猫を被る猫

五三六P・二四三・渡

序章

 かつての事を詳らかにしたくて、筆をとったところだが、小説という形にしようと思ったのは、やはり某有名作品の影響だろうか。

 かの飼い猫の視点から書生という種族の生態を書いた小説を読んだ時、話の面白さに唸ったのももちろんだが、やはり猫の書いた本も出版できるということに驚いた。

 この話をすると、いやいや、あれはあくまで猫の視点から書いた架空の話ですよ、と指摘する声が大抵上がるのだが、まあ人間であればそう思っても仕方がない。あれを猫が書いたなんて思うのは、現実と空想のつかない、人の幼な子か――それとも猫ぐらいだろう。

 わたくしも同じ猫だからわかることだが、あの小説は猫が書いたもので間違いない。物事の見方、考え方、行動、どれをとっても、わたくしと同類の者が書いたとしか思えない。なので、かの作品の存在には大変強く元気づけられた。あの本の最後に溺れ死んだあと、化けて出て、かつての小説家の真似をしてみた猫。

 運命を感じずを得なかった。

 これから書く、彼女も同じ。お姉さまもわたくしも化け猫なのだから。

 

 お姉さまは、正長石のような黄色い毛並みを持った、雑種の猫の姿をしていた。

 そして、お姉さまの主様あるじさまは、京都の哲学の小怪にある、窓から枝垂れ柳と運河が見える長屋の、二階に下宿していた。飼い主と言っても、正式なものではなく、半野良のお姉さまが、気まぐれに窓から部屋に入ると、主様は笑顔で向かい入れてくれて、何日も滞在しても苦い顔をせず、餌もくれ、それでいて何日も顔を合わさないこともあるという曖昧な関係だった。

  四畳半の狭い部屋の端に胡坐をかいて座り、頭を抱えうんうんと一日中唸っていて、時折何かひらめくと、机にかじりつき一心不乱に紙に文字をしたためているというのが、彼女の日常だった。主様の部屋には、長屋の持ち主を除いてほとんど誰かが訪ねてくるということがなく、外出も偶にする程度だった。編集でさえ訪ねてくることはないのだが、小説を書くほかに仕事のようなものをしてるようには思えないので、彼女の職業は物書きで間違いない。

 執筆の邪魔をしては悪いと、お姉さまは垣根から窓を覗き見て中の様子を見て、邪魔をするのか考えるのだが、目が合うと――明らかに頭を抱えていた場合でも――手招きをして、窓を開けることが多かった。

「お前がうらやましいよ。私も野良でもない飼い猫でもない中途半端な存在だが、お前は堂々としている」

 膝の上でお姉さまを撫でながら、主様はそんなことを漏らした。愁いを帯びたその瞳はまるで黒天鵞絨ビロウドの幕がかかったよう。遠くを見ているようで、それでいて何も見ていないよう……どこまでも空虚で、お姉さまは危うさを感じた。偏見かもしれないが、小説家というものは自殺をしやすいという印象があった。なので主様が寝ているときに、お姉さまは頭に顔を近づけ耳を澄ませてみた。

 歯車を幻視する遺作を残し、この世を去った作家がいる。お姉さまはその話を読んだとき、その歯車が何を表しているのかと考えた。そこで思い出したのは、友人のことだ。その友人というのは日本人形に取りついた悪霊だった。

 日本人形に取りついた悪霊がいるのなら、からくり人形に取りついた霊もいるのでは? そこまで考えた時、結論は見えた。

 かの作家はからくり人形に取りついた霊だったのだ。歯車とは彼の頭の中を回るそれのことだったのだろう。自分を人間と信じていた彼は、脳髄にあたる場所の歯車の音を聞き続けるうちに、自分の存在に疑問を持ち始め、そして……。

 だからこうしてお姉さまは主様の頭の中に眠る病の元を探した。夜なので妨げる音は、どこからか吹き込んでくる隙間風程度だった。

 耳を澄ますと、確かに寝息に紛れて機械の音が聞こえ、お姉さまは驚きのあまり飛び上がった。しかしながら、「嗚呼、どうしましょうか」という風に部屋の中を回って考えていたのだが、もう一度よく見ると、主様のつけている懐中時計の音だったことがわかり、ほっと息を吐いてその場で眠ってしまった。お姉さまは微睡の中、布団の上に連れ込まれたような記憶がわずかにあった。

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