現実 第八部

 夏も終わり、残暑も消えつつある九月下旬のことだった。

 夏休みの終わりを告げるように鳴った俺の携帯が再びその音を鳴らした。

 携帯の画面に視線を向けるとそこには見慣れた友継さんの文字が映し出されていた。

 下校途中ではあったものの、ちょうど人通りのない道を歩いていたこともあり、俺はすぐにその着信に応対して、携帯を自らの右耳に近づけた。


「もしもし」


 俺の声に対して、あちらからは何も返事が返ってこない。

 しばらくその声を待っても一向に返ってこない。

 不思議に思い、一度耳から携帯を話して映し出されている画面を見るがそこには見慣れた友継さんの文字。間違い電話の類ではない。


「もしもし、友継さんですか?」


 念のために、そう問いかけるとやっと電話の向こうから音が返ってくる。

 ただ、その音。いや声は弱々しく、まるで死人のような声だった。


「健君。綾が亡くなった……」


 静かに友継さんらしき声色の男性がそう呟いた。

 突然のことに頭で言葉の意味を理解したが、現実が追いついてこない。

 亡くなったということは、もう園田綾という人物はこの世に存在しないということになるのか?

 そんな当たり前のことを俺は繰り返し、繰り返して頭の中で考えていた。


「よかったら、綾の顔を見にきてくれるかな……?」


 いつの間にか止まっていた足を何とかして動かそうとする。けれども、思った以上に動かないその足は何かを拒んでいるように主人の指示を聞かない。

 依然として、頭の中では友継さんの言葉に「はい」と答えて、電話を切り、すぐにでも綾さんの病院へと向かうべきだと答えは出ていた。

 だが、頭以外の部分がついてこなかった。


「──どうして……?」


 俺の口から出た言葉は頭で考えていなかったこと。

 いや、今考えるべきことで頭の隅っこに抱いていた疑問であった。

 出てしまった言葉はもう戻らない。そして、消えることもない。

 すぐに何か言おうにも体は言うことを聞いてくれない。

 少しの間をあけてから電話の向こうから返事が返ってくる。


「君は綾と仲良くしてくれた。そして、最近の綾が一番目にかけていたと私は思ったんだ」


 そうじゃない。俺が求めていた言葉はそうじゃなかった。

 先ほどの言葉の流れならば、どうして俺が綾さんの最後の顔を見に行かないといけないのだという風に聞こえたかもしれない。いや、そういう風に聞こえる事は当然のこと。

 だけれども、俺が求めていた答え。抱いていた疑問はそこじゃない。

 それを伝えようとも、俺の口はいまだに動いてはくれない。

 一人どうにか言葉を出そうとしていると、また電話の向こうから声が聞こえてくる。


「綾は、階段で転んでしまったんだ。打ち所が悪くて、頭を強く打ったんだ。そして、そのまま……」


 友継さんが苦しそうに絞り出した言葉が偶然にも俺が求めていた答えであった。


「わか、りました──」


 やっと、俺の口がまともに動き、ぎこちなくはあるものの友継さんの言葉に返事ができた。

 俺の言葉の後に友継さんは「待っている」とだけ答えて、そのまま電話の向こうからは意志のない電子音が聞こえてきた。


 耳元から電話を話して俺が動き出せたのは、電話を取ってから二十分後のことだった。

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