第三話 the world is hers⑤ ~バックヤード~

 試合の流れは一方的としか呼べないものだった。殴る蹴る、突く絞める。アスカの猛攻を受けているだけでクリスは精一杯だった。


 当然だ、素人が勝てる相手ではない。二本の足で立っているだけで上出来すぎる結果だった。


「うーん……つまらん」


 だがアスカの猛攻が止む。


「非常につまらない」


 本心だった。何度殴ってもクリスは立ち上がる。何度も何度も何度も何度も。


 繰り返しても結果は同じ。


「別にあんたを喜ばせるために生きちゃいないわよ」

「それもそうだ……ねっ!」


 クリスの減らず口に答えるように、アスカは前蹴りを放つ。また吹っ飛ぶ。だが立ち上がる。


「いや、つまらないを通り越して不快だ」


 骨は折れてるだろう、口の中はズタズタだろう。それでも立ち上がる様は、どれだけ駆除しても減らない虫を叩き潰している気分だった。


「あらそう、なら私に勝ち目はあるわね」

「あ、そうか」


 そこでようやくアスカは気づいた。そこからは早くすぐに腰を深く下ろし、クリスにタックルを決めマウントポジションへと速やかに移る。


 折りたいのは、この女の骨では無かったのだと。


「よしじゃあ、今から折ろうか」


 アスカはクリスの指を握り締める。苦痛でクリスが顔を歪めれば、呼応するようにアスカは笑う。


「君の、心を」


 初めから折りたいものなど、たった一つだけだった。





「何すんのよ」

「あー黙って黙って」


 アスカは指を折る。まずは一本、だがこれはあくまでおまけだ。


「クリスティア、私と世界の話をしようか」

「はっ、頭おかしいんじゃないの」


 二本目。クリスの悲鳴が会場に響いた。


「まだ八本あるのか、もう八本しかないのか……まぁいい、それより世界の話だ」


 クリスは口を噤む。下手なことを言わなければ指は折られないと悟ったからだ。だから備える、寝ているという状況を最大限利用する。


 その体を休めるために。


「この世界は、おかしかっただろう? 自動販売機があって、冷えたコーラが出てきて、おまけに通貨は日本銀行券と来た。どこだ日本って、君は知ってるか? 肖像画の男の事を歴史の授業で習ったか?」


 話を聞くべきではない。そう思っていたクリスだったが、アスカの言葉はよく響いた。


「決まってなかったのさ、まだ。通貨も、歴史も、文明も。どうしようこうしようって、皆で頭を抱えている最中なのさ」

「だれよ、皆って」


 答えるべきではなかった。その質問こそ、アスカが望んだ物だった。




「バックヤード」




 それはここの名前だった。


 バトルロイヤルの舞台はいつだって、世界のバックヤードだった。


「辞書で引いたことはあるかい? 裏庭、なんて意味だと思っていたろうが実は違う」


 アスカは知っていた。完璧の名に恥じぬようありとあらゆる知識を得た。


 そう、作られた。設定された。


「箱庭なんだよ、ここは。この世界は初めから」


 誰に? 決まっている。


「ユースが主役の物語〈ゲーム〉の……日の目を見ない準備室だ」




 このゲームの、シナリオライターに。




 ――最適の悪役令嬢は、誰だ。




 その一言が恋愛ゲーム、『あなたの記憶の片隅に』の悩みの種だった。


 必要なのは当て馬だった。ユースの、プレイヤーの恋愛を盛り上げるためのキャラクター。


 準備室に用意された、有象無象の悪役令嬢。

 



 ――ふざけるな、何が悪だ。どこが悪役だ。そんな物は承知していた。




 どこからと聞こえるそんな声。ただ必要だったという、たったそれだけの話だった。




 ――ならば、決めようじゃないか。




 舞台にはバックヤードを、勝者には物語への出場権を。




 第一回、悪役令嬢バトルロイヤルは。




『しょ、勝者……アスカ・P・ヒューマンッ!』




 茶番だった。








 落ちていく。


 深く暗く長い穴を、ただひたすらに落ちていく。


 加速し続ける自分の体に、クリスが出来る事はない。


 ただ頭を埋め尽くすのは、数秒前の事実だけ。




 負けた、負けた、負けた。



 彼女の、クリスティア・R・ダイヤモンドの物語は。




 物語の出場権は。




 失効した。

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