第16話


「失礼ながらこちらの方は?」


 マルカのまるでさげずむ様な視線で問われた言葉に、シリオンはふっと笑みを顔を浮かべる。


「私の伴侶だ。今は正式ではないが、いずれはそうなる」


「伴侶をぅ?」


 今、何か皇帝に対するのではないような話し方を聞いた気がする。それと共に、増々彼女からの軽蔑の視線を痛いほどに感じるようになってしまう。


「アース、マルカだ。昔士官学校にいた頃からの腐れ縁で、今では騎士隊長をしている」


 小声で話したそのシー・リオンの言葉に、咄嗟に二人ながら席に手をついていた。


「士官学校の女性って昨日のあの⁉」


 ――色々女性的感性の問題児!


「アース!? このへなへなの女性が君の恋人のアースだと!?」


 ちょっと待て。なんか今へなへなとかすごい形容を聞いた気がする。


 しかしそんなアースの疑問など意にも解さないように、マルカは苦悶するように目の付け根にその白い指を当てると、何てことだと天を仰いでいる。


「まさか、シー・リオンの長年の片思いの相手が、こんな女性的な姿だったなんて……! ガルディが『アースがこれと同じ体の持ち主でも恋をすると言うのですか!』と散々ムキムキ肉弾男の裸体を並べて、恋愛相手の矯正を迫っていたから、てっきりマッチョなすね毛だらけの男だと思っていたのに……」


「ちょっ、ちょっと待った。今の話ってなに?」


 思わず立ち上がったけれど、シー・リオンはむしろ得意そうだ。


「だからそんな程度で俺の愛は揺らがないと言っただろう」


「甘かった……あの時、嘔吐に耐えながらもその拷問を最後まで乗り切り、あまつさえ翌朝すっきりとした顔で『それでもアースが好き』と言った時に、みんな爽やかなまでの絶望を経験していたのに……」


「あの晩はアースが夢でマッチョな姿で現れて大変だった。だが、それでも好きで嬉しくてたまらなかったお蔭で、俺はアースがどんな姿に成長していようとも受け入れられる自信がついた。やはり恋は素晴らしいものだな」


「その時確信したのに……! こいつの偏執は筋金入りだって! それなのに、まさか今ひょっとしたら女性の美貌に誑かされて正気を失ったのではないかと疑うなんて…………陛下、失礼しました。一瞬でも陛下を疑い希望をもってしまいました」


「希望と言う割には険しい顔だったぞ。アースのなにが気に入らない?」


「気に入らないわけではありません。ただ、陛下がたとえ一夜の慰みでも女性をお手元に置くのならば、私にも譲れない基準がありました。それだけです」


「それって、どんなのですか?」


 なんとなく聞くのが怖い気もしたが、気になった。自分が知らないシリオンにもっとも近しいこの女性の中で、シリオンにふさわしい女性というのはどんな基準なのだろう。


 すると、マルカは美しい気品に満ちた顔でふっと笑った。


「そうだな。顔が美しいのはもちろんだが、体も鍛えてあり、いざという時に陛下の盾になれる人物だ! 我が部隊のように!」  


 ――うん?


「それから、胸も大きくなければならない。陛下の相手だ、我が国でも、有数と言われるほどには!」


 ――あれ?


 思わず、アースはマルカの胸部を見つめて、ぱちぱちと瞬いた。


「宮廷のことに詳しく、彼のことを心から守り、誰よりも彼に尽くす人物。それでいて己の欲の為ではなく、陛下のことを最善に考えて動ける人物。そう、それはまさに私のように! 相手に高望みはせん! 最低でも私、最高でも私、基準は私だ!」


 しばらく、アースは目をしばたたくと、少しの間沈黙を口の中で練った。


 ――それって……。


 わからないけれど、心の中が苦い石を飲み込んだように重たくなる。


「マルカさんは、シリオンが好きなの?」


「はあ? 冗談だろう!」


 けれど、意を決して唇に乗せた言葉はあからさまに嫌そうに一蹴された。


「なんで私がこんな恋愛音痴に惚れなきゃならん! 第一、朝にアースの夢、昼にアースとの思い出話、夜になったらアースへの恋心。これだけ耳にタコができそうなほどアースアースと聞かされて、殴りたくなることはあっても恋したくなる暇なぞない!」


