第9話 さらば涙、ようこそ笑顔

 黒ずんだ焼け跡だけが残された、かつての森。そこへ辿り着いたユアルク達の前には、中心に立ち尽くす教え子の姿があった。

 周囲一帯を爆破すれば、火の元から消し飛ばせる。以前に自分達が教えた通りに、火災を止めていた少年は――師に背を向けたまま、空を仰いでいた。

 炎を浴び、炭のように変わり果てた花飾りを、その掌に乗せて。


 少年が見上げているのは、今までと何ら変わらない、空。その景色が、この結末さえ時の流れの一つに過ぎないという事実を、突きつけているかのようだった。

 そんな彼の近くに歩み寄り、ユアルクとメイセルドは――黒焦げた骸を見つける。数は、3人。


 そこから全てを察した蒼海将軍は、何一つ語らない太嚨に、静かに語り掛ける。


「……今からでも脱走をなかったことにすれば、最後のシルディアス星人を探し出し撃滅した英雄として、お前は不動の名誉を手にできる。私達の傷も、彼女に付けられたものと言えば周りも納得するだろう」

「……」

「だが、分かっている。お前は、そんなものは最初から望んでいない。あの日からずっとお前は、人々を……希望を、笑顔を守るためだけに戦ってきた。これが、お前の幸せには程遠い幕切れであることは、私達でも分かる」


 太嚨は黙したまま、背中で師の言葉を浴び続ける。弟子の物憂げな声色から、その心中を察したメイセルドは――ゆっくりと、腰のホルスターに手を伸ばした。


「……彼女達の元に逝くことがお前の願いであるなら、師として我々が天に導こう。それが、お前の人生を散々かき乱してきた我々が果たすべき、最大の責務だ」


 やがて、太嚨は静かに振り返り――自分に向けられた銃口と相対する。筆舌に尽くしがたいほどの「酷い貌」を前に、メイセルドは仮面の下で沈痛な表情を浮かべていた。

 絞り出すような声が漏れてきたのは、その直後だった。


「……まだですよ。今逝くには、土産話が足りなさすぎる」

「……そうか。星雲特警に復帰は……いや、愚問だったな」


 いつか、あの子達と笑い合える日が来るまで。彼らを笑顔にできる思い出を、一つでも多く。それが、太嚨が選んだ償いだった。

 ――すぐに後を追ったところで、シンシアが哀しむのは、目に見えている。こんな末路を辿ってまで、彼女が先に逝った意味がない。


 そんな彼の答えを聞いたメイセルドは、胸を撫で下ろすように銃口を下ろし、ユアルクと視線を交わす。その意図を察した金髪の青年は、穏やかな動作で太嚨に手を差し出した。


「今まで、よくやってくれた。よく頑張ってくれた。色々なことはあったが……それでも私達は、お前に感謝している。……ありがとう、本当に」

「……はい」


 その手を一瞥した太嚨は、メタリックレッドの片胸当てを外し……かつての師に、返上する。教え子から星雲特警の証を預かった蒼海将軍は、その重さを噛み締めるように、青い胸に片胸当てを抱いていた。


「――さぁ、帰ろう。お前がいるべき星へ。お前が、歩むべき道へ」


 そんな彼の、目の前で。花飾りだった消し炭が、砂細工のように崩れ落ちて行く。


 ◇


 本来、太嚨は戦いには向かない性格である。そうと知りながら星雲特警として戦わせてきたのは、シルディアス星人に対抗できる戦士を1人でも多く揃えるためであった。

 そのシルディアス星人が1人残らず・・・・・滅亡した今、もう太嚨がヘイデリオンとして戦う理由はない。何より、これまでに負った傷が、余りにも深過ぎる。


 ――そうした背景を鑑みた、メイセルドの判断に基づき。太嚨はコスモアーマーとシュテルオン、そして「ヘイデリオン」のコードネームを、星雲連邦警察に返上。

 彼は名実共に、一介の地球人でしかない 火鷹太嚨に戻ることができた。公的には戦死とされ、伝説となった「星雲特警ヘイデリオン」の英雄譚は、本人とは無縁の宇宙で語り継がれていくことになる。


 その後、太嚨はユアルクに連れられ地球へと帰還。彼と繋がりパイプのある地球守備軍出身の政府高官に、身柄を託されることになった。

 シルディアス星人が滅びた今、地球が異星人の侵略を受ける可能性はないに等しい。彼らの犠牲を経て、ようやく太嚨は故郷の星へ帰ることを許されたのである。


 だが――5年ぶりに地球へと帰ってきた今になっても。少年の心は、晴れないままであった。


 ◇


「ユアルク殿には、35年前にも世話になっててなぁ。地球守備軍が創設される前から、この星を守ってくれていた大恩人なんだ。その彼が、まさか5年前の災厄の生き残りを連れて来るとはなぁ。5年間も宇宙人と暮らしてきた地球人なんて、前代未聞だぜ。コスモビートルのパイロットだった、君のお父さん…… 火鷹少尉も生命力に満ち溢れた男だったが、君はそれ以上だな」

