第三話 the world is hers③ ~悪魔のホットライン~

 目を覚ましたクリスティアがまず気付いたのが、両手首にあたる冷たい鉄の感触だった。


 手錠。次に視界が捉えたのは鉄格子に深々と頭を下げるメイドの姿。


「おはようございますクリスティア様、よくお眠りになれたようで」

「ええおかげさまで。素敵な安眠グッズをありがとう」

「よくお似合いですよ」

「……チッ」


 両手をわざとらしく掲げても、返ってきたのは皮肉だけ。


「で、どれだけ眠らされていたわけ?」


 壁に誂えられた小さな小窓から差し込む太陽の高さで、少なくとも一夜明けた事はわかった。


「一日と少し、ですね。あと半日もすればお嬢様とあなたの第一試合の開幕です」

「ふぅん、毒はぬるいとか言っておいて不戦勝狙いとか」

「いえ、これはわたしの独断です」

「へぇ」


 クリスの目が改めてメイドを見る。相変わらず涼しい顔をしていた彼女は眉一つ動かさない。


「本当はあなたをあの場から離せればそれでよかったのですが……お嬢様には確実に勝っていただきたいので。チャンスだったなと」

「叱られるんじゃないの?」

「主人の言いつけだけをやるのは二流ですので」

「あらそう、ご高説どうも。三流メイドの言いそうな事どうもね。覚えておくわ」


 クリスが皮肉を言えば、メイドの言葉が少し止まる。


「解せません」


 それから出て来た素直な言葉。その態度にクリスは思わず拍子抜けする。


「何が」

「あなたは弱いです。資金力は言わずもがな、腕力、人望、容姿……何をどう競ってもお嬢様に勝てる見込みはありません」

「目が腐ってんじゃないの? 容姿は圧勝でしょう」

「野良犬。そうですね、庭に入り込んできた野犬とでも言いましょうか。そんなものは使用人に処理させればいいもの」


 ひどい言われようだったが、クリスはそれ以上言い返さない。最早アスカ達にどう思われようが構わない。


「なのにあなたをやたらと目の敵にしています。そこがどうしても理解できません」

「そんなもんこっちが聞きたいわよ。一流ならそれぐらい知ってるんじゃないの?」

「むっ」


 頬を膨らませるメイド、どうやらその理由を彼女は知らされていないらしい。


「ま、そんなにアピールしたいなら目覚めのコーヒーでも持って来なさいよ」

「いいでしょう、私が一流のメイドだとその舌で味合わせてあげましょう」


 皮肉のつもりだったが思いの外乗ってきて驚くクリス。どうやらこのメイド、煽りには弱いようだったので。


「そう、期待してるわ。でもどうせ」


 もう一押し。脳裏を過ぎるのはいつだって。




「超一流には敵わないけど」




 少し気まずい別れ方をした、たった一人の顔だった。






 メリルは首を傾げながら構内をうろついていた。


「いませんねぇ、クリス様」


 それもそうだ、今日は大事な試合があるというのに姿形も消えた元主人。ちょっと一人にとは聞いていたが、まさか部屋にもいないとは、などと思うメリルと。


「……」


 ありとあらゆる屋台の食べ物を両手に持ったユース。金は王子から唸るほど貰ったのか、目についた物を片っ端から購入していた。


「ユースさんどう思いますか? それおいしいですか?」

「……」


 クレープを頬張り何も答えないユース。もっともメリルにとって反応がない事など気にする事でもなかったが。


「まぁ、そんな事より探しましょう! クリス様のことです、どこかで拾い食いでもしてるんでしょう」


 というわけでさっさと頭を切り替えるメリル。探す場所は限られている。


「えーっと、ゴミ箱は……」


 というわけで屋台のごみ箱を漁るメリル。クリスがいそうな場所の目星はとりあえずそういう所だった。


「ちょ、メリルちゃん? 何してんの?」


 が、通りかかったハリーが目を丸くする。それもそうだ知り合いが王子の恋人を連れてゴミ箱を漁っているのだから。


「あパリッピーさんおはようございます。実はですね、昨日のお昼からクリス様が見当たらなくて……」

「試合今日の夕方だよね?」

「そうですね、このままだと不戦敗に」


 と、ここでメリルがハリーの顔をまじまじと見つめる。そして気づく、この男が意外と権力を持っているという事実に。


「あ! パリッピーさん持ち前の権力で試合とか延期してもらえませんか!?」

「できません」

「ほらユースさんもこう言ってますよ!」

「……」

「言ってない、っていうか言ったら本当に延期できるからやめてよね……」


 ため息をつくハリー。もう一度メリルとユースの顔を見て、改めて驚く。


「いや待って、何でユースちゃんそこにいるの」


 意外。


 その二文字がハリーの脳裏をすぐに過ぎった。メリルとユースの組み合わせに驚いた訳ではない。


 ユースが自分と王子以外と共にいる、事にだった。


「起きたら部屋の前にいました。お腹減ってたんじゃないんですか?」

「いやまぁ、その感じはそうだろうけど」


 両手いっぱいに食べ物を持ったユースにハリーはまたため息をついた。ここまで能動的に彼女が動くのは彼の想定外ではあった。


「あんまりユースちゃんには出歩いて欲しくないんだよな……」

「む、それはひどいですパリッピーさん。ユースちゃんだってこの学園の生徒なんです、屋台を食べ歩きするぐらいの権利はあるはずです」

「いやまぁそうなんだけどね? ほら特別じゃないユースちゃんは……」


 特別。その言葉の意味を正しく理解しているのはハリーだったがメリルは一歩も譲らない。


「だめです。そういうのは特別って言いません」

「あー……まぁそうだな。よしじゃあ直接聞いてみよう。ユースちゃん? おなかもいっぱいになったし王子のとこに帰りましょ?」

「……」

「微動だにしないね」


 反応が全くないという、ハリーの予想と違わぬユース。


「次はわたしの番ですね。ユースさん? 次の試合でクリス様があの鼻持ちならないアスカとかいう女をけちょんけちょんのギッタギッタにするところ見たいですよね?」

「……」


 メリルの言葉でも動かないユース。彼女はそういう存在だった。



 

 ――昨日までは。




「今ならこの角砂糖もつけます」

「……!」


 ポケットから紙で包んだ角砂糖を突き付ければ、ユースの目が丸くなる。それに一番驚いたのは他でもないハリーだった。


「え、うそ砂糖で釣れた」

「ほらどうですかパリッピーさん! そんなチャラチャラしてるくせに女心がわからないなんて見掛け倒しもいいとこですねぇ! やはり女性を釣るには……花より団子! ふと自分が映ったガラスの前で前髪ばっかりいじってる男性は時代遅れなんですよおぉ!」

「ちょ、そんなにいじってないけど!?」


 話の真偽はともかく、ユースを獲得したのはメリルだった。もっともその特別さが目当てではなく、単に人手が欲しいだけだったが。


「というわけで探してきます」

「あ、メリルちゃんストップ」


 踵を返して歩き出そうとするメリルの肩をハリーが右手でぐっと掴む。


「止めるんですか?」


 睨むメリルに肩を竦めるハリー。今日の所は間違いなく、彼の負けに間違いはなく。


「俺も手伝うよ」


 仕方なくそんな言葉を口にするしか出来なかった。






 数時間ほど三人で歩き回ったものの、成果らしい成果は無かった。


「あのさぁ、メリルちゃん」

「なんですか……?」


 ベンチに腰を下ろした三人。額には汗を浮かべ、指先は汚れてしまった。


「君は、その、元主人の事を……どう思ってるわけ? 残飯とかひっくり返して見つかると思ってんの?」


 ハリーの疑問も尤もだった。三人が探した場所と言えば、ゴミ箱や屋台の裏にギリギリ食べられる木の実が落ちてる山の中や小川など、とても年頃の女性がいるような場所ではなかった。


「一番確率が高いかなって……」

「……」

「しっかしユースちゃんすごいね、こんなに体力あるとは思ってなかったよ」


 息が絶え絶えなハリーと比べて、ユースはそれほど呼吸を崩していなかった。


「女の子は見かけによりませんから」

「そうだったなぁ、俺とした事が忘れてたよ」


 頭を掻きながらハリーが答える。チャラい、軽い、遊び人。そんな役割を与えられたというのに、忘れてしまった事を反省する。




 が、それで疲労が軽減される事もなく。




「あーもう疲れた! だいたい人探しで藪の中とかゴミ箱ひっくり返すのがおかしいんだって!」

「し、仕方ないじゃないですか! 今のクリス様は犬、そう飢えた野良犬! 餌や水があるところが一番いそうなんですから!」

「ひどい言い草」

「でもまぁ、クリス様はそういう人なんです。例え泥水を啜っても、どん底に落とされても……絶対に諦めない。わたしの自慢のご主人様です」

「そっか、信頼してるんだね」

「はい!」


 曇りのない目でメリルが答える。だからハリーは試したかった。


 その決意の覚悟と重さを。


「勝って欲しい?」

「もちろんです!」


 彼女は揺るがない。


「どんな汚い手を使っても?」

「上等です!」


 彼女の覚悟はとうに済んでいた。


「悪魔に魂を売ってでも?」

「当然です。この戦いに優勝以外の価値は無いです……それぐらい知っています」


 いつからか。


 決まっている、そんなものは。ハリーもそれを理解している、知らぬ存ぜぬはクリスだけで。




 この程度の覚悟など、生まれた時に済ませていた。




「よしわかった、そこまで言うなら俺も一肌脱ごうか」


 だからハリーは手を貸す。ポケットから取り出したその機械に怪訝な目を向けられようとも。


「何ですかそれ」

「スマホ」

「すまほ……?」


 わからなくなったなとハリーは笑う。つい先日これを見せたところで、こんな問答は無かっただろうと。


 影響はある。それがハリーには寂しかった。


「知り合いから貰ってね。別名悪魔のホットライン」

「いるんですかそんなの」

「いますよいますよそりゃあいますよ。とびっきり質の悪いのが、世界の裏に一人だけね」


 そう、悪魔。


 ハリーにとって彼はそう呼ぶに相応しかった。この場所から見てみれば、彼の所業は悪魔に等しい。


 けれどその関係を示すべく、彼はわざとらしく呼んだ。


 ハリー・P・ネーハマジメのプロフィールには二度と記述される事はない。




「あ、もしもし兄貴?」




 あり得ないその名前を。

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