」

「ではどなたか絵理さんのお父さんの役をやっても良いという方はいらっしゃいますか?」

1人手を挙げた。

「では、○○さん。『私は絵理さんの父親の役をやります』と言って下さい。」

「私は絵理さんの父親の役をやります」

「絵理さん、お父さんに伝える事はありますか?」

「お父さん、私はうつ病になって離職して、自分の借金を母に払わせて、しばらく働かず、家の玄関のドアやお風呂のドアを壊して警察を呼んで、しかも母ばかりが働いてずっと憎んでいました。でも今自分が病気になって、お父さんの気持ちも理解出来ます。私は完全には許していませんが、今は家族が仲良くなれば良いなあと思っています。」

「○○さん、絵理さんのお父さんとして絵理さんに向けて何を伝えますか。」

「絵理がいじめられた時も、見捨ててごめんな。何もしてあげられなくてごめんな。でも仲良くやっていこうな」

「絵理さん、他に言いたい事はありますか?」

「ありません」

「では、○○さん。『私は絵理さんのお父さんの役をやめます』と言って下さい。」

「私は絵理さんのお父さんの役をやめます」


「絵理さん、今回のワークはこれで十分だと思います。」

時計を見ると、1時間経っていた。

「はい。ありがとうございました。」と絵理は講師と参加者に向けてお辞儀をした。

「はい。ありがとうございました。」

「何か絵理さんに対してフィードバックはありますか」

3人手を挙げた。

「はい、○○さん」

○○さんは涙を流していた。

「最初から...泣いちゃったんですけど。すごいなって抱きしめたくなっちゃいました。」

「○○さん、抱きしめますか?」

「...いや、握手してください」

絵理は○○さんと握手した。


「はい、○○さん」と手を挙げた方に講師が指した。

「私は先生の役をやったんですけど先生が何も出来なかったのかなと思いました」

「はい、○○さん」と手を挙げた方に講師が指した。

「私は父親の役をやったのですが何も出来ない自分に『ごめんな』って素直に言葉が出ました。」

「他にありますか、はい絵理さんのフィードバックを終わりにします。」

「ありがとうございました」と絵理は皆にお辞儀をした。


恋人に対するワークはなかった。

絵理はその後他の人のワークを見た。

すると、ある人は嗚咽して、自分の苦悩を全く言語化せずその場で泣き崩れた人もいた。

でもよくよく聞くと、正直自分の苦悩と比較して些末な事だとは思った。しかし、人にとってショックの受け止め方が異なる事を認識した。


こうしてゲシュタルトセラピーは終了した。

ひどく疲弊したが、清々しい気分になった。

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