「……」

「しっかしあの人、昔から見た目が全然変わっとらんなぁ。俺なんてもう、白髪がこんなに増えちまって大変だぜ。宇宙人はほとんど歳も取らねぇんだから、得だよなぁ?」

「……」


 ――20XX年、東京。

 5年前に起きたシルディアス星人の襲撃も、この時勢においては過去のものとなっていた。人々は地図から消え去った町の名前すら忘れ、平和な日々を謳歌している。

 一方で、幾度となくこの星を救った「星雲特警ユアルクやメイセルド」の存在は広く認知されており、彼らを神の使徒と祀り上げる宗教まで台頭していた。


 東京スカイツリーの景観から、そんな地球の日常を見下ろす太嚨の隣で――地球守備軍の制服に袖を通す、初老の男が豪快に笑っている。

 しなやかでありつつも筋肉質な体格に、強面な顔つき。白髪が混じった、黒のパンチパーマ。どれを取っても、政府の官僚とは思えない容貌である。現場の鬼軍曹、と言われた方がよほどしっくり来る外見だ。


(父さん……)


 彼から、殉職した父の遺品である赤いスカーフを受け取った太嚨は――その形見を、静かに見下ろしていた。


「なんだなんだ、黙りこくっちまって。……あぁ、この先の暮らしが心配なのか。なぁに心配はいらん、マスコミには君のことを報道しないよう、すでに手を回してある。極力、君が世間から変な目で見られることのないようにしろって、ユアルク殿からもクギを刺されてることだしな」

「……オレは結局、何もできなかった」

「あん?」

「自分に出来ることを、力の限り尽くしても……結局、何一つ守れなかった。オレに、もっと力があれば、こんなことには……」

「……」


 高官は高らかに笑いながら、隣に立つ太嚨を励まそうとしている。が、過去の罪から抜け出せずにいる少年は、窓ガラスに手を当てたまま沈痛な面持ちとなっていた。

 黒のレザージャケット。赤いレザーグローブ。赤いレザーパンツ。高官が用意した、それらの私服に袖を通し、名実共に「ただの地球人」に生まれ変わった今でも――その貌は、消せない罪に囚われている。


 しばらくその様子を眺めていた高官は――何を思ったのか、いきなり太嚨の両頬をつねり始める。


「……っ!? いひゃい、いひゃい! なにひゅるんでひゅか!?」

「いかんなぁ! いつまでも若いモンが、そうやってメソメソしてちゃあ!」


 その不意打ちに涙目になりながら、抗議する少年。そんな彼の眼を真っ直ぐ見つめながら、高官は声を張り上げる。

 周囲に立っている黒尽くめのガードマン達は、「また始まった」とため息をついていた。


「俺はな、はっきり言って君の苦しみを全く知らん! ユアルク殿からは、5年間宇宙で辛い思いをしてきた……としか知らされておらんからな! だが、そんな俺でも分かることはある!」


 ――太嚨の素質を軍事利用させないため、ユアルクは彼が「地球人でただ1人の星雲特警」だった事実を伏せていた。

 それでもおおよその経緯を察していた高官は、少年が歩んできた道の辛さを慮りながらも、喝を入れ続ける。


「君に足りんのはな、力なんぞではない! ――笑顔だ! せっかく帰ってきたというのに、そんなに辛気臭い顔ばかりしてるから……目の前に転がってきた幸せも、みんな逃げちまう!」

「……え、がお……?」

「そうだ! だから君は、笑顔にならにゃいかん! 子供の顔が暗く沈んでいるのは、その子が不幸だからだ! だから君は、幸せにならにゃあいかん! その君が、希望を自分から投げちまうのは、至極勿体ねぇ話だ!」


 やがて、太嚨の頬から手を離した高官は、再び豪快に笑うと――力強い掌で、少年の肩を掴んだ。


 その勢いに、圧倒されながらも。同じ地球人として「幸せになれ」と訴える彼の言葉に、太嚨の心は徐々に吸い寄せられていた。

 親も師もいなくなった彼にとって、この高官らしからぬ男の存在は、最後の希望なのかも知れない。


「君は今まで、笑えねぇ目に遭ってきたかも知れん。もしかしたら、この先もそうかも知れん。だったら平和な今だけでも笑っておかんと、辛気臭いだけ損じゃろが! ――『さらば涙、ようこそ笑顔』、だ!」

「……!」


 過去との決別。光ある未来。それは、太嚨にとっては生涯つきまとう難題であった。だが、だからこそ向き合わねばならないのかも知れない。

 前を向いて、生き抜いた上で。いつか、シンシアと逢うために。


(……笑顔、か)


 最期の瞬間に彼女が見せた、あの笑顔。心からの幸せを感じさせる、あの微笑。それを思い起こした太嚨は、天を仰ぎ――涙を堪えていた。

 笑顔を取り戻すのも、涙と別れるのも。今はまだ、難し過ぎる。


 だが、それでもいつかは。

 ――そう思う心は、すでに彼の中に芽生えていたのだった。

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