第6話 ナディア(三)

 ナディアの母親は、翌日の午後、病院にやってきた。彼女は病院なるところに来たのは初めてらしく、ひどく怯えていた。


「こんな立派なところに......私には医療費を払う余裕なんか無いのに」


「ナディアには住民データがありません。医療費以前に罰金請求の対象になります」


 私は、まず冷静に事態を述べた。罰金が払えなければ、即保護施設に強制的に収容される。


「まず早急にナディアを住民データに登録してください。医療費は、十歳以下の子どもは控除対象ですし、物理的治療を殆ど行っていませんから、高額にはなりません」


 ナディアの母親は、一瞬ほっとした顔を見せたが、すぐに再び顔を曇らせた。


「あの子を住民登録するには、父親の情報がいるのでしょう?」


「不明.....なのですか?」


 違法児童イリーガル-チルドレンにはよくある話だ。が、彼女は首を振った。


「この星にいないだけです....」


 私は、彼女の眼をじっと見つめた。シリウス特有のアクアマリンの瞳......ナディアの父親がシリウスではないのが、わかる。


「彼は、アルクトゥールスの旅行者でしたから......」


 行きずりの相手か、と思ったが、次の瞬間、彼女の瞳の奥にスターシップの爆発が見えた。


「亡くなった......のですね」


 彼女は小さく頷いた。今、同居しているパートナーは、ナディアが純粋なシリウスでないため、ひどく嫌っているという。


「彼は、シリウスでも地位のある人でしたから......」


 シリウス人のパートナーは、スラム街で出逢ったという。ある星の高官だったが、失脚して逃亡したらしい。ナディアに暴行したのもさせたのも、このパートナーらしい。


「ナディアは、母親を必要としています」


 私は言った。


「あなたのパートナーは、あなたを利用しているだけです。過去の地位を利用してあなたから搾取している」 


「わかっています」


 彼女の眼からぽろぽろと涙が零れた。  


「でも、字もわからない私には、彼に頼るより無いんです。この星の人達は、私達を虐げる......」


 私は頭を抱えた。この星の難民には在りすぎるケースだ。けれどこの状態では、ナディアを返すことは出来ないし、かといってナディアを保護施設送りにはしたくない。


「シリウスのコミューンのある街に移住してはどうですか?」


 不意に、Dr. クレインが面会室に現れ、彼女に言った。


「サマナを離れることにはなりますが、ラルーファは海辺の街です。あなたの体にもいい。」


 私は驚いてDr.クレインを見た。ラルーファは、ここから何千キロも離れた街だ。平和で良い街だが遠すぎる。


「近々、私の知人が所用でラルーファに行くので、宜しければ、ナディアとふたりで移住しては?」


 ぼかん......とする私とナディアの母親にDr.クレインはたたみかけるように言った。


「あなたにも数日の入院は必要だ。宜しければ、準備が整うまで入院なさい。職場には、私のスタッフが連絡しておきます」


 彼女は一も二も無く同意し、しばらくナディアとふたり病院の一室で過ごした後、ラルーファへ旅立った。


「先生、ありがとう」


 完治したナディアは笑顔で手を振って去っていった。




「Dr. クレイン、ありがとうございます。...でも、よろしいんですか?」


 私は、彼女達の車を見送ったあと、改めてDr.クレインの執務室に礼を言いに足を運んだ。Dr.クレインは、書類の整理をしながら、事も無げに言った。


「何が?」


「ナディアの事......移民局に手配していただいたんでしょう?......それから、ナディアと母親の医療費も......」


「大したことじゃない」


 Dr. クレインは静かに立ち上がって、窓のほうを見た。


「ナディアの母親に犯罪歴は無いし、エネルギーケアも済んでいるから虐待も無くなるだろう。原因のパートナーから離れたら安定するさ。ラルーファに行けば、もっと良いパートナーもいる」


「ドクター......」


「医療費なんて大した額じゃない。ウチの病棟の研究費で落とせる......シリウスの症例の提供、ということでね」


 軽くウィンクして、ゆっくり彼が歩み寄ってきた。


「アーシー、君のためなら、実に簡単なことだよ。......たまには、ディナーでもしないか?話したいことがある」


 琥珀色の瞳をじっと見返す......が、見えなかったふりをする。


「ルーナのことで何か?」


 Dr. クレインは、ちょっと不機嫌な顔をして、だが思い出したように言った。


「そうだ。ルーナが君に相談があると言っていた。週末に家に来ないか?」


「わかりました。お伺いさせていただくわ」


私は丁寧に答えて、退出した。




 



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