第4話:素直になれないから、寝ている時に。

「雫、開けてくれ」


 インターホンに出ると、息を切らして肩を揺らしている山田が立っていた。

 エントランスの解錠ボタンを押し、彼を招き入れる。

 そして一分も掛からないうちに、玄関の扉は開いた。

 まるで鍵が開いてる事を知っていたかのように、私の名前を呼びながら家に入って来た。

 いつもは苗字で呼ぶ癖に、こういう時ばっかり名前で呼んじゃってさ……ずるいよ。

 ドタドタと大きい足音をたてながらリビングに駆けつけた彼は、私を見るなりゆっくりな足取りに変わる。


「ごめん」


 そう一言だけ、私の前に立った彼は謝った。

 電気もついていない、薄暗い部屋の中で。その一言だけ。

 彼の手を取り、ソファーに座らせる。

 その隣に私も腰を下ろした。


「負けちゃった……」

「うん」

「私……負けちゃったよぉ……」


 やっとの思いで止まった涙も、山田のせいで決壊し、あふれ出して止まる事を知らない。

 顔を手で覆い、わんわんと子供みたいに泣いていると、腕を引っ張られ、山田のぬくもりに包まれた。


「分かってた。こうなるって分かっていたんだ。それをさせたのは俺なのに……こんなことしかしてやれなくて……ごめんっ」


 その優しさが今の私にはすごくありがたくて……余計に涙が出てしまう。こんなことじゃないよ……ばかぁ。


 きゅっと力を込められ、それに縋るように私も彼を求めて強く抱きつき返した。服を掴んで顔を山田の胸に押し付けて、泣き散らした。

 彼の胸は暖かくて、何度も何度も頭を優しく撫でてくれて。


 ……あの日してくれなかったことを。


 私はどこかで知っていた。理解していた。こうなる結末を。

 強がって負ける気はないと言ったけど、内心はその時点で負けていたのだ。いつだって口先だけで、思い切った行動をしてその気になっているだけ。


 結局、逃げてばっか。

 返事はいらないとか、私から振ってやったとか、自己保身に走って、強がって逃げて……こうしていつも都合のいいように山田に頼って、縋って。

 身勝手な自分に嫌気が差す。


 やっと来たチャンスなのに、神様は私の味方をしてくれなかった。その幸を与えたのは私じゃなかった。

 ……これだってそう、自分のせいなのに、他に八つ当たりして神様がとか、関係も存在もしないものに責任転換しているだけで、本当に自分が情けない。くそやろうにもほどがある。

 タイミングが合えば私だったかもなんて、ありもしない過ぎたことを願ったって意味すらない。全て後の祭りで、もう何をしたって手遅れなんだ。……馬鹿みたい。

 私の運命の人は先輩じゃないと、隣にいるのは私じゃないと、そう現実を突きつけられ、振られた。



 ———分かってる。最初から負けていたことくらい。





*****





 寝てしまった。

 泣き疲れた子供のように、目をぱんぱんに腫らして。

 感情の大放流。涙で俺のシャツとズボンは雨に打たれたかのようにびしょ濡れ。

 彼女の寝顔を見ると、さっきまで泣きじゃくってたのが、嘘みたいに気持ちよさそうに深く眠っている。

 なんだか笑えて来てしまう。

 込み上げてくる笑いを堪えきれず、ふっと笑みが零れてしまった。

 嫌な意味で笑ったわけではなく、ただ何時しかもあったなって。あの時、泣き終わって言った言葉が「泣いたらお腹空いた」だもんな。


「可愛い奴だな……まったく」


 子供というより赤ちゃんっみたいだ。

 頭を撫でてやると、うぅっと身を捩って唸る。まさか自分がこんな風に彼女を慰める立場になるとは、入社当初は想像もしていなかった。

 蓮水が寝ているのに、聞いていないことをいい理由に、俺は気持ちを吐露する。


「初めて会った日を覚えてるか?

