第6話 カレイの煮付け(1)

 ふうわりと朝から店内に出汁の香りが広がる。

 和朝食を出している店らしい光景である。

 昆布といりこで引いた出汁は、黄金色に輝いた極上のスープのようだ。隣では、尾札部の真昆布を沸騰させずにゆっくり、じっくりと旨味を煮出している。


 ちょいとお手塩てしょ皿に取って味を確認するのは、この店の料理人である生田秀一。

 みんなからはシュウと呼ばれているアラサーの男である。


 一方、ガタゴトと音を立てて椅子を動かし、店内の清掃を頑張っている豪奢なメイド服姿の少女はクリスティーヌ・F・アスカ。

 クリスと呼ばれている。

 腰まで伸びた純白の髪に、透き通るような白い肌、大きな二重の目には、透明感のある瑠璃色の瞳があり、宝石のような美しさを見せている。あまり主張しない鼻は形がよく、ぷっくりと柔らかそうな唇はリップグロスで艶々と輝いていて、実に自然なピンク色だ。

 とても美しい彼女は、シュウが営む「めし屋」に突然飛び込んできた異世界人だ。いや、いまから開店する場所はクリスの生まれ育った街、アプレゴ連邦王国ナルラ国領の領都マルゲリットなのだから、今はシュウの方が異世界人なのかもしれない。



「クォーンカーン……クォーンカーン……」



 ちょうど朝2つの鐘が鳴り、クリスが暖簾を外に出そうと店の引き戸を開くと、行列の先頭にいるのは行商人のマルコ・キャンベルだ。


「おはよう」

「おはようございます」


 マルコとクリスの挨拶が聞こえてくる。


 昨日のマルコは早朝に領都へと入り、宿屋へ荷物を預けたあとの朝食を求めてやってきた。

 そこで食べた「ごはん」の美味しさ、身体に染み込む「味噌汁」の味が忘れられず、今日も朝からやってきたのだろう。

 そういえば、街のあちこちで宣伝してきたようで、そのあとは多くの商人たちに店の前で観察され続けたのだが、そのときにいた商人らしき男たちが数名一緒にいる。


「四人だけどいいかい?」

「奥にテーブルがありますので、そちらへどうぞぉ」


 クリスは「めし」と日本語で書いた暖簾を店の外に掛けると、マルコと三人の男たちを引き連れて店内へと案内する。

 四人とも商売人らしい装いをしているが、マルコは最も背が低く、今日はブロンドの髪をオールバックでまとめている。昨日は少しくたびれたような印象があったのだが、街の外で野宿を強いられた後なのだから、仕方が無いだろう。

 残り三人の中の一人は髪が薄い中肉中背の男、もう一人の男は黒髪で、他の三人と比べると体格がよく、お腹にどっしりと脂肪がついている。

 最後の一人は背が高く、痩せた体型であり白髪交じりの髪、口ひげのついた男だ。


「やあ、シュウさん。おはよう」

「おはようございます」


 厨房のシュウにもしっかりと挨拶してくるところはさすがに商人だ。

 名前と顔を覚えてもらい、商売へと繋いでいくには大切な心掛けである。


 四人はテーブル席に座ると、クリスの差し出す熱いおしぼりを順に受け取っていく。

 最初は手を拭いている四人だが、その温もりが手に伝わってくると、次は広げて顔を拭き始める。さすがに、リックのように全身を拭き始めることはないが、とても気持ちよさそうだ。


「こちらの方々は初めてですので、メニューの説明をさせていただきますね」


 マルコ以外の三名に向け、クリスは簡単にメニューを説明する。


「うちは、主食のごはんに味噌という調味料を使ったスープ、お好みのおかず……主菜を一品選んでいただくことになっています。

 主菜は肉だと『鶏肉』、『豚肉』、『牛肉』のどれか、あとは『鶏』の卵、魚、野菜料理です」

「昨日は塩漬けの『紅鮭』の切り身を焼いた料理だったな」


 マルコは紅鮭の皮の味を思い出す。

 パリッと焼けた皮に隠れた脂の旨味が素晴らしく、塩が染み込んだ鮭の身よりも美味しかった。

 魚の皮があんなに美味いなら、今後も魚を食べるときに皮が楽しみになりそうだとマルコは思う。


 だが、残念なことに今日の魚料理は異なるメニューなのだ。


「今日は、煮つけですよ」

「煮つけ?」


 クリスが今日の魚料理を言うと、マルコは少し残念そうな顔をした。

 マルゲリットでは魚料理というと、基本的に小麦粉をつけてフライパンで焼くというポアレやソテーのような料理か、いろんな野菜と一緒に水で煮ることが多い。煮つけということは、魚のスープみたいなものだろうと考える。


「『カレイ』を調味液で煮たものなんです。調味液は甘めですが、おいしいですよ」

「『カレイ』だと?!」


 マルコが連れてきた客の一人、髪の薄い、中肉中背の男が驚いた顔をしている。

 この、ナルラ地方は四方を山に囲まれた盆地であり、海までの距離は馬車で十日以上かかるという場所にある。

 カレイは海の中でも、砂地の海底に隠れ、目の前に来た小魚などを食べる平らな魚だと聞いているが、この街で生まれ育った人間には馴染みがない。

 剣と魔法の世界なので、凍らせて持ち込むこともできるが、数日間の馬車の旅でこのマルゲリットの街まで運ぶというのは現実的ではなく、そんなことを実行する人はいない。


「この街では本当に珍しいお魚ですから、驚きますよねぇ……」


 驚く客に向かって、そう相槌をうつクリスだが、続けて話をする。


「でも、知り合いが空間魔法を使えるので一瞬なんです……」

「はあ? 話には聞いたことがあるが、空間魔法を使える者なんて本当にいるのか?」


 その空間魔法を使えるのはクリス本人である。急逝した母親が残した秘蔵の魔法書により、クリスは行ったことがある場所であれば、ほんの数秒で移動できる。ただ、自分が使えると言ってしまうのは非常に危険なことだ。マルコのような行商人であれば馬車での移動が不要になる。もし本当にそんな魔法が使える人がいるなら、喉から手が出るというレベルではなく、非合法なことをしても手に入れようとする輩がいてもおかしくない。


「でも、そこに『カレイ』があるんですし……」


 と、クリスがシュウの方を見ると、シュウは大きな魚を持って掲げる。

 確かに、マルコ達が初めて見る魚だ。

 平らで、片側に目玉が寄っていて、背中は黒く、腹は白い。大きさは、シュウという料理人の肘から指先よりは短いくらいだろうか。食べ物に恵まれていたのかとても肉厚な魚である。

 それを見たマルコの知人らしき商人は言葉を失う。実物を見せられてしまうと、返す言葉もない。


「これが証拠ってことで、四人分くらいで売り切れですよ」

「なにっ!うーむ……」


 食べたことがない魚であるというのもあって、マルコは少し躊躇する。

 海の近くまで行商に出ることはあるので自分には次の機会もある。そして、昨日の朝食も魚だったので、どうしようか悩む。

 一方、クリスと話をしていた商人の男は、言い出した以上はカレイを食べないわけにいかない。心は決まったようだ。


「『鶏肉』も『牛肉』も硬い肉が多いからな……やはり、『豚肉』の方がいいか……」

「何をいう、いまここで『カレイ』を食わねば、次はいつ食えるかわからんぞ?」

「アランのいうとおりだ、俺は魚にする」

「俺もだ」


 中肉中背のアランという男の言葉に釣られたのか、今まで黙っていた二人もカレイを選んだようだ。

 確かに、これまでマルゲリットの街に海の魚が生で入荷することはなかった。そして、これからも入荷することは無いだろう。商人である以上、普段は自分たちの店で商いを営むのだから、旅行に出ることもない。つまり、マルコのように行商人にならない限り、次に海の生魚を口に入れる可能性は皆無だ。

 ならば、今ここに海の魚があるうちに食べてみたいというのが人情である。


「しかたがない、ではわたしも同じものにしよう」

「はーい、魚朝食四人前承りましたぁ」

「あいよっ」


 クリスが注文をとおすと、シュウがテンポよく応える。

 するとクリスは漬物の盛り合わせを用意して、四人分のお茶を淹れると、マルコとアランの下へと急ぐ。


「無料の『漬物』盛り合わせです。今日は『胡瓜』と『茄子』、『白菜』です。

 お茶はおかわり自由ですので、ごゆっくりどうぞぉ」

「『白菜』っというのはこの野菜かな?」

「そうですよぉ」


 軽く返事をすると、クリスは四つのお手塩皿に醤油を注ぎ、各人に配っていく。


「『漬物』は、この醤油に少しつけて食べると美味しいですから、試してみてくださいね」

「ほぅ……」


 白菜のことを聞いてきた男は、白髪交じりの髪、口ひげを伸ばした男だ。

 ちょいちょいと白菜に醤油をつけて口の中に入れる。



「シャクッ シャクッ シャッ シャッ……」



 白菜はマルゲリットがある大陸では見たことが無いものだ。葉脈の芯の部分が白く、キャベツよりも幅広で薄い。それでも、白い部分は肉厚で、噛むと歯ごたえがあり、たっぷりの汁が溢れ出してくる。その汁には何か舌に染み入るようなエキスが溶け込んでいて、実に美味い。また、薄い緑やオレンジ、黄色い葉の部分はシワシワと縮んでいるが、塩で漬け込むときに出た野菜自らの味を吸っており、非常に柔らかくてジューシーだ。

 また憎いことに、刻んだ唐辛子も入っていて、葉や含んでいる汁の甘みに慣れた舌を呼び戻す、いいアクセントになっている。


「うーん、甘みがある美味い野菜だ」


 漬物を口に含むと、しばらく目を瞑って咀嚼していた男だが、呆れたように声を絞り出す。


「デヴィットが褒める野菜というのは、なかなか珍しいぞ」

「そうだな」


 マルコとアランがデヴィットの言葉を聞いて、珍しいものを見たと驚いている。もう一人の男性も、デヴィットを見てポカンとしているので、同じように感じているのだろう。


「この『漬物』とお茶が滅法合うんだ」

「うおっ!」


 お茶を飲もうとしたマルコが驚き、お茶を零しそうになるほど大きな声を上げたのはまたデヴィットだ。


「この『茄子』、うまいっ!」


 そういえば昨日はここに茄子はなかったなと思い、マルコも茄子にちょいと醤油をつけて口に入れる。


 茄子の漬物は、胡瓜と同じ発酵したものの中に漬け込まれているが、ウォッシュタイプや青カビのチーズのような強い香りではない。とても優しい発酵臭である。そして、水分が抜けて柔らかくなった茄子の漬物は、噛むと旨味の詰まった汁がジュワリと口の中にほとばしる。

 この汁が、醤油という濃い赤紫色の液体調味料と混ざり、舌を包み込むのだ。


「ああ、昨日はなかったが、これは美味いな」


 マルコが茄子の美味しさに感動し、デヴィットの言葉を追いかけるように美味いという。

 まだ名前がわからない男も、漬物とお茶のループに入っているようで、無口さに磨きがかかっている。


「確かに、お茶と『漬物』は相性がいいようだな」


 アランがそう言うと、それを聞いてうんうんと頷いている。


「このあと出てくる主食の『ごはん』という穀物がお茶にも、『漬物』にも合うんだよ。

 最後にごはんにお茶をかけ、茶漬けというものにしても美味しい」


 すると、今まで声をださなかった男がついに言葉を話に加わる。


「本当に、『米』じゃないの?」


 最も体格がよく、お腹にも脂肪を蓄えた最後の男は、見た目の印象とは異なり、少年のようなかわいい声で話しかける。


「ああ、一粒が『米』の半分もない大きさなんだ」


 マルコが答えるのだが、目線は上目遣いでクリスを見つめている。


「『ごはん』のことですかぁ? 短粒種の『米』ですよ」

「「短粒種?!」」


 はじめて聞いたという顔をするマルコだが、少年のような声を持つ体格のいい男は違う。知ってはいるが、さきほど空間魔法のことを聞いたのだから、他の大陸へ行って持ってきたと言われればそれで終いだ。


「西の果てにある大陸に近い島国で採れるという『米』かい?」

「ええ、そうですよ」


 念のために尋ねてみると、想定通りの返事が返ってきた。

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