第6話:『好き』ってこういう事。

「荷物に忘れ物はございませんか? 歯ブラシ持ちました?」


 仕事が終わり、荷物を取りに来た佐伯君は大きめのキャリーケースを自室から運び出してきた。

 靴を履いている佐伯君に、後ろから声を掛け、まるで旅行に行く子供を見送る母みたい。


 外には、会社から一緒に着いて来た蓮水さんが待っているらしく、昨晩、予め荷物を纏めといたらしい。


「花宮さん、お母さんみたいですよ」

「そうですね、今は柊のお母さん気分です」


 別に呼ばなくてもいい名前を呼ぶ。こうやって名前を呼ぶのは私だけ。あの日以降、彼は私の名前を呼ばなくなった。

 それでも尚、私は彼の名前を呼び続けている。意味もなく。


「では、お母さん。行ってきます」


 軽口を叩き、手を振ってくれた。


「はい……行ってらっしゃい。気を付けてね……」


 ゆっくりと閉まる扉越しに見える彼の背中。

 段々と見えなくなっていく。

 カチャンッ。

 閉まった扉をただひたすら眺めて、大きくため息をついた。


「何やってるんだろう、私」


 後ろ髪を引かれるように、リビングへと戻る。

 ソファーに座り、パタリと横になった。


「山田君はいつ来るんだろう。ご飯の準備もしないと……」


 体はそれを拒否するように重く、動かない。


「はぁ……」


 またため息だ。今日は一体どうしちゃったのだろうか。寂しいのかな? いつもは二人だったから、それに佐伯君が来る前から二人だったから。突然に一人になったから。このどこにあるか分からない感情は、ずっと家には誰かがいたから、理解できないのかもしれない。


 そんな事を考えていると、スマホがピコンっと音を上げる。

 机に置いてあったスマホを取り、確認すると山田君からだった。


『もう着きます』


 簡素なメール。

 色もなく、感情もない、ただの連絡。無機質なメールだった。


『わかり——』


 と、そこまで打ち込んだ所で、ドアホンがなり、誰かが来たことを教えてくれたので、移動し通話ボタンを押す。


「はい」

『あ、山田です』

「今開けますね」


 玄関に行き、扉を開け山田君を招き入れると、よっこいしょ声を出して、大きなリュックを下ろした。


「こんばんは。今日から一週間よろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」





*****





 蓮水の家までは、会社から三駅行った所にあるらしい。この荷物で電車は嫌なので、車で行くことにした。


 蓮水には助手席に乗ってもらい、後部座席へと置いて運転席へと座る。


「特等席だぁ! 先輩の横に座れるなんて嬉しい、えへへへ」

「別に特等席じゃないぞ? 花宮さんも乗ってるし、祐介も乗ってる」

「もう! そうゆうのは、言っちゃダメなんですよ! せっかくの気持ちが台無しですよ」


 なんだこいつめんどくさ。


「んじゃ、行くか」

「ラジャーでーす!」


 あざとく敬礼しながらウインクをする蓮水は完全に狙ってやってるのが、目に見えて分かってしまう。可愛いよ、間違いなく可愛いんだよ。でもね、俺には通用しないからごめんね? 


 そして走り始める事、五分。

 先ほどまで、鼻歌を歌っていた彼女は、急に思い出したかのように一つの質問を投げかけていた。


「私の事、どう思ってますか?」

「なっ、なんだよ……」

「いいから」


 どう思ってるか……、それは好きと言われたから意識しているかな。一人の女性として、見るようにはなった。ただの後輩ではなく、女として。


「可愛い女の子?」

「なんで疑問形!? 言い切ってくださいよ! でもそっか。嬉しいです。昇進しましたね!」

「何から?」

「ただの後輩」

「分かってたんだ……でも、変わった。印象、目に見える蓮水を違う視点で見るようにはなったかも」


 そう言うと、彼女はバッと手で胸と下半身をい隠す。

 いや、そうじゃなくてだな……。逆に隠している脚がエロくてそういう視線で見ちゃうだろ、その内股やめろ。


「いくら好きだからってそんな簡単に寝ませんからね!?」

「そういう意味じゃないから……」


 確かに、綺麗な脚だし、細いし、顔も可愛いし、ポニーテールも似合ってるし、完璧だからそういう目で見てくる輩は多いだろうけど、俺はそんなんじゃないから。


 こんな容姿端麗な子が俺の事を好きだなんて、誰が考えるか。平々凡々な俺だぞ。祐介ならまだしも俺だぞ。


「それはいい方向として捉えておきますね」

「いいんじゃねーのそれで」

「なんでそんな適当なんですかぁ!」

「こういう性格なんだよ」

「逃げないでください」

「意識してる」

「へっ!?」

「じゃ、この話は終わり。コンビニ入りまぁーす!」


 無理矢理、話を終わらせようとしたのがまずかったのか、蓮水は俺の耳元まで顔を近づけてきた。


「じゃあ————たくさんイチャイチャしましょうね?」


 甘い声で囁く。


「ちょ、イマチュウシャチュムニダカラ!」


 なんか韓国語みたくなちゃっただろ! やめとけそういうのは!


「顔赤くしちゃってぇ。そういうとろが好きなんですけどね。可愛いですよっ先輩っ」


 無事、駐車を終え、車から降りる。

 火照った顔が、冷めていく。

 これからの一週間、心臓持つかしら……。





****





 佐伯君を見送ってから、一時間が経つ。

 彼の代わりに来た山田君は、ソファーに座りくつろいでいる。


 部屋の案内をして、何がどこにあるかなどを教えた。彼は実家暮らしらしい。なので、出来ることは少ないが、使える時には使ってくださいと言ってくれた。こうやって言える子もこのご時世では珍しいのかもしれない。


 今はご飯の準備をしているのだが、いつもなら一緒に作っているので変な気持ちになってしまう。


 トントンと軽快な音を鳴らし、キャベツを切っていると、途中ザクッと違う音が聞こえた。


「痛っ」


 指を見ると、血が流れていて、ざっくりと指を切ってしまっていた。


「大丈夫ですか!? あ、血が出てるじゃないですか! 救急箱ありますか!?」

「そこの棚の中にあります……」

「花宮先輩、とりあえず手を洗ってください」

「はい……」


 蛇口をひねり、水を流し手を洗う。

 うぅ、めっちゃ染みる。


「手出してください」

「このくらい自分で出来るから大丈夫ですよ」

「いえいえ、僕何もできないんで、このくらいさせてください」


 手を取って、消毒液を湿らせたティッシュをちょんちょんと当てられた。


「痛っ、めっちゃ染みます。痛いです……」

「ごめんなさい、でも我慢しないとばい菌入っちゃいますから」


 余計な事ばかり考えているせいで、こんなことになってしまった。いつもなら絶対やらないミスを……。


「はい、これで大丈夫です」

「ありがとうございます」

「なんか今日変ですよ。元気ないというかなんというか」

「そうですかね?」

「そうですよ。いつもはしっかりしているのに、今日はなんか上の空って感じですし……やっぱり佐伯先輩が良いですか?」

「へっ!?」


 ビクッと身体が跳ねてしまう。

 こうなったのも佐伯君の事を考えていたからだと、ズバリその通りです。でも、なんでわかるの? 私、佐伯君の事は山田君には話していないのに。


「図星って感じですね」

「私にはよく分かんないことだらけです」

「本当は分かってるんじゃないんですか? 既に解は出ていそうですけど」


 彼もまた、私を見透かしたように言う。


「あいつもお人好しが過ぎるんですよ。自ら敵を作っているようなものじゃないですか? でも、それって花宮先輩に気持ちを押し殺してほしくなかったからじゃないんですか?」

「それは私が佐伯君の事を好きって事ですか?」

「僕に聞かれても困ります。一旦座りましょうか」


 彼に言われた通りにダイニングテーブルに腰を掛ける。


「今、何を思ってました?」

「いつもだったら、一緒ご飯作ってるなぁと」

「答え出てるじゃないですか」


 思い出しただけで、答えになっちゃうなら皆の事好きになっちゃいますけど!?


「難しいです……」

「何だこの人めんどくさ」


 ちょっとあなた、心の声漏れちゃってますよ! 聞こえてますから!


「いいですか? 佐伯先輩じゃなくて、今は僕といるんですよ?」

「それは失礼ですね。すいません」

「そうじゃなくて……何だこの人マジで……」


 だから聞こえてますよ!?


「寂しいって思いませんか?」

「少し寂しいって気持ちはあります」

「いつまでも意地を張るのは自分の為にならないですから、やめた方がいいです。本当は会いたいんじゃないんですか? 行ってほしくないと思わなかったですか? 花宮さんの気持ちも分かりますけど、遠慮なんてしなくていいんですよ」


「遠慮なんて……してません」


「今、間がありましたよね? それです。既に遠慮してますよ」


 山田君が指摘してきた事に、私はなにも反論が出来なかった。考えてしまったから、蓮水さんの気持ちを。


「もし彼らがカップルになったら、素直に祝福できますか? 僕はできません。いつだって自分の為でいいんです。素直になっていいんです。その人とどうしたいか、どうなりたいか。幸せになる特権はみんなにありますから。恋は勝ち負けですよ。タイミングなんです」


 話を聞いてる中で、蓮水さんと佐伯君が付き合った事を想像した。

 蓮水さんと佐伯君が手を繋いだり、キスをしたり、愛し————


「す、すいません! そんなつもりで言ったんじゃないんですよ! 深く考えすぎないでください!」


 何で山田君は慌てているのかすら、私には分からなかった。

 ティッシュを持って来て、渡される理由がない。


「拭いてください。ごめんなさい……涙が」


 山田君の一言で、自分が涙を流していたことに気付く。


「ありがとう……私、今想像したんです……」

「何を?」

「佐伯君と蓮水さんがお付き合いする事……すごく嫌です」

「そうですね、嫌です」



「私、————佐伯君が好きなんですね」



 やっと腑に落ちた。すとんと心の中に好きという感情が落ちてきた。ぽっかりと空いた穴を綺麗に埋め尽くしていく。


 考えてもわからない。

 その通りだった。


「ですね。すごく遠回りでしたけど。花宮先輩は恋愛経験ないんだ? 初めてなんだね。恋って人の気持ちを明るくさせてくれるんですよ。暗くもさせられますけど、でも見える景色は変わります」


 急に先輩風吹かしてくるなぁ。時折、ため口入ってたの聞き逃してないからね?


「でも、これからの一週間で向こうがって可能性は?」

「それはもう仕方がないですよ。俺はどっちの味方もしませんから。それはそれ。これはこれ。あれでしたら僕の隣いつでも空いてるんでどうっすか?」

「それは遠慮しときます」

「即答っ!?」


 ともあれ、山田君のおかげで私自身の気持ちに気付くことが出来た。

 お礼に美味しいご飯振舞ってあげましょう!

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