現実 第一部 

 夏休み最終日。俺の携帯が着信を知らせるために鳴り響いた。

 俺の電話番号を知っている人間など数少ないので、かけて来る相手も絞れる。

 そして、その目星はだいたいついていた。


「もしもし」


 だらけた気持ちを切り替えるためにも寝転がっていた体を起こし上げる。

 電話の向こうからはいつもの低い落ち着いた声が聞こえて来るだろうと思っていたら、全く真逆とも言える声が俺の耳に届けられた。


「あ、健くん? 今日暇?」

「綾さんですか……?」

「そうだよー。それで、今日暇?」


 自らの頬に近づけていた携帯を一度離してから携帯の画面に表示されている名前を見るとそこには友継さんと表示されていた。

 俺の予想は見事あっていたわけだが、かけてきた相手はどうやら間違っていたらしい。


「ねぇ、聞いてる?」

「えぇ、聞いてますよ。暇といえば暇です」

「ということは暇じゃないってこと?」

「今日の予定はありません。ただ、明日から二学期なんですよ」

「あぁ〜、まだ宿題終わってないけどやる気が出ない感じ?」

「宿題はすでに終わってます」


 夏休みの宿題は一週間も前に全てやり終えていた。そのため明日から二学期といえど今日も今日とてダラダラと時間を浪費できていたのだ。

 遊びに行こうと思えば遊びに行けた。しかし、明日から始まる学校のことを考えると動く気になれなかった。俺と同じような思考の学生もいるかもしれない。そう考えると大人しく体力を温存し、明日の非情な一日備えよう。それが俺の出した結論であった。


「だったらさ。夏休み最後の思い出作りに行かない?」

「……どういうことですか?」

「なんと、外出許可をもらいました〜」


 俺が知ってる範囲だけでいえば、綾さんが入院してから初めての外出ではないだろうか。そう思うと電話の向こうで楽しげになる綾さんの気持ちもわからないことはない。

 ただ、ひとつわからないことがある。


「どうしてそれを俺に?」

「デートだよ、デート。私、今人生で初めてデートに誘ってるの」


 綾さんが完全にふざけているのはわかりきっている。俺の反応を見て楽しもうとしていることも。

 今まで綾さんに恋心を寄せてきた人たちがこんなことを聞けばどれだけ救われた魂があったか。

 ため息とともにそんな救われなかった魂たちへの懺悔を行う。


「わかりました。病院に向かえばいいですか」

「うん。待ってるからっ」


 通話を終えるボタンを押して、画面が真っ暗になり自分の表情を映し出す。

 そこには冴えない男子生徒の顔が映っていた。

 綾さんは人生で初めてのデートの誘いだと言っていたが、俺とて人生で初めてデートの誘いなど受けた。それどころかデートも初めてだ。

 部屋着から着替えるために立ち上がる。そして、クローゼットの中から服たちを取り出して着替える。


 実際、俺の心の中は嬉しさ半分あった。

 この夏、綾さんのところにも何度か行っていたが、それ以外に何もなかったと言っても差し支えない。だから、こうしてどこかに出かけるということは素直に嬉しかったりする。

 それに、俺をおちょくるのが目的だったとしても男女がどこかに出かけるというのは何も知らない人から見ればデートに見える。

 もちろん、綾さんのご両親が付いて来れば話は変わるが。

 でも、本当に綾さんと俺だけの二人ならばそれはデートだ。それが嬉しくないわけがない。俺とていつかそんな展開になってみたいと思ったことくらいある。

 着替えも済まして、机の上にある家の鍵と財布をポケットへと入れる。


「雨は、降らないか」


 ふと窓の外へ視線を向けると青空が広がっていた。だが、あちらこちらには白い雲が点在していた。雨が降る気配はないが、快晴とはいいがたい曖昧な晴れ。

 ベッドの上に置いた携帯を持って、俺は自室を出た。


 夏休み最終日。

 嬉しさ半分。そして、何かわからない感情が半分渦巻く一日が始まろうとしていた。

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