「じゃあ、なんで自分ぐらいって」


 普通それは惚れている男性を諦めるときに使う基準なんじゃないだろうか。


「私の胸でも、脂肪が重そうで鍛え方が足りんというこの恋愛音痴に、女性の魅力を教えるには最低でも私以上のナイスバディの持ち主でないと話にならないだろう。妙齢の女性が何人も突撃したが、今まで全てあたって砕けているしな。だいたい胸に触りたいと思わないのが健全な男子として、理解できん。不健全極まりない」


「悪かったな。俺だって、べつに興味がないわけじゃない」


「ほーう、初耳だぞ。じゃあ、どんな胸だったらいいんだ? 貧乳か? それとも、爆乳か?」


「いや、一人以外興味がないだけで……どんなかは……」


「きこーえーん。聞こえん! 触りたい相手がいるなら、はっきりと言え! 見たいのか、触りたくないのかあ?」


「触りたくないわけあるか! け、ど……」


 勢いでそこまで叫んでアースと目が合い、シリオンは真っ赤になった。誰のことを思い浮かべていたのか、アースを見た瞬間耳まで真っ赤になった様子を見れば、それ以上話さなくてもわかる。


「か、会計をしてくる!」


 慌てて立ち上がったシリオンの背中を見つめ、マルカはやれやれと手を首の後ろに回した。


「あれだけ本気なんだよ。もう、士官学校で出会ってから、あなたのことばっか。正直いくら皇帝だからって、男の幼馴染から恋を告げられたらびっくりしただろう?」


「ええ……」


 それは嘘偽りのない気持ちだ。


「本当のことを言えば、反対する気持ちもあった。でも、どうしても陛下の心は変わらなくて、もうそれならいっそ幸せになってほしい。君もまだ戸惑っているだろうけれど、もし恋できるのなら、彼に恋してあげて」


 そう手を包まれて、彼女の痛いまでの友人への気持ちが伝わってきた。


 ――できるのなら……彼を受け入れて幸せにしてあげたい。


 でも、それがてきるのか自信がない。


 食堂の外に出るとアルペーヌ山の白い姿が立ちはだかるように目の前に聳えていた。


 その白銀の輝きが、誰かの持つ色を嫌でもアースに思い出させる。


「ヒイロ」


 マルカとシリオンがなにかの相談で側にいない時を見計らい、小さく名前を呼ぶ。すると、すぐに小柄な使い魔は空中に姿を現した。黒い細い姿を横目で確かめて、アースはがっくりと肩を落とす。


「あーあ……やっぱり来ちゃったかあー」


「呼び出しといてなんだよ、それ! お前人を馬鹿にしてんのかっ!」


 相変わらず赤い目を吊り上げて怒ってくる姿に、それでも溜息が出てくる。


「あー、ってことは、やっぱり辞表は受理されていないのか」


「あのサド王子がそうやすやすとお前を手離すわけねえだろ。それでお前は、大好きな幼馴染とどうなったんだ?」


「うん……」


 体をすっぽりと包む外套に埋もれたまま、蹲っていたアースはその言葉にゆっくりと顔をあげた。


「お願いがあるんだ、ヒイロ。もし今夜僕が君の名前を呼んだら、有無を言わさず僕を連れて逃げてくれ。二度と――シリオンに会わないように」


「はあ? なんでお前を連れて逃げる必要があるんだよ」


「そしてお願いだ……シリオンから僕の記憶を消して。彼がこれ以上辛い思いをしなくてすむように……」


「――お前――」


 なにを馬鹿なことをといいかけたヒイロの口は、アースの泣きそうな顔を見て口を閉ざした。


「お願いだ。もし、僕が彼を受け入れることがどうしてもできなかったら……」


 ――嫌いになりたくない。


 側にいたい。そのためなら、どんな代償だって払うことができるのに。


 それなのに、どうしても体がすくんでしまう。


 ――もし、今夜……彼をどうしても受け入れることかできなかったら……。


 その時は、これ以上悲しいのは自分だけでいいとアースは涙がこぼれそうなのを静かに目をつぶって耐えた。

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