イカロスの蝋人形
ムロ
第1話:雪降る街に
part:1
一週間前から少しずつ雪が降り積もり、寂れた街のターミナル駅の人出は皆無と言ってもいい。
こんな日は車もスタックするので、道路に積もる雪は真上にある太陽の光でほんの少し融けるだけ。
「客も来ないか・・・」
ハンドルに突っ伏して視線は客を探す。無情にも過ぎる時間の流れで、考えはマイナス方向に落ち込んだ。
次々と同僚がリストラされ、金の融通を頼まれたのは昨日も同じ。次は誰がそうなるのかなんて、首を切る方はこれっぽちとも考えていないのだろう。彼らにとっては、高い人件費が恐ろしく安くなるという数字がすべてだ。
自動運転が実用化されると、まずはトラック運転手が削減された。
高性能な人工知能が広まるとこちらの業界にも不安が走ったが、人の経験であったり、サービスが充実できないわりに一台あたりのコストと運賃でのリターンが悪かったようで、自動運転タクシーは広まらなかった。
それより自家用車に高度な自動運転機能が搭載されて、タクシーの需要が落ち込むことの方が現実的な問題だった。
しかし、科学技術の進歩と言う物は恐ろしく。開発途上だった人型ロボットや、用途に適した形のロボットに、高度な人工知能が搭載されるようになった。
たった十数年ほどの事だ。
天才と呼ばれた博士は瞬く間に新しい技術を発表し、それを追いかけてロボットが進化する。
今では、肉体労働を行う二足や四足の歩行ロボットが街中を闊歩し、無人車両やドローンが飛び交って物が運ばれていく。
街中では、人工知能を搭載した端末がサービス業を請け合い、中流家庭の家族としてのペットロボットが当たり前で、服から露出する部分は人と見間違うような人工皮膚を持ったアンドロイドが存在する。
ロボットの中でも高価とは言え、人間と比べれば必要なコストは月と鼈。人間以上に過酷な労働を強いることが出来る。用途に特化させたロボットであれば、なおさらに安く使い潰すことが可能。
電気代と整備代は、人件費よりも安い。その上労働に関する法律にも抵触しないというのであれば、経営者たちは挙って使う。いや、使った。
その結果が、失業率の大幅な上昇とホームレスの増加、貧富の差の拡大。労働者は皆、失業からの路上死超特急に怯え、金持ちは富を新興国に投資し一山を当てて蓄える。
流れを生み出した人工知能研究の第一人者とその家族は、六年前にこの街でリンチされ、むごたらしい殺され方をした。
恨む気持ちは分かるが果たしてそうするべきだったのかは、疑うしかなかった。
周りの人間は皆当然だと言わんばかりだったが、私には大きな疑問になった。
彼とその家族を襲っても、現状は変わらないのに何が利益になったのだろうか。彼らの死は貧困層にとって喜ばれた。彼らにとって悪とも呼べる、感じる存在の産みの親だから。
私には六つになる娘が居る。博士と二歳下の奥方は妊娠していたそうだ。
それを知った時、私は血の気が引くような感覚を持った。事件の起こった六年前の今頃は、雪がひどかったと思う。
▽
「明日は・・・リアの誕生日だったか」
すっかりと頭の中から離れていた。離婚した妻に引き取られた娘と会うことが出来るのは月に一度。今月は彼女の誕生日に合わせて前日の今日にしたが、プレゼントを選んでいない。
こんな私でも、父として慕ってくれる娘に、どうやって顔を合わせたらいいのか。分からない。
生憎の天気だ。駅に人が居ない以上、客を待っても実入りが悪いのは分かる。少し離れたモールに出てぬいぐるみでも見繕うかと考えていると、電車から降りた少しだけの人が出てきた。
地元客は軒なみ迎えの車を待っていて、客を求めて走り出したこちらには見向きもしない。
一人ぐらいは、タクシーを呼ぶ客が居るハズ。待つことを正当化しても、現実はそれをくず箱に捨てる。人間ドライバーのタクシーは初乗り運賃をみただけで逃げられる。
それでも使ってくれるのは、リピーターや金持ちで物好きな人間か、アンドロイドとロボットを嫌う人間。
自動運転が実用化されていない頃は、同じ料金でも馬車馬のように働いたというのに、今や閑古鳥が鳴く。
駅前を通り過ぎるところで、やけに大きな荷物を傍に置く男を見つけた。最後の望みをかけて愛車を減速させる。これがダメだったら、今日は諦めるしかない。
「・・・よし!」思わずシフトレバーから離した右手を握りしめる。
古ぼけた身なりからは人間のタクシーなど望んでいないようにも感じるが、こちらが人間であることに気づいても寄ってきたことを信じるしかない。
「すまない、この街の丘にある墓地に行きたいのだが」
「あいにくですが、人間のタクシーなので運賃は四割ほど高いですよ」
「他には来るのか?」
「天気が天気なんでね。スタックされたら困るから、ロボットのタクシーは出ていませんよ」
ヒドイ誘いをしているということは分かっている。
大きな荷物を持っていて、こちらに友人が居るわけでもなさそうな彼に他の選択肢はないのに。そこで四割増しの料金を提示するなんて、訴えられてもおかしくないことだ。
「金に糸目はつけない。目的地まで、確実に連れて行ってくれるなら」
「人間のドライバーは信用しない方がいいですよ、お客さん」
観光地のドライバーは、客に土地勘がないことをいいことに遠回りして代金を嵩まししたりする。ひどいところでは、目的地を勝手に変えたり法外な値段をしれっと提示することがある。だからこそ廃れていく。
ロボットのタクシーは人に逆らわない。人に不利益を被らせるようなルートを選ばない。
「問題ない」
男はタクシーに近寄ってくる。その表情には変化というものが感じられなかった。
「それではお荷物を」
「いい。傍に置いておきたい」
降り積もった雪に沈み込む紺のトランクケースは、かなり大きい。幅が広いし高さと深さもある、それはただのトランクケースというよりは、仕事道具と着替えを全て詰め込んでいるのではないだろうか。
「それではお隣に置かせていただき・・・っ!」
後部座席にその荷物を入れようと持ち上げた瞬間、落としそうになった。
「すまない、先に言っておくべきだった。俺が乗せるから、運転席に戻ってくれ」
「お役に立てなくて」
「いや、俺もパワーアシストなしには持てないんだ」
パーマのかかった短髪の男はコートの袖を引っ張り、簡易外骨格に包まれた右腕を見せてきた。なるほど。紺のコートから右足に見えたのは、重量物を持つ右手と繋がったパワーアシストの脚部部分だ。
「こんな時期によくこちらに」
観光に来るような時期ではない。彼は墓地に行きたいと言った。大事な人の墓参りか。見たところ、姿かたちは東洋人に思える。遠い土地から墓参りするには余りにも時期が悪かった。
「・・・兄の命日なんだ」
「しかし丘の方の墓地は除雪も進んでいませんよ?」
命日だから。とても立派なことだ。兄弟仲もよかったのだろう。遠い土地で、言葉も英語と拙いこちらの言葉でコミュニケーションを取ってくる。
「墓参りに来たという形だけでもやりたいんでね」
男は、後部座席の右側シートベルトでトランクを固定すると自分は左に座る。シートベルトが閉まった音を聞いて、私はエンジンを掛けた。
「なるほど」
路面は滑りやすく気を抜けない。
何十年もこの仕事をやっていれば適度なアクセルとブレーキで目的地に最速で向かえる。ロボットのタクシーに負けないのはあらゆる状況に対応出来ること。
今じゃロボットは、下手な人間よりも会話が上手でルート選択の精度も良くなっている。比べられなくなる時代も近い。それは我々が、だ。
▽
「しかしすごい大荷物ですね」
静まり返った車内に私の声が小さく響く。
「・・・自分でも重すぎると思っている」
客は相変わらずぶっきらぼうに、窓の外を眺めている。
トランクケースからガタリと音がなったような気がしたが、車の上に乗っていた雪が落ちたか。
「まるで人が入っているみたいだ」
トランクケースを片手で持った時、娘を両手で抱えたぐらいの重量があった。これだけの大きさがあれば、小柄な人間は膝を折って入る。
ちらりと見た安っぽいサスペンスで鞄に死体が入っているのをみたせいか、冗談のつもりでおどけてみた。
客の、気だるげな眼がこちらを睨む。三白眼と目の下の隈が相まって生気を失っているかのようだ。
「・・・そんなものだ」
「え?」
思わずバックミラーで客の顔を見てしまった。
「さて、どうだかな」
返答を聞いておっかなびっくりな私の様子を見て、男は面白そうに少しだけ表情を緩めて笑った。からかわれていたらしい。
「怖いこと言わないでくださいよ」
交差点に止まる。以前はとても賑わった市場は寂れ切り、雪のせいもあってか全く人出がない。反対の繁華街だった方向を見て私はため息をつく。
「・・・またか」
「また?」
私の眺めていた方向に気づいた客は納得のいった息をした。この辺りではもう珍しくなった中間層ぐらいの格好の幼い少女を、ホームレスたちが乱暴していた。こういったいざこざ自体は珍しくもない。
「今の世の中じゃあ、よくあることですよ」
大きな街ほどではないが、この街の失業率もかなり高い。信号で止まっているこの辺りは繁華街だったが、裏に回ればバラックやホームレスが立ち並んでいる吹きダメになった。私もいつかあちらに行くだろうが、それは明日かもしれない。
止めようだなんて思えない。どうせあちら側になるのは分かっているのだから、一瞬の正義感に身を躍らし、問題を起こしてクビになるなんて御免被るのだ。
「停めてくれ」
「お客さん、悪いことは言わないからやめておきなさい」
この辺りのヤツラは銃だって持つし、人生が終わったことも自覚しているから人を殺すことに戸惑いがない。ましてやこの天気で皆陰鬱として殺気立っている。
「すぐに片付ける。ここまでの代金はこれを渡しておくから、終わるまで待っていてくれ」
「ちょっとお客さん!」
座席の間に紙幣を置いた客は、トランクを持って向こうに歩く。その背中を追った視線を下に向けると、目を見開いた。
明らかに多いじゃないか。これじゃあ目的地までの料金と変わらない!
紙幣は置いて、一先ず窓の先で巻き起こることを注視する。
何故だろう。雪に包まれた街の中で目の前で起きている騒ぎが耳によく届いた。
「死に晒せ!」
一人のホームレスが傍で睨んでいた客に向かって突っ込む。どんなやり取りがあったのか、手元にはナイフがある。
ボケボケとした胡散臭い男に見える彼は、自分に向けられたその害意も気に留めずトランクケースを目の前に放り投げ、少しだけ声を荒げた。
「サクラ、やれ!」
トランクケースの中から何かが飛び出した。
影は一瞬でホームレスが持っていたナイフを吹っ飛ばして、客の傍に戻る。
「用件は?」
雪の中に、あまりにも美しい影が立った。
白い雪の残る街角に黒い服。やけに彩度の高い色の髪は短く纏まっている。鈴を鳴らすような声。どこか生気を感じさせない。この世のモノとは思えないほどに美しく整った背格好。
それは少女だった。
名前と同じ薄い色のショートカットは人形のよう、なんて月並みな言葉しかない。
「主、用件はないのですか」
少女が古ぼけたコートに振り返った時に見えた顔つきの先端までも、整っていた。
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