 俺もお前もまだ大学生感が抜けきってない頃、こんな風に髪の毛も染めてなくて、この日の為に染めて来ましたよと言わんばかりに黒々しかった二年前。


 同期と馴染めなかった俺に唯一話しかけてきたのが、お前だったんだよなぁ。

 他にも同性の同期がいるのに、輪に入ってなかった俺に声を掛けてくれたんだよな。正直、あの時はときめいた。好きになりかけたわ……今は好きなんだけどさ。

 まあ本性を知ってからは、そのときめきも無くなって、あざとい女に格下げしたのはここだけの話。……すまん、冗談だ。


 いつからだろうな。お前が好きって気付いたのは。

 つい最近か? って聞かれても知らんわな。

 思い返せば、無意識に蓮水の言うことはいつも聞いていた気がするよ。だからそれもお前のことが好きだったからかもしれないな。

 ずっと前から……いや、初めて会ったあの日、話掛けてくれた時から好きだったのかもしれない。

 ははは……ちょろいわ、俺。


 好きな子にちょっかいかけたくなるってよく言うけど、多分、俺似たようなことしてた。蓮水だけには口悪くてさ、わざとやってたかも。だけどそれは本心で、今こそちゃんとしないといけないのに、こうして聞いていないのを分かってて話してる。せこいなぁホントに。

 何もしてやれなくてごめんな。

 それに振られてどこか喜んでる自分がいる。人の不幸なのに、最低だ。

 ……でもごめん、好きだからこの気持ち止められそうにない。


 ————なぁ、雫。俺じゃダメか?」






******





 知らぬ間に寝てしまっていたようだ。

 記憶が曖昧で……いつ寝たかさえ覚えていない……なんで私はベッドで寝ているのだろう。

 寝ぼけてハッキリしない思考をフル回転させようとも、エンジンがかからないガス欠状態のようにプスプスと煙を上げる。

 今、現状で分かるのは、自分の部屋ということくらい。


「ゆう……すけ、どこ? ……ゆうすけ……」


 急に寂寥感に苛まれ、彼の名前をぽつりと無意識に口ずさんでしまう。


 ……でも、私の声に反応はなくて。

 自然と涙がぽろぽろと零れてくる。

 その涙を拭こうとした時に、自分の手が握られてる事にようやく気付いた。視界が段々と暗闇に慣れてきて、彼の姿を確認でき、また泣いてしまった。

 彼の手が自分の手を握ってくれている。祐介は上半身をベッドに委ねて、静かに寝ていた。


 ここまで運んでくれたのは他でもない祐介で、それなのにこんな体勢で寝て、力の入ってない手で寝ながらも握ってくれていて……。


「祐介、起きて?」

「んー」

「こっちおいで」

「うんー」


 のっそりと顔を上げて、目も開かずに怠そうにベッドへと潜り込んだ。

 そしてすぐに寝息を立ててしまった。


「ごめんね……」

「んー」


 寝ているのにも関わらず、曖昧に返事を返してくれる。

 なんで。なんでそんなに私に優しくしてくれるの? 私……あなたに何もしていないのに……。


 だめだと分かっていても、甘えてしまう。

 今日だけ、今日だけでいいからあなたに甘えさせてほしい。もうしないから、約束するから……祐介の腕の中に行かせて? さっきみたいに抱きしめてほしい。縋らしてほしい、今だけだから……。


「ねぇ……ぎゅってして……」

「……ん」


 そう言うと彼はへろへろと腕を広げてくれた。もぞもぞと動いて私は腕の中へと収まる。

 暖かい、人の温もりがこんなにも心地がいいのだと実感した。


『何があってもすぐに行くから』


 あの時の言葉はこういう事だったのと今さら気付いた。だから分かってたって……水族館に居た時から知ってたんだね。


 ビリフレ……か。まさか自分がされる側とは想像だにしなかったけど。

 祐介は私の為に色々と気を遣ってくれていたんだ。佐伯先輩が戻ってきたのも、全部彼が見越して起こした行動だったんだと。

 ずるいよ……こんなの……。

 でも……。


「ありがとう、祐介」


 寝ていて聞こえない彼に伝え、そっと抱きついて私は目を閉じた。





****






 そして、あの日から私は何事もなかったかのように、一か月と十日という長い時間を過ごしてきた——と言いたいです。

 無理でした。

 あんなに優しくされて、抱きしめてくれて、頭を撫でてくれたら……ね? 


 祐介を見るたびにあの時を思い出してしまって、顔が赤くなりそうになる。もちろん必死こいて我慢している。


 好きって伝えたいけど、すぐに気持ちが変わってしまった事に対して、なんて思われるか分からない。 


 あいつのことだから、そもそも絶対信じてくれない。

 誰かに優しくされたら好きになんのかよって鼻で笑われそうだし、嫌われそうで言えない。だから私はいつも通りの私を演じている。


 私は単純だから仕方がないと言えば、仕方がないのだ。

 気持ちの切り替えとして、髪の毛もバッサリと切った。……まあこれは建前でそう言ってるだけなんだけど。本当は祐介の好みの髪型にしたという……ほら、単純でしょ? 


 ——素直になりたいけど、怖くてなれない。


「蓮水先輩って、彼氏いないんですか?」


 毎朝の日課、祐介の席で寝ようとしていた時、最近配属された藤堂くんに声を掛けられた。


 私はこの子が苦手。女の勘ってやつだ。なんか嫌な感じが拭えない。女の人の落とし方を知っているかのような感じが。

 なるべく話さないようにしているんだけど、直接こう話しかけられてしまった手前、無視はできなかった。

 彼は祐介のデスク正面からこちらを見下ろすように私を見ていた。


「いないよ」

「じゃあ俺とデートしてくださいよ」


 この取って付けたような笑顔、自信が満ち溢れた顔が苦手。

 多分、今まで失敗したことがないんだろうな。自分の会社がある、跡取りだという自負、顔もそれなりに整っていてかっこいいと自分で分かっている。まあ祐介ほどの顔ではないけど。……って何言ってるんだろう。


「ごめん、無理」

「なんでですか? 僕めっちゃ先輩タイプなんですよ。それに僕からのデートを誘ってるんですよ? 断る理由がよくわからないです」


 うっざ。


「あなたがそうだからって私もそうとはならない。価値観押し付けないでくれるかな?」

「山田先輩ですか? 確かにかっこいいですよね、アイドルみたいで。でも、僕ですよ?」

「だったら何? 私は興味ないって言ってるんだけど?」

「結局、蓮水先輩も面食いか。いや、でも僕には興味ないんだよね。なんか、負けてるみたいで嫌だなぁ」

「何も知らないくせに調子に乗らないで。鏡見てきたら?」

「どっちが調子に乗ってるんだろうね? 僕が誰か分かって言ってんの?」


 あたかも自分に権力があるみたいに言うけど、あるのはお父さんであって、お前じゃない。

 あれだけいい印象を与える挨拶をしていたのは、演技ってことね。本性はナルシストのクズか。


「一番下っ端の親の七光りじゃない?」

「言ってくれますね……僕ね、自分が欲しいと思ったものは、力ずくでも手に入れたいんですよねぇ。言ってる意味わかるよねぇ?」


 ニタニタと笑って、ぞくりと身の毛がよだつ声音に、私はビクッと震えてしまった。


「あれ、めずらしいな。蓮水が起きてる」

「よっ、雫。おはよ」

「……おはよ」

「おはようございます」


 ……良かった。先輩と祐介が来たおかげで何とか逃げれそう。


 私の前に背を向けて立った祐介は鞄を机に置いた。

 正面にいた藤堂くんが見えなくなり、少し安心する。

 そして祐介のスーツの裾を摘まんだ。


「どうした? なんか震えてないか?」


 祐介は目線を合わせるよう振り返って前屈みになり、私のおでこを触ってきた。


「熱はないな。……どうした? ……もしかして藤堂になんか言われたか?」


 ぼそっと耳打ちをして、私は返事をせずに首肯だけを返す。祐介はまるで彼のことを知っているかのように。


「そうか、じゃあ明日からはこの席に来るな。分かったか?」

「……うん」

「もうデスクに戻りな?」

「あのさ……ううん。何でもない」


 そう言って立ち上がり、正面に立つ彼とは視線を合わせないように俯きながらデスクへと戻ろうとしたら——


「雫、これな」


 連絡して来いと藤堂君には見えない位置でスマホを見せてきた。


「うん!」




 もう……だめ、好き。


 





*********






 あとがき。


 こんばんは、えぐちです。


 今日は少しだけここで御報告を。


 最近、更新が遅くなっていてすいません。

 これは2作品書き始めたからとかではなく、ただ僕自身が来週末に結婚式を控えているので、なかなか準備で時間が取れないからです。

 最近おせぇなぁああ! って思ってる方がいるかもしれないので、いえ、思ってて下さい。

 なのでここで報告させてもらう形を取らさせて頂きました。


 この土日もやらないといけないことがたくさんあり、てんやわんやです。

 次回更新はいつになるかもわかりません。

 なるべく頑張りますが、書いていると嫁が「また書いてんのかよ」と怖いんで、こっそりと投稿するようにしますね!笑

 結婚式が終わったら、いつも通りに戻れるはずです! だから暫くは合間を見て更新していきますので、ゆっくりになります。よろしくお願いします。



 では、この辺で。


 

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