思い出 第六部

 

 それから、俺は全てのことを話した。

 それは、綾さんが最後に俺に残した言葉のこと。そして、その言葉によって今の俺がこうして活動を行なっていることなど。


「これで満足ですか……?」


 俺の質問に対して姫野さんはどこか腑に落ちない表情を見せながら、先ほどみたいに俺の顔をじっと見つめていた。

 俺としても、もう隠すことは何もないので堂々とした面持ちで目の前にあるコーヒーに手をつける。

 正直、姫野さんに綾さんについて話すことは避けたかったが、こうなってしまった以上仕方がなかった。もしかしたら、これを機にまた姫野さんが綾さんのことをいじめの対象としてみる可能性もあっただろうが、それはかなり低いものだと姫野さんと過ごす時間が増すごとに感じていた。それよりも、俺が先に園田綾という人物を語るよりも先に、姫野萃香という一人の人間から見た園田綾を知りたかった。人の言葉によってその人への印象が変わることなど人間社会ではよくあることだ。


 しかしながら、やはり俺からすると目の前の姫野さんは不思議な人であった。ここ数十分、姫野萃香という人物と話していて、とても彼女が綾さんをいじめていたような人物には見えてこなかった。

 俺とのわずかな時間。わずかな会話の中で的確に物事を判断し、その賢明なる思考で物事を把握しているかのような佇まい。そんな人がいじめなんてするのだろうか。今はそのことで頭がいっぱいであった。


「彼女のことはもういいわ。それで、どうしてあなたはトラックに気づかなかったの?」

「あぁ、それは少し違います」

「違う?」

「えぇ、本当は別に轢かれそうになっていた女の子がいたんですよ。それを俺が助けようとして、そんな俺を綾さんが助けてくれたんです」

「そう……。あなたって見た目によらず紳士なのね」

「そんなことはどうでもいいじゃないですか。それで、そろそろ話してもらいますよ」

「そうね。だいぶ時間も経ってしまったし、話そうかしら」


 姫野さんは一度座り直して、ゆっくりと語り始めた。


「色々と話すべきことはあるだろうけど、そうだ。なにか聞きたいことがあるかしら?」


 語り始めてそうそうに俺の方へと質問を投げかけてきて「またか」と思ったが、ちょうど俺も先ほどから疑問になってきていたことがあったのでそれを投げかける。


「本当に綾さんをいじめていたんですか?」

「なんでいじめていた。じゃなくて、本当にいじめていたかって?」

「そうです」

「えぇ、確かに私は園田綾という女子生徒をいじめていた」


 姫野さんは真っ直ぐな、そしてしどろもどろすることなくはっきりと答えた。

 その声は、この静かな店内にかすかに響くほどに。


「一応確認したいのですが、姫野さんにとっていじめの定義ってなんですか?」

「いじめの定義……。相手が嫌がること、苦しむことをするって感じかしら?」

「ということは、そういうことを綾さんにしていた自覚があるってことですね?」

「えぇ、そうよ。彼女を叩いたりしたこともあるし、水をかけたこともあったかしら。あぁ、あと靴を隠したこともあったわ」

「綾さんの髪の毛をひっぱりしたことは?」

「そんなこともあったと思うわ。その程度のことならいくらでも」


 姫野さんの口調は止まることなく、依然としてハキハキと話していた。その口ぶりは反省の“は”の字もない、いじめっ子特有のそれであった。


「彼女に対して申し訳ないという気持ちはないんですか?」

「多少はあるわ。でも、謝ることではないと思っている」

「それはいじめられる方が悪い。ということですか?」

「いいえ。そういう考えも、もちろんあるけれど、やっぱりいじめる方が悪いと私も思う」

「なら、暴力とも言える行為が姫野さんにとっては暴力ではなかったと?」

「あなたの言う通り、私のしたことは彼女に対する暴力行為だった。そして、それはいけないことだと私も思うわ」

「実は姫野さん自身、綾さんにいじめられていた?」

「それも違う。彼女は私をいじめてなんていなかった。私から彼女に対していじめとも言える行為を始め、そして、止められるまでその行為はやめなかった」


 ここまで聞いたことをまとめると、姫野さんは綾さんを一方的にいじめ始め、そして彼女はいじめていたことを悪くは思っていない。しかしながら、そのいじめの行為に対しては明確な罪の意識はある。その上で反省の姿勢が見えない。

 話を聞けば聞くほど謎が深まるばかりであった。


「どうして、綾さんをいじめていたんですか?」

「やっと、聞いたわね。それ」


 姫野さんの口ぶりは待っていましたと言わんばかりであった。


「どうして、最初に聞かなかったの? それ」

「僕は綾さんについて知りたいんです。別に姫野さんが綾さんをいじめていた理由なんて二の次と言っても過言ではありません。だから、その結果今になっただけです」

「そう……。面白いね、緑川くんって……」


 紅茶のカップの縁を指でそっと撫でながら、先ほどまでとは打って変わって弱々しい声色で姫野さんは囁いた。その声に反応しようと口を開く前に、姫野さんは再び口を開いた。


「じゃあ、どうせだし昔話しながら話すね。その方が当時の彼女のことも知れるでしょ?」

「えぇ、まぁ……」

「えっと、あれは五月終盤ごろのこと……」

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