10 遠夜柚卜

「柚卜師匠ははるか昔、この国で陰陽の術やそれを使う術師が登場したくらいから、ずっと同じ目的で研究をなさってきました。」

「……ちょっと待ってください。意味が解らないです。」

「そのままの意味なんですけどね。あなたの御爺様、正確には遠夜柚卜という人物は、姿を変えながら千何百年と生きてきた術師なのです。」

 ぽかん、と口を開けるしかない。

 ……もういい。黙って聞いていよう。

 何も言わず、口を閉じた。

「仕組みは簡単です。自分の精神、魂とも呼べるものを体と分離して、別の体に移すんです。最初は自分そっくりの体を作れないかと模索していたようなんですが、失敗に終わったようですね。代わりに見つけたのが、『子孫の体に魂を移す』という方法でした。

 柚卜師匠は自分の子供、それも男の子が生まれるたびに、その子に自分の魂を移植し、長い年月研究ができるように精神転移を繰り返してきたんです。」

 四栂さんは胸に手を当てる。

「私が初めて師匠にあったのは、まだ江戸時代になる前の事です。」

「……はあ。」

 相づちをしても、覇気が出ない。

「まあまあ、そんなことでは最後まで聞き通せませんよ? ……私はひょんなことから、不死の体を手に入れてしまいました。もうその頃のことは曖昧になってしまったのですが。その頃から姿は変わりませんし、死ぬこともありません。死にかけても元に戻ってしまうので。自分がこうなった直後はそれが受け入れられなくて、何度も死のうとしましたし、普通の人なら何十回と死んでいるはずなんですけどね。

 師匠はそんな私を拾ってくださいました。まあ、研究材料としてでしたが。不死の体を手に入れれば、精神を移動しなくても長く生きられますでしょう? 結局不死性は得られずに、何代か経って研究もあきらめてしまいましたが。」

「……どうして柚卜さんは、そこまでして長く生きたかったんですか?」

「気になりますか? 

 もちろん、自分のためではなかったです。では師匠は何に固執していたのか。」

 四栂さんの、芝居がかった声。そこはかとなく楽しんでいるのが伝わって売る気がする。

「陰陽の術師としての師匠は、数々の災厄から民を守った偉大な人だったそうです。その頃はさすがに私も生まれていないので伝え聞いただけですが。そんな偉大な術師でも、取りこぼしてしまった命は数多く。そこで師匠は考えたそうです。

 どうすれば、人々すべてを救えるのかと。」

 それは、無理なんじゃないだろうか。

 聞いているだけでも無謀なことだとわかる。それぐらい、途方もない夢だ。

 例えば今目の前で誰かを救えたとして、その裏で苦しんでいる人がいても、自分がそれに気がつかなければそのまま死んでしまうかもしれない。一人の人間の力じゃ、できる事は限られる。

「できないだろうと思うでしょう? けれど師匠は真剣にそのことを考えて、あまつさえ魂を移して時を渡るなんてことを成し遂げてしまったんです。師匠にとって精神転移は準備の一つに過ぎなかったんですね。」

「どうやって、人々を救おうとしていたんですか。」

「師匠は、まずこう考えました。人一人では到底無理な話だと。」

 やっぱり。ぼくらならそこであきらめてしまう。

「そうして師匠はこうも考えました。では人をすべて救えそうな存在とは何か、と。結論はいたって簡単。なんだかわかります?」

 ぼくは、首をひねる。そんなことを言われてもすぐには思いつかない。

 四栂さんは、呆れたように肩をすくめて、こともなげに言った。

「――神です。」

「……はい?」

「師匠は神になれば、すべての人を救えると考えました。」

「……。」

「では神になるにはどうすればいいか。まず人間を縛る時間から自分を解放し、続いて人間にはない感覚を身につけて世界すべてを近くできるようにし、そしてどんな困難でも打ち砕く力を手に入れる。それができれば神に等しい存在になり、どんな人でも救えるようになると。そんなことを考えていたのですよ。」

 言葉が出なかった。

 いっしゅん、狂人の言っていることなんじゃないかと思ったほどだ。柚卜さんか、四栂さんがもう狂っていて、ぼくに夢物語を聞かせているんじゃないかって。

 でも、四栂さんの眼は本気だった。

「そうして師匠は興味のおもむくままに情報収集をし、時に研究の資料として私のような人間をそばに置き、いろんなことを教えながら神を目指しました。あなたの御爺様に魂を移してからも、ずっと。」

 そこで、ハタと気づく。そうだ。これだけ途方もない夢を抱えていたのに、遠夜柚卜という人は亡くなっているのだ。

「でも、柚卜さんは。」

「はい。亡くなってしまいました。本来なら由羽さん、あなたの体に自分の精神を移して、また研究にまい進するはずだったのです。」

 そうか。今うちには男の子はぼくしかいない。今度はぼくの番だったのか。

 背筋をひんやりとしたものが駆けおりる。

「柚卜さんの精神が中に入ると、元々その体にいた精神はどうなるんですか。」

「……ふつうは、自我が目覚める前に、それこそ生まれてすぐに魂を移し、元の精神は居場所をなくして自然消滅します。自我もないので抵抗もありません。」

「それってつまり、死ぬのと同じじゃないですか。」

 四栂さんは、「そうとも言いますね。」と平然としている。

「世界のすべてを救うために、自分の子孫を殺していくなんて。自分勝手じゃないですか。」

「もちろんそのことは柚卜師匠もわかっていました。けれど、今のところそれしか方法がなくて……。最近になって、新たな方法を試そう灯していたのです。」

 そこまで一息に言って、四栂さんは長く息をはいた。よく見れば顔が少し赤らんでいる。

「……御爺様の死について。そのころ研究していた新しい精神転移の方法について。それについて語るには、ある男の話をしなくてはなりません。」

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