13 頼れるのは

 家を出ようとして、ふとかなえのほうを見る。

 もうほとんど、かなえはかなえに戻っていた。最初は辛そうだったバイトも慣れてきたらしい。何もしゃべらずに眠ってしまうことが多かったのに、最近は絵を描いたりゲームをしたりする余裕があるみたいだ。

 今日もかなえはデッサンをしている。前にぼくが書いていたゲーム機で、ぼくより何倍もうまい。

「出かけるの?」

「うん、ちょっと人と会ってくる。」

「共通の知り合いにはあんまり合わないようにね。つじつま合わなくなっちゃうから。」

「わかってるよ。」

 かなえが視線を上げた。

「かなた、なかなか帰れないね。」

「ちょっともめててね。」

 ぼくは「大丈夫。」と手をひらひらと振った。

「かなえの前からは、必ずいなくなるから。ここに留まろうとは思っていないよ。」

「……かなたがそれでいいなら。」

 ここまでかなえが元の体に馴染んだんだ。ぼくが何もしなくたって、そのうちぼくは「柊かなえ」じゃなくなるだろう。

 問題はその後だ。

「じゃあ、ちょっともめ事を治めてくるから。」

「うん。行ってらっしゃい。」

 部屋を出て、ちょっと中を見回してから、扉を閉めた。

 この部屋にいられる時間も、もうそんなに多くないんだろう。


 夏休み初日。ぼくは秋孝と待ち合わせをした。今後の対策を練ろうと言って。

「……で、なんであんたがいるんだ。」

 むすっとした顔が治らない秋孝と、

「あら、良いじゃない。」

「そうだそうだ。こういうのは専門家に聞いたほうがいい。」

 実は呼んでいた四栂さんとぼく。三人で病院の廊下を歩いている。こっそり由羽の、本当の秋孝のお見舞いに行った帰りだ。

 あいつは相変わらず、目覚める気配などなくて、どこかやつれたようにも見えた。

「今日は対策を講じたいとのことでしたものね。」

「うん。……自分が消えるのなんてその時が来ればしょうがないさって諦められるだろうけど。」

 ちらり、と病室をふり返る。

「秋孝が元に戻れるのなら、その方法を捜したい。」

 ぼくの言葉に、秋孝の『影』は表情を固くする。

「でも、うまくいく保証は……。」

「なんだ。お前は戻りたくないのか?」

「いや……。」

 なんだかはっきりしない。

 首をかしげるぼくの隣で、四栂さんがくすくすと笑っていた。

「たとえ元の自分に戻ったとしても、あの人は怒ったりしませんよ。むしろイレギュラーなことに対して興味を持つかもしれません。」

「そんな適当なこと言って……。」

「あの人とうちの師匠の張り合いを、わたしはかれこれ四百年見てきているんですよ? 百年そこらのひよっこに適当なんて言われる筋合いはないわ。」

 ……この人たち、年齢詐称も甚だしいな。

 そもそも四栂さんはどう見たって三十代前半。秋孝に関しては本人を見たことがないからわからないけど。

 それにしても、本当に張り合ってるんだな。なんて長い喧嘩だ。

「とにかく、俺はそんなこと気にしてないからな。」

「はいはい。言い訳するなんてまだまだ修行が足りないわね。」

「修行って……。師匠が不在な時点で、やってもなんの教えも得られないのに。」

 四栂さんは一つため息をついて、秋孝の胸に向かってぴっと人差し指を向けた。

「あのねえ。修行なんて、結局は自分がどこを目指すかよ。師匠は確かに教えをくれるけど、導いてはくれないのだから。それそろ師匠離れすることね。」

「う……。」

「はいはい、そこまでにしてください。」

 今にも泣きそうな秋孝。親友として、見ていれられなくなった。本物のあいつは、こんな顔しないから。

 それに。

「病院でそんな大声を出したら、他の人に迷惑ですよ。」

 正論を通すとふたりは建物を出るまでむっつりと黙りこんだ。


 いつも使うのとは違う、まったく人通りのない公園の机付きベンチに座る。石のひんやりとした感触が気持ちいい。

 木陰の東屋といった風情のその場所は、内緒話をするにはもってこいだった。

「人払いをしてあるから、しばらくは誰も来ないわ。」

 こともなげに四栂さんが言う。

「どうにかして、秋孝を起こしたい。」

 願いはシンプルだ。ただし、

「現代の医療技術では難しいでしょうね。」

「だから、四栂さんにいい方法がないか聞いてるんですが。」

 そうねえ、と四栂さんは首をかしげる。

「そもそも私、不死だから人の生死にかかわることには興味ないのよね。師匠の手伝いも、最近は神話研究のほうが多かったし。」

「神話……?」

 秋孝の声は無視された。

「研究していること以外って、そんな視野の狭い。」

「術師って、みんな専門家なの。由羽さんのお父さんだって守ること以外あんまり得意じゃないから生活能力皆無よ?」

 そうなのか。いやそうじゃなくて。

「じゃあ、こういうことの専門家は誰ですか。」

「そんなこと、急に言われても。」

 つまりわからないのか。

 案外面倒そうだとわかって、頭を抱える。

 ぼくの隣でおずおずと手が上がった。

「あの。『遠夜の知識』に頼ってみては?」

 なんだろう、それは。

 きょとんとするぼくの前で四栂さんがうなった。

「……確かに『遠夜の知識』ならなにかしら手段になりうる術を蓄えていそうな気もするけど。でもねえ。」

「何か問題でも?」

「あの蔵は師匠しか開けられないのよ。かれこれ十数年、開かずの蔵と化してるの。もう頼ることはできないんじゃないかしら。」

 蔵。うちの蔵だろうか。確かに竹林の中にひとつあるけど。

 子供の頃の記憶がふわ、とよみがえった。閉じこめられた暗い空間。待てども待てども誰も来なくて叫び疲れて。やっと助けてもらえた時は、本気で泣いた。

 ……ちょっと待て。

「その蔵って、竹林のところの?」

「ええ、そうよ。」

「ぼく、閉じこめられたことあるけど。」

 二人が一斉にこちらを見た。

 おじいちゃんは、ぼくが生まれる前に亡くなっている。おじいちゃんしか開けられない蔵に閉じ込められた記憶がぼくにあるということは。

「血縁者なら開けられる……? いいえ、それはないわ。美船さんでは無理だったし。」

 母さん、試したんだ。

「別の蔵だったんじゃない?」

「うちの庭広しといえど、あんなに暗い、昔ながらの蔵が何個もあるような家じゃないぞ。」

「現代式の蔵ならあるってことか……?」

「普通に倉庫は二つあるけど。」

 昔の蔵を改装したのかはいまいちわからない。

 呆けている秋孝の横で、四栂さんは真剣な表情で考えこんでいる。

「次の宿主だから、なにか反応するように細工がしてあったのかしら。」

「なんにしろ、試してみればいいんじゃない?」

 ぼくの提案に、四栂さんはしばらく唸っていた。いろんな考えが巡っているのだろう。そんなに何か、気にする案件があった気はしないのだが。

 座ったベンチが生ぬるくなっていくのを感じていると、やっと四栂さんが顔を上げた。

「そうね。……とりあえず、その姿では由羽さんと認識されないかもしれないから、元の姿に戻ったタイミングで行きましょう。」

 そう言って四栂さんが顔を上げる。その視線が、凍り付いたようにぼくを見ている。

 秋孝も、「おい。」と言ったっきり固まった。

「どうしたの?」

 自分で首をかしげておいて、気がつく。

 声が違う。

 高く、消え入りそうだったかなえの声は聞こえない。代わりに、声変わりをしてから聞き慣れた、自分の声がした。

 自分の姿を見下す。なぜか病院着を着ていた。『影』と同じ服になるのか? ちょっと面白いな。

 そう思ったのは一瞬で、あまりに二人がこちらを見つめるのが気恥ずかしく、

ぼくは『影』の特権を行使してその場からすっと消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る