第11話:尾行。

「じゃ、俺はもう上がるから祐介も上がれよ」

「はい、お疲れ様です」


 オフィスを出て行く佐伯先輩を見送り、俺も仕事を終える。

 見送った際に、ちらりと花宮さんの席を見ている所を俺は見逃さなかった。

 やはり蓮水の言う通り、あの二人は何かしらを隠している気がする。


「山田! 早く行くよ!」

「へいへい」


 蓮水も佐伯先輩が出て行ったのを見計らって、俺の席に来た。

 なんだかこいつ楽しそうだな。

 もし、これで本当に予想通りだった時、どうすんだよと少しばかり柄でもない事を考えてしまう。泣き出したりしたら困るぞ……。

 鞄を手に取り、「お疲れ様で―す」と気の抜けた挨拶でオフィスを後にした。


「はい、これ! 必需品だよ!」


 突然にコンビニの袋を渡される。

 中身を見ると、紙パックの牛乳とあんパンが一つずつ入っていた。……こいつやっぱり楽しんでるな? 探偵ごっこのつもりか? 名探偵はこんなことしないぜ? と思いつつもちゃんと受け取った。


「なぁ、お前の予想がもし当たってたらどうすんの?」

「そりゃあ、泣く。盛大に泣く。山田がお酒をご馳走してくれるまで泣き止まないくらい泣く」

「遠まわしに奢れって言ってるようなものじゃん……やめてくれ」


 エレベーター内で泣く真似をするが、本心は気が気じゃないだろう。

 だって好きな人に、既に違う相手がいたら辛いし、ましてや別れたばかりでやっと来たチャンスなのに、その土俵にも立たせてもらえないとなると、流石の俺でもこたえる。

 エレベーターが一階に辿り着き、早歩きで会社を出た。


「山田! 早くしなさいよ! 遅い!」

「俺が遅いんじゃなくて、お前が速いんだよ!」


 早歩きから小走りに変え、蓮水の隣に並ぶ。


「あれ、先輩どこ行った?」

「知らん。まだその辺歩いてるだろ……確か朝は近くのコンビニの方で見かけたからそっちの方じゃねーの?」

「よしよし、山田にしてはやるじゃない」


 えーい、鬱陶しい! 頭を撫でてきやがったぞこいつ。恥ずかしいし、照れるからやめろ。


「いちいちうざいなぁ」

「そうと分かったら行くよ!」

「へいへい……ってかさ、あの人いつも電車通勤だよ? コンビニは逆方面だし、これでいたら確定じゃない?」

「そうかもしれないけど、もしかしたら買い物かもしれないじゃん。なんか予定あるって言ってたし」


 あれはその場で考えた嘘にしか聞こえんかったけどな。


「そうですか」


 近くのコンビニへと向かい、少し離れた場所で佐伯先輩を見つけた。

 とぼとぼと何か考えながら歩いているように見える。


「山田、そんなに堂々と歩いてたら見つかるよ! もっとコソコソ隠れれる場所を確保しつつ、尾行するのが鉄則よ!」


 こいつ……。手慣れてやがる。さてはストーカー常習犯だな? おまわりさん、こいつです。こいつが犯人です! 名探偵と誇らしげに言っていたのは嘘で、ただのストーカーです!


 と通報しながら、路地に隠れて覗く。

 下には蓮水の頭があり、俺はその上から覗いているので、ちょくちょく動くポニーテールが鼻に触れてムズムズする。

 それに伴って、めっちゃいい匂いがする。改めて女の子だなと認識した。

 顔は可愛いのに、性格がちょっと残念過ぎるのが難点で。普通に接する分には、花宮先輩にも引けを取らないはず。あくまで普通にしてたらの話。

 でも一応、会社では花宮先輩の次に人気なのは蓮水雫、こいつなんだよなぁ。

 こんな所を会社の連中に見られたら、俺は目の敵にされてしまいそう。


「次のポイントはあそこね」


 指を差しながら、場所を教えてくれる……が。

 そこはただの電柱で、隠れれるのは一人が限界だと分からないのだろうか。


「あそこは二人で隠れるには厳しいだろ」

「私が隠れながら覗くから、あんたは電柱の真似でもしてればいいのよ」

「急に扱い雑じゃない!?」

「いいから行くよ!」

「ちょっ……おいっ!」


 腕を引っ張られ、電柱の場所まで無理矢理連れていかれる。

 その途中、何度か振り払おうとしたが、握力が強すぎて全然離す事が出来ず、寧ろ振るたびに力が増していった。腕が折れるかと思ったぞ。

 小さい手から折れそうなほどの力はどっから出てくんだよ。


 ふぅーっと一息つき、言われた通りに電柱の真似をして、振り返られても見えない位置に棒立ちをかました。

 ただ隠れているだけで暇なので、先ほど掴まれた腕を見ると……赤くなっている。馬鹿力すぎんだろぉ。ゴリラかよぉ。痛々しいよぉ。


「立ち止まった! 隠れて!」


 さっきから隠れてますけど。

 パッと振り返って、電柱を背にした。

 顔の距離が近い。


「なんかドキドキするね」

「あぁ、別の意味でな」


 なんでこっちに向く必要があったのか聞かないけれども、近いからまじで……。


「は?」


 そのドスの効いた低い声やめろ。怖いんだよ。


「なんでもない。ちょっと見てみるわ」


 顔を少しだけずらすと、佐伯先輩は立ち止まったまま、空を見上げていた。

 あれは何をしてんだ? なんか考えてんのか? それとも自己陶酔中? 普通こんな道のど真ん中で立ち止まらんぞ。


「どんな感じ?」

「そうだな……空眺めてるわ」

「は?」

「お前な、その『は?』ってのやめろ。言われたこっちは結構むかつくんだぞ。もうちょっと可愛くできんのか!? それに俺は見たんまんまをちゃんと伝えてんだよ。佐伯先輩は今、空を眺めて立ち止まってんの!」

「うるさい、静かにしてよ。ばれたらどうすんのよ」


 あーもう! こいつ本当にむかつく。協力してもらってる事をもっと理解してくれんもんかね?


「あっ、動き出したぞ。走り出した!」


 立ち止まったかと思えば、走り出して、あの人の情緒はどうなってるんだ。少し心配だ。会社では普通な人なのに、プライベートではちょっと変な人かと思ってしまい申し訳ございません。


 だがその考えは浅はかだった。

 佐伯先輩が走るその先を見ると、走り出した理由を理解してしまう。その先にはゆるふわボブの後ろ姿があった。

 察してしまう。あれは花宮先輩以外の他でもない。

 薄ピンクのジャケットを着て、下は白のパンツを履いていた。会社で見ているので間違いない。


 そしてあの髪型、あの鞄、花宮先輩だ。


 俺達もゆっくりと歩みを進める。だが、自分の足取りは重かった。


「もうこれ以上は止めないか?」

「なんで?」


 蓮水はまだ気付いていない。佐伯先輩が走り出したその先にいる人物に。


「なんでって、その、まあ罪悪感ってやつ?」


 というのはただの言い訳で。

 これ以上尾行したって、蓮水が傷つく以外の結果は得られそうにないかいらだ。


「今さら何言ってるの?」

「知らなくてもいい幸せってあるだろ。気になるなら直接聞けばいいんだし、隠れてコソコソしてるなんて知られたら、佐伯先輩だっていい気分はしないだろ」

「あっ! あれ! 花宮先輩じゃない!?」


 人の話を聞きなさい。

 ってもう手遅れだった……。気付いてしまったらどうしようもない。しかし、予想と反してなんか楽しそうだなこいつ。


「行くよ! やっぱりあの二人はなんか隠してる! 今まであんな風に帰る事なんてしてなかったし!」

「付き合ってたらどうすんだよ……」

「私の勘では、あの二人はそういう関係じゃないと言っております!」

「さっきと言ってる事が違うじゃねーか。俺の心配返せ!」


 本当こいついい性格してるわ。うん。いっそ清々しいわ。


「山田の癖に心配してくれたの?」

「もういいから、早くいこーぜ」


 話を切り上げ、先を歩き始める。


「あ、ちょっと待ってよぉ。ごめんってー」


 尾行続行したのはいいが、この辺隠れる場所がない。振り向かれでもしたらどうしようと不安になる。


「この辺隠れるとこがないな。振り向かれたら終わるぞ」

「確かにちょっとやばいか———」


 蓮水が言い終わるその瞬間。

 前を歩いていた佐伯先輩が後ろを振り向いた。

 勢いよく腕を引っ張り、背を向けて蓮水を隠す。


「ちょっ……」

「今こっち見た。ぎり間に合ったと思う。それに距離が離れてるから後ろ姿じゃ多分バレてないはず」


 蓮水と距離が拳一つの間隔もない。近すぎて、心音が段々と悲鳴を上げ、動悸も激しくなる。やっっっばい!! めっちゃ顔が赤くなってるのが自分でも分かってしまう。こんな奴に……。


「や、山田っ、ち、近いよ……」

「仕方ないだろっ、我慢しろ……」


 視線を彼女の方へ落とすと、上目遣いでこちらを見ていた。……くそ、俺は騙されないぞ。そんな可愛い顔には!


「ねぇ……もういいんじゃない?」

「そ、そうだな。思いっきり引っ張ってすまんかった」


 さっと離れ、距離を取る。

 互いに背を向け合ったまま、一分と掛からない時間を過ごした。


「よっ、よし。気を取り直して行くぞ!」

「おっ、おーう!」


 再び歩みを進め、ちゃんと隠れれる場所を探しつつ、尾行を続けた。 

 佐伯先輩と花宮先輩は相変わらず仲良さそうに話している。


「なあ、お前さ今のこれ見て何を思うんだ?」

「何を思うって言われてもなぁ。いつの間にこんなに仲良くなったんだろうとか? 花宮先輩は会社では先輩とは全然話してないし、仕事終わりにこうやって仲良くしてたのかなーとか? あんまり悔しいとか嫉妬とかは今の所はないかな」

「そうか」


 自分から聞いといて、雑な返事しかすることが出来なかった。俺が蓮水と逆の立場なら嫉妬しまくってる。いつの間に距離が縮まってたとか、入り込む隙間なんてなかったと落ち込んでる。

 蓮水は強い。確信を持つまで、信じないようにしている。

 自分の目でちゃんと確認してから、多分盛大に落ち込むんだろう。反動がでかそうだけど。


「二人立ち止まったよ。花宮先輩が先輩の背中を叩いてる」

「何それどういう状況?」

「分かんないよ。あっ!」


 その声に反応するように二人の方へと視線を向けると、二人は近づいて、花宮先輩が佐伯先輩の頬を触っていた。


 佐伯先輩は顔を赤くしているのが遠めから見ても分かるくらいだ。

 こんな道端でキスするのかと思うくらいに彼らの顔の距離は近かった。


 ……結局、キスはしなかったものの、二人の距離はちょっとおかしいほどに近い。付き合ってるのかと問われれば、YESとすぐには答えられないが、付き合っててもおかしくないとも思う。


「あっぶなぁ。キスするかと思ったぁ。あれは多分、先輩の肌の綺麗さに驚いて触ってたと見た。花宮先輩がこんな道端でキスなんてできる人じゃないことくらい分かってるんだから」


 えっへんと、割とある胸を張って言い切った。強調されて目のやり場に困るからやめてくれませんか。

 蓮水はどんな気分で見てるのかと思えば、存外に元気で。泣き出したらどうしようかと心配するだけ損だった。


 それから二人は少し距離を空けて歩き始める。

 会話という会話はしていないようにしか見えず、結局の所付き合っているのか付き合っていないのかは定かではなくなった。


 つまり、付き合っているのであれば、あの程度で恥ずかしがるのはおかしいと。(先ほどの実体験を元に)

 カップルと仮定した場合、あそこは普通恥ずかしがるシュチュエーションではない。寧ろ笑ったり、『なにすんだよぉ』的なイチャイチャが始まるのが世の常だからだ。


 とまあ、俺の世の中に対する恋愛予想図は置いといて……。

 先輩たちの関係はここに来て、更に謎が深まるばかり。


「ねぇ、あそこ……花宮先輩の家……」

「あれ? あの車、佐伯先輩のだ」


 互いに顔を合わせ、はてなマークを頭上に浮かばせた。

 蓮水の顔は段々と曇っていく。今にも泣きだしそうなくらいに。


 うーん。どういう事だろうか、花宮先輩の家に二人が入っていく。そして、駐車場に停めてある車は間違いなく、佐伯先輩の車。


 二人は一緒に暮らしている? でも佐伯先輩は彼女と別れたと今日の朝言っていた。であれば、家を出る必要性はない。

 彼女が出て行ったのではなく、佐伯先輩が出て行った……?

 そうすれば突然に近づいた理由の一つにもなるかもしれないが、別に花宮先輩でなくてもいいはず。そこだけが謎に包まれている。あの二人はあまりにも接点がなさすぎる。


 二人が家に入ってから暫く待っていると、私服に着替えて外に出てきた。

 そこから車に乗り込み、エンジンをかけどこかへ行ってしまった。


 ————二人は同棲してるっ!?


「ちょっと蓮水、俺は今状況が呑み込めないんだが……」


 蓮水の方へと顔向け、彼女の横顔を見て、言葉を途中止めた。

 彼女は涙を流していた。


 瞳から溜まった涙がぽろぽろと頬を伝って、地面に滴る。

 その涙が落ちたコンクリートは、滲むように黒く色を変えて、蓮水の心の中を表してるように思えてしまう。

 多分、彼女の中で確信に変わったんだ。今の光景、態度、発言がすべて線として繋がってしまったが故に。


 しかし、まだ確信するには早い。

 鞄の中からハンドタオルを取り出して、蓮水に無言で渡すが受けとってもらえなかった。


「泣くなよ。まだ泣くには早いだろ」


 受け取ってもらえないので、ぽろぽろと流れ続ける涙を雑に拭ってやった。


「やっ……まぁだぁ……うっ……うわぁぁ―――ん」


 勢いよく涙を流しながら抱きつかれてしまい、身動きが取れなくなる。

 俺にはどうする事も出来ず、ただただ泣いているこいつが泣き止むまで突っ立っている事しか出来なかった。


 ちっとも優しくない、頭の一つも撫でてやれない、そんな自分が嫌になる。

 手を頭の上まで持ってくるが、その髪に俺の手が触れることはなかった。


 蓮水の事を嫌いと言っているのは建前なだけで。本心はそうでもない。どちらかといえば気に入っている方で、こんなに素直な奴は中々いないし、取り繕わない彼女は素敵だとすら思う。ただ、そこに恋愛感情があるのでは? と問われたら、否定も出来ないし、肯定もできない。


 俺の感情は今どこを彷徨っているのだろう……。


 そして10分くらいのに時間が経ち、やっと泣き止んだ。やはり予想通りに反動が大きかった。スーツは彼女の涙と鼻水でなんかもうなんとも言えない状態だ。

 タオルで蓮水の顔をぐしぐしと拭いて、自分のスーツも拭く。


「山田ぁ、泣いたらお腹空いた」

「お前、どんだけ図々しいの……」


 どこぞのわがまま娘だよ。


「この近くによく行く店があるからそこ行くか?」

「うん! 行く!」

「じゃあ着いてきて」


 来た道を戻るために、歩みを進めると蓮水にスーツの裾を掴まれた。


「何?」

「あの……ありがとね」


 ニカッと笑った顔は、どこかぎこちないが蓮水なりの感謝の意なのだろう。うむ、素直でよろしい。


「別に俺は何もしてねーよ。ただ着いて来ただけだ」

「それもそっか!」

「なんだこいつ、やっぱうざいわ」

「あはははっ! 行こ?」


 とりあえず蓮水の中では確信に変わったのかもしれないが、俺の中では疑いが残っている。

 彼女の代わりに、俺が佐伯先輩に聞いといてやるか……。



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