第3話:来たる日に向けての準備は怠れない。

 やはり同棲するときに、まず挨拶に行くべきだっただろうか。

 仕事中にも関わらず、俺は心此処に在らずと、ぼーっとパソコン画面を眺めながら考えていた。

 昨日、不安が募りに募って、七葉に少しばかり情けない所を見せてしまった。それでも彼女は受け止めてくれた。


 ——だが、不安は拭い切れなかった。


 ネットを見れば見るほど、不安は膨大に膨れ上がっていくばかり。見なければよかったと後悔したって遅かった。寧ろ、気になりすぎて色んなことを調べ上げてしまったまである。


 調べた事によると、同棲に挨拶はいらないとかいるとか、どっちつかずの回答がたくさん載っており、親は挨拶に来てほしいという回答が多く見られたと書かれていたものを見つけた時は心臓が跳ねた。


 そもそも俺達の関係は歪で、付き合う前から住んで居たんだから、同棲ではなくて……いや、でも七葉は同棲と言っていたし……いやいや、シェアハウスであって、あくまで同居だ。


 付き合うようになってやっと同棲となるはず。

 ならば、付き合った時に挨拶するべきだったか? だが、付き合って早々に同棲とかお前は舐めてんのかと言われて門前払いされそう。


 だからと言って、今さら行って、挨拶したところで開口一番にお前に私の娘はやらんとか言って、門前払いされそう……。詰みじゃん。


 いやいやいや! 俺はめげない。七葉と結婚したいから、そんなんで諦めてたまるものか。


「ちょ、佐伯先輩、うるさい。さっきから何ぼそぼそ喋ってんですか? 暑さにやられて頭おかしくなったんですか?」

「え? 俺口に出してた?」


 思わず口を塞いだ。


「挨拶がなんとか、結婚したいとか、ぼそぼそと」

「す、すまんな。もうすぐ七葉の家に挨拶というか、招かれてるもんで……色々心配で」

「へぇ、進んでますね。挨拶かぁ……緊張しますよねぇ」


 そういえば、祐介は蓮水と同棲を始めたんだよな? その時はどうしたか聞けばいいじゃないか! 俺ってば、天才!


「祐介は、蓮水と同棲するとき蓮水の両親に挨拶したか?」

「してないですね」

「なんでしないの?」


「何でって、結婚したいのは当然ですけど、まだ早くないですか? 雫だって考えがあるだろうし、挨拶=結婚みたいなイメージついちゃいません? 同棲するから結婚するってよくある事かもしれないですけど、ほら、佐伯先輩はその辺一番分かってるんじゃないですか?」


 俺が? ……あぁ、そう言えばあったわ。そんな事。

 あの時は、結婚するつもりで同棲を始めたから、挨拶しておこうとなったんだった。でも、沙也加はしなくていいと言っていた。それは何故か、今になってやっと理解できた気がした。


「相手に自分の理想を押し付けるのも良くないって事か。祐介が言ってるのは」


 相変わらず祐介は分かりにくい言い方するな。


「まあそんなとこっすね。自分だけがその気持ちの場合、辛くないっすか? じゃあこの同棲は何だろうって考えちゃうし」

「常に一緒に居たいからだろ」


「雫の場合はそうだと思います。本当に家だとデレデレ。まじで可愛い」

「急に惚気るな」


「すんません。でも、佐伯先輩たちってちょっと変な関係だったじゃないですか? 花宮先輩の実家に行くなら、ありのまま話せばいいじゃないっすかね? 変に回りくどい言い方すると余計ダメな気がしますし、佐伯先輩には似合わないですよ」


 お前ってやつは、本当にしっかりして良い奴だな。


「祐介、ありがとう」


 精一杯の感謝の笑顔でそう伝えると、

「うげっ、なんか無理……」


 身を引いて、俺から距離を取った。


「ひでぇなお前……」


 咳払いをし、俺は話を続ける。仕事中なのにも関わらず。


「服装とかどうすればいいんだろうか?」


 ネットには、派手な服装や、だらしのない格好はNGと書いてあった。ならどんな格好ならいいのだと思い、更に検索すると、白のシャツとか、襟のあるものが好ましいらしい。

だけど、よく考えてほしい。今は夏だ。こんな暑苦しい季節にTシャツ以外の選択肢とかあるの? シャツとか暑くない? 袖まくるの禁止でしょ? 無理じゃん!


「ネットで調べればいいじゃないですか」

「調べても分からんから聞いてるんだよ」

「佐伯先輩って意外とポンコツですね」

「悪かったな」


 カラカラと音を立てて、離れた距離を詰めて、戻ってきた祐介。


「清潔感のある服ですよ。例えばポロシャツとかなら、この季節でも対応できません?」

「お前天才か!!」


 つい、会社である事を忘れ、大きな声を出してしまった。


「佐伯ーうるさいぞー。口動かしてないで手を動かせー」


 関谷さんに怒られてしまった。「はい、すいませーん」と立ち上がって、同僚に軽く会釈をして、頭を下げた。


 その時、視界に入った七葉は、くすくすと笑っていた。

 眼鏡姿も可愛い。家で毎日見ているけれど。


 今日はコンタクトが切れてしまったらしいので、眼鏡をかけている。周りの男の視線は七葉の眼鏡姿に釘付けだったので、早くコンタクトに戻してほしい所。


「で、ポロシャツの色なんだが……」

「めんどくさっ! そんくらい自分で考えてくださいよ」


「そんなこと言うなよぉ、コーヒー、一週間買ってやるからよぉ」

「マジっすか? 朝と昼でいいですか?」


「もちろんだ。祐介の好きな贅沢微糖だ」

「じゃあ協力しましょう。今日、仕事終わり時間ありますか?」


「もちろん」


 七葉は今日切らしたコンタクトを買いに行くと言っていたので、あとで昼に俺も用事ができたと言えばいいだろう。


「買いに行きましょう」

「お願いしますっ! 師匠!」


 ビシッと敬礼をした。


「佐伯ー、いい加減にしないと仕事増やすぞー」

「すいません」


 またもや怒られたので、ここらで仕事に戻ることに。


「じゃあ昼にまた花宮家訪問会議を行いましょう!」

「(らじゃ)」


 関谷さんに聞こえない声で、呟いた。





****





「では、会議を始めます」

「お願いします」


 社員食堂で、祐介と作戦会議。

 師匠は堂々とした面持ちで、質問を投げかけてきた。


「まず、親に挨拶と言えば、なんだと思いますか?」

「はい。手土産です」

「ちがぁう!」

「はい! すみません!」


 初っ端から答えは違ったらしい。怒られてしまった。


「では、何ですか?」

「第一印象……だと、思いますね」


 なんだか確信が持てないような言い方だなおい。やるならちゃんと貫き通せよ師匠。


「やはり、身なりですか」

「そうです。まずその頭を何とかしてください。見るに堪えないです」


 俺の頭に指を差し、不快な顔を浮かべられる。……そんなに俺の髪型ひどい?


「どうすれば……?」

「美容院に行ってカットですよ。そんな事も分からないんですか。しっかりしてください。本当にあなたは年上で、先輩なんですか? この先、不安ですよ」


 辛辣っ!


「確かに髪の毛の量がすごいけど、そんなにひどいかな? まだ切らなくても俺的には良いレベルなんだけど?」

「甘いっ! 甘すぎるよ佐伯先輩! な、雫もそう思うよな?」


 勿論の事だが、社員食堂には蓮水もいるし、七葉もいる。お昼は基本的に四人で食べているのだ。


 蓮水は私に振らないでよと言いたげな表情をしていたが、ちゃんと答えてくれるらしい。


「確かに毛量がすごいけど、そんなに気になりませんよ。ね、なな先輩?」

「えっ、あ、私ですか!? うーん、まあ、そうですかね……」


 ちょっと七葉さん? その切って欲しそうなまなこでこちらを見るのはよろしくなくてよ?


「というか、さっき仕事中に話してたのは、この事なんですか?」

「ま、まあな。ある程度の準備は必要だと思ったからな」


「私、昨日言いましたよ? 柊なら大丈夫って」

「それはそうなんだけど、やっぱり身なりは大事じゃん? ほら、こうやって祐介に指摘されるまで、髪型の事なんて考えてなかったし……服装だって、どうすればいいのかわからんし……」


「確かに髪の毛は切って欲しいです。見てるこっちが鬱陶しく思いますし……」


 ちらちらと俺の髪を見て言うのやめてもらえませんか? というかそう思っていたなら、早く言ってくださいよ……。


 すると、んっんーと祐介が喉を鳴らし、ストップをかけてきた。


「とりあえず髪の毛は今日でどうこうできるわけではないので、美容院を予約して、切ってきてください。量を減らして、整えてもらえれば大丈夫です。で、本題は、ポロシャツですよね?」

「そうそう。色な! 色をどうするかだよな!」


「花宮先輩的に、実家に来る佐伯先輩の格好がポロシャツでも問題はないですか?」

「そうですね……実際、柊は何でも似合うと思いますよ。かっこい——」


「あ、惚気とかいいんで」


 手を前に出して、七葉の言葉を遮った。

 それを見た七葉は、ぷんぷんと頬を膨らませていた。


 そして蓮水はくすくすと笑っている。

 こいつら、二人して自分の立場分かってんのか?


「問題がないのであれば、ポロシャツでいいでしょう」


「私達は結婚の挨拶に行くわけでもないので、それほど気を遣わなくてもいいと私は思ってます。現に、柊の実家に行ったとき、私は普通の格好でしたし。まあ少しだけ不安でしたけど、自分が思っているより、意外と皆さん気にしてませんでした」


 七葉も当日、すごく服に悩んでいた。

 それに対して、俺は大丈夫、大丈夫。似合ってるよとしか言ってなかった気がする。今こうして日が近づくにつれて、彼女の苦悩が身に染みて分かる。

 あの時の俺の言動は間違っていた。

 もっと真剣に話を聞き、服選びをちゃんと付き合うべきだったと思う。過ぎた事を気にしたって仕方がないけど、申し訳ないと思った。


「ごめんね。七葉の言ってたことがやっとわかったよ……」

「いいですよ。もう終わった事ですし、柊は褒めてくれたので嬉しかったですよ?」


「そうか。今日も可愛いよ七葉」

「もうっ、恥ずかしいからやめてくださいっ」


 恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうな顔をして、ぺしんと肩を叩かれた。


「先輩たちっていつも家でそんなことしてんですか? 高校生みたいですね」

「まじでバカップルじゃないですかぁ」


 まるで後輩二人からの視線は、ごみを見るような目だった。


「ごほんっ、話が逸れたな」

「まあ見過ごしてあげますよ。いつも俺も惚気聞いてもらってばっかなんで」


「ちょっと祐介!? あんた変な事言ってないでしょうね!?」

「言ってないよ。雫が可愛いってことくらいしか」

「……ありがと……祐介もかっこいいよ」



「お前らさ、バカみたいだぞ」

「柊、そんなこと言っちゃいけませんよ。彼らだって彼らの世界があるんですから、そっとしておいてあげましょう」


「「ぐはっ!」」


 七葉の言葉が効いたのか、二人は腹にパンチを食らったみたいに屈みこんだ。


「……まあまあお互い様ですよね?」


「んで、服の色なんだが……」

「色をどうこうより、買いに行って、実際に着てみた方が早くないですか? 似合う似合わないもあると思いますし」


 蓮水の言う事は一理あった。

 俺はそもそもポロシャツなんて持ち合わせていない。

 自分に合った色もよく分からないし、ポロシャツの下ってなに履くんだ? それすら分らない。祐介に一緒に来てもらう予定だったし、一人の意見より二人の意見の方が確かに良さそうだ。


「蓮水よ」

「はい、何ですか?」

「今日、祐介と買いに行くつもりだったんだけど、蓮水も来ないか?」

「行きます!」


 やけに食い気味だな。

 だがまあいい。人が多いに越したことはない。女性の意見は大事だ。


「柊……」


 ちょんちょんと肩を突かれ、横を見た。


「(私も行きたいです……)」


 なぜ小声。


「(今日コンタクト買いに行くんじゃなかったの?)」


 なぜか俺もこしょこしょと話す。


「(コンタクトならいつでも買えます。眼鏡ありますし)」

「(なら一緒に行こうか)」

「はい!」


 嬉しそうな満面の笑みは良いのだが、急に耳元で大声出さないでくれ……びっくりちゃっただろ。


 そして、腕を絡めてくる。


「私も行きまーす!」


 意気揚々と声を弾ませ、片手を挙げた。


「この人たち、周り見えてないよな?」

「だよね? ここ会社だよ? 他の社員いるよ?」


 ……なんだか、周りの視線が俺の色んな所に突き刺さる。それは男の視線と分かるくらいに。殺意だよ。完全に殺意を向けられている。


「(ちょっと七葉、ここ会社!)」

「もういいじゃないですか! 結婚するって言いましょ?」


「「は?」」


 七葉の言葉で、周りが一気に凍りついたことは言わなくても分かるだろう。


 俺は「あはははー」と誤魔化すことしかできなかった。


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