4 心の影

 かなえの『影』になって五日が経った。二日連続で学校に行ったかなえは疲れが溜まったのか一日学校を休んで、その次の日は土曜日で学校がなくて、今日は日曜日だから学校はない。

 いまのところ、母親が娘の入れ替わりに気がついた様子はなかった。

 かなえは母親が過保護すぎると言っていたけれど、実際は自分の言うことに従っていれば後は口出ししてこない人だ。娘のことが大事っていうより、自己満足のほうが強いんじゃないかな。

 ぼくはかなえが不在の間にクローゼットからもう一台ゲーム機を探し出して、ついでに同じカーレースのソフトが二つあるのも発見した。お兄さんがいたときに二人でやっていたのかもしれない。かなえはクローゼットを覗いたことは非難の目で見てきたけど、とりあえず、一緒にゲームをやってくれるようにはなった。

 かなえは引きこもっていた間ずっとゲームをやっていたのか、それとも元々センスがいいのか、なかなか勝たせてくれない。

 日曜日の夜、お風呂に入って帰ってきたかなえとほぼ無言でゲームをやっていると、ふいにかなえが喋った。

「学校、行っていいよ。」

「……え、ぼくに言ってる?」

 ゲームのキャラクターがアイテムを投げようとする姿勢のまま、画面に「一時停止」の文字が出る。顔を上げると、不機嫌そうなかなえに「他に誰が?」と毒づかれた。

 確かに、ここにぼくら以外の人がいたら困るけど。

「どうしたの、急に。」

「なんか、悪いから。」

 突然ゲームが再開された。慌てて画面を見るけれど、変なボタンを押してしまったのか車が豪快にスリップしている。

 レースを立て直し、はるか前を行くかなえの車を追いかける。

「どういうこと。」

「……お母さんと同じ、だから。」

 相変わらず言葉が足りない。

「どこが?」

「かなたをずっと、閉じこめてる、ところ。」

 ゲームに集中しているのか、いつもよりゆっくりな口調。いや、元々かなえはおしゃべりなほうじゃないけど。

 これは、ゲームを終わらせてからのほうがいいか。

 かなえの車の背後に近づきながら、たたみかけるようにアイテムを投げる。それをぜんぶかわして、かなえが先にゴールした。これでぼくの五勝二十敗。つらい。

 ぼくはゲームの電源を切ってかなえに向き直る。さっきの言葉は少しおかしいところがあった。

「『ずっと』って言っても、まだ五日だよ。それにぼくはかなえが家にいる間は自由にしてるし。」

 といっても、外をふらふら歩いたりはないけど。

 ぼくの言葉を聞いて、かなえがしぶしぶゲームの電源を落とす。「でも、」と呟くその目に落ち着きはなかった。不安そうに揺れている。

 これはなにかあったな。

 学校でなにかあったとすれば二日目のあたりか。あの日も元気よく出て行って、授業が終わってすぐくらいに帰ってきていた。

「ぼくに学校に行ってもらいたい理由でもあるの?」

「それは、違う、けど。」

「じゃあどうして? あんなに外に行きたがっていたのに。」

 指を組んだり、足を抱えてみたり、かなえは落ち着きなく動いていた。言葉数が少ない分、彼女は注意深く言葉を選んで喋っている。そのくらいはここ五日でわかった。だから今も、自分の気持ちが一番伝わる言葉を探しているのだ。

 そのうち消え入りそうな声で「家より、ましだから。」と言葉をこぼす。

 家よりは、か。

「じゃあ、学校もとびきりいいってわけじゃないんだ。」

 かなえは静かにうなずいた。そりゃあそうか。母親のことの前に、部活でいじめられてたんだから。

 ……あ、だから。

「部活、行ってないの?」

「……なんで?」

「学校終わってすぐ帰ってきてたでしょ。」

 ぼくがそう指摘すると、かなえはなぜかむっくりとむくれてしまった。

「気がつかなくて、いい。」

「そんなこと言われても。」

 わかりやすいかなえが悪い、とは言わなかった。

 ふてくされたようにそっぽを向いたかなえは、机の上にあったスマホを取り出していじり出してしまった。またゲームか。

 そう思っていたぼくの前に、振り向いたかなえがスマホをかざす。横にされた画面には写真が大写しになっていた。

 二人の女の子の写真。ふたりともセーラー服姿。左胸にお揃いのリボン。背景は中学校の校門で、近くに「卒業式」の看板。

 右側でおずおずと微笑んでいるのはかなえ。その隣で、見知った顔の女の子が黒い筒を持ってにこやかに笑っている。

 声が震えないように注意深く、「これ、誰?」と聞く。

「中学からの友達の、舞(ま)優(ゆ)ちゃん。」

 髪型はちょっと違うけれど、雰囲気は前に会った時と変わらない。凛とした目に、標準的な制服の着こなし。

 ずっと名字で呼んでいたけど。たしかに下の名前は華やかな感じだった。

 佐倉さんとかなえって、友達だったんだ。

 和やかな写真を見せられているのに、どこからか寒気がしてきた。嫌な予感がして顔を上げる。

 かなえは写真に目を落としたままだ。

「クラスは違うけど、同じ部活なの。でも、わたしが行かなくなったから、今頃、独りぼっちだと思う。」

 夏の終わりから、秋になるまで。自分の『影』と過ごした日々が頭の中を駆け巡った。

 黙りこんだ彼女を前に、ぼくは必死に声を出すのをこらえる。

 佐倉さんは、かなえの代わりだったんだ。

 しかもそれを、こいつは気がついてない。佐倉さんのことだから、『由羽』が助けるまで誰にも言えてなかったのかもしれない。

「行かなくちゃいけないとは、思ってる。けど、どうしても、だめで。」

「……友達を一人にしたくないから、ぼくに学校に行けって言うんだね。」

「うん。」

 自分が行くと、またいじめられるから。かなえはなにを言っているのか重々承知のようで、スマホを持った手は小刻みに震えていた。

 ……お前が思っているより、ひどいことになってるよ?

 すべてを喋ってしまいそうになって、唇を噛んだ。

 どんなにかなえにかける言葉を考えても、出てくるのは由羽としての言葉だけ。

 それじゃダメなんだ。だって今のぼくは『影』なんだから。遠夜由羽では、ないんだから。

 ……そうだ。かなえは間違ってなんかいない。自分のいやなことを押しつけるべき存在が目の前にいるんだもの。利用しろって言ったのはぼくで、かなえはその言葉に縋りついてきた。

 いいことじゃないか。これで乗っ取りやすくなる。この状況で、柊かなえの影として、彼女にかける言葉なんて一つしかない。

「わかったよ。ぼくがどうにかする。」

 なるべく明るい声で、顔に笑顔を張り付けて。

 こっちを見たかなえは、びっくりしたように目を見開いていたけれど、すぐにどこか安心したような、ゆるんだ顔になった。

「いいの?」

「もちろん、なんでもやるよ。だってぼくはきみの影だもの。」

 ぼくはかなえの震える手を両手で包んだ。

 いいよ。いくらでも助けてあげる。かなえの望み通りにいじめのことも母親のことも全部解決してあげる。

「厄介ごとは全部片づけてくるから、ちょっと時間をもらうね。かなえはその間、この部屋で待っていて。」

 包んでいた手が片方だけ抜かれて、かなえはぼくの手を握った。

「ありがとう、かなた。」

 臆病な女の子はそう言って、青い顔で笑った。

 だいじょうぶ。君はこの部屋で、ゆっくりゲームでもして待っていてくれればいい。母親のことはもうしばらく煩わしく思うかもしれないけれど、それも少しの我慢だ。


 そのかわり、すべてきれいに片付いたら本当のことを教えてあげよう。全部残らず、真実を告げる探偵みたいに。

 それから、きれいになった「柊かなえ」をもらってあげるからね